最近、歴史系動画を見て思う事。 | 記紀以前の日本史を探す

記紀以前の日本史を探す

古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

古事記第三章を出来れば、昨年の年末前に更新を行うつもりが、

体調不良や、灯油代の節約の為、結局出来ませんでした。


データは、9割程出来ているので、暖かくなれば、

更新したいと思います。


今回は、YouTubeの歴史系動画を見て、

疑問に思うことがあったので、書いていきます。


おすすめに表示された時には、サムネイルやタイトルから、

自分の歴史考察に参考になりそうなのを見ています。


「阿波國風土記」、「正統竹内文書」、「出雲王家口伝」

に深堀りしているチャンネルが多かった印象があります。


それらのチャンネルでは、「真の日本史」だったり、

「古事記は嘘」みたいなサムネイルを見かけました。


このあたかも、古史古伝の伝えている事の方が、

「記紀」よりも正しい箇所が多いみたいになっています。


もちろん、動画を見て貰うために必要だと思いますが、

個人的に、「天皇」の古代を追っているのであって、

「日本列島の日本史」を追っているようには見えませんでした。


ここで少し脱線しますが、「天皇」の読みを、

学校でも、テレビなどでも「てんのう」と読んでいます。


しかし、これは、「半分正解半分外れ」となります。


理由としては、古事記に正解の部分が載っています。


古事記にしろ、日本書紀にしろ、「原文」を見ない人には、

分からないのですが、序文の後すぐに、

「訓高下天云阿麻 下效此」と、記載があります。


これは、「高の下の天の訓は阿麻(あま)と云う。

此れ下も效(なら)う。」と読む事が可能で、

「「天=阿麻」であるので、古事記では、その様に読んで下さい」

という注記となります。


これに効(なら)うと、「天皇」の「天」は「阿麻家」であり、

「皇」はまだ詳細に掘り下げていませんが、軽く調べると、

「おう」・「きみ」などと読めますので、

「阿麻家の王」と言い換える事が出来ると解釈しています。


これらにより、古事記の「天皇」の一族を追うなら、

読み方をきちんと調べるべきと考えます。


せっかくなので、もう少し書くと、古代中国の歴史書には、

「天皇」という地位にいた一族に関しての記載があります。


その中には「聖徳太子」がいるのですが、

「新唐書」などを「原文」で見ると、

所々に「即位年」の記載がある場合があります。


これは、サイトの方にも「文武天皇」を例として書きました。


「長安元年(701年)に文武が即位したとあるが、

調べる限り、697年8月22日に即位したとあり、

4年の差が生じるので、同一人物とは考えづらいです。」


上記の話は、「長安元年、其王文武立、改元曰太寶」を

解説した一部です。


この他にも「天皇」の名が違うのは、目を瞑るとして、

この、「即位年」が異なるのは、現時点で調べる限り、

動画で検証していない様です。


これらの情報は、「古史古伝」にあるのではなく、

古代中国の歴史書に、記載されている情報です。


ここで、話は戻りますが、

「古史古伝」を研究するなとは言いません。


自分でも、「和田文書」にある「耶馬台国」については、

今まで、モヤッとしていた箇所に光を当ててくれました。


ですが、その情報を扱うからには、基礎となる情報があり、

それらに記載が無い情報を、古史古伝で補って行くのが、

良いと思っているので、「古事記」の考察から始めました。


もちろん、これは、こちらが勝手に思っているだけです。


しかし、「即位年」が違う事を掘り下げれば、

それこそ、「天皇家」の歴史に、一歩近づけると思います。


「灯台下暗し」では無いですが、もっと、

研究することが、既存の歴史書にもあると思っています。


自分自身、先程の「和田文書」が、なんとなくではありますが、

古事記と日本書紀の間を埋めてくれた様に感じています。


その箇所については、今後、煮詰めていき、

第四章公開時には、同時に公開できればと思っています。