国生み~大国の存在の記紀総括101-スサノオへの記述3- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

□二重の文章

 

日本書紀第七段一書第三:

 

「是後 素戔嗚尊曰 諸神逐我 我今當永去 如何不與我姉相見
 而擅自俓去歟 廼復扇天扇國 上詣于天 時天鈿女見之
 而告言於日神也 日神曰 吾弟所以上來 非復好意
 必欲奪之我國者歟 吾雖婦女 何當避乎 乃躬裝武備 云云

 於是 素戔嗚尊誓之曰 吾若懐不善 而復上來者
 吾今囓玉生兒 必當爲女矣 如此則可以降女於葦原中國
 如有清心者 必當生男矣 如此則可以使男御天上 且姉之所生
 亦同此誓 於是 日神先囓十握劒 云云

 素戔嗚尊 乃轠轤然 解其左髻所纏五百箇統之瓊綸
 而瓊響瑲瑲 濯浮於天渟名井 囓其瓊端 置之左掌 而生兒
 正哉吾勝勝速日天忍穗根尊  復囓右瓊 置之右掌 而生兒
 天穗日命 此出雲臣 武藏國造 土師連等遠祖也
 次天津彦根命 此茨城國造 額田部連等遠祖也
 次活目津彦根命 次熯速日命 次熊野大角命 凡六男矣 於是
 素戔嗚尊 白日神曰 吾所以更昇來者 衆神處我以根國
 今當就去 若不與姉相見 終不能忍離 故實以清心 復上來耳
 今則奉覲已訖 當隨衆神之意 自此永歸根國矣 請姉照臨天國
 自可平安 且吾以清心所生兒等 亦奉於姉 已而復還降焉

 廢渠槽 此云秘波鵝都 捶籤 此云久斯社志
 興台産靈 此云許語等武須毗 太諄辭 此云布斗能理斗
 轠轤然 此云乎謀苦留留爾 瑲瑲乎 此云奴儺等母母由羅爾」

 

(是後(このあと)素戔嗚尊曰く

諸(もろもろ)の神、我を逐(お)い、我 今、當に永らく去る

我 姉と相不與(ともにせ)ず見るは如何(いかん)

而(なんじ)自らの擅(ほしいまま)に俓(いそぎ)去る歟(や)

廼(すなわ)ち復(また)天を扇(あお)ぎ、国を扇(あお)ぐ

天の上于(に)詣でる時、天鈿女之(これ)見て
日の神而(に)於いて言い告げる也

日の神曰く

吾の所を以って弟上がって来る

復(また)好意非(あら)ず

我の国の者欲し必ず奪う歟(や)

吾 婦女と雖(いえど)も、何(いず)れ避ける乎(お)當(あてる)

乃ち躬(みずから)武の装いを備える

云云(うんぬん)

是於(これお)素戔嗚尊之(これ)誓いて曰く

吾 若し不善を懐(おも)えば
而(すなわ)ち復(また)上がって来る

吾 今、生む兒の玉を囓(かじ)り、必ず女に當(あたる)と為す

此れに則るが如く葦原中國に於いて女を以って降るとする可(べ)き

如(もし)清き心有れ者(ば:短語)必ず當に男が生まれる

此れに則るが如く御天上に男を以って使わす可(べ)き

且つ姉の生む所も亦 此れ同じく誓う

是於(これお)日の神十握劒の先を囓(かじ)る

云云(うんぬん)

素戔嗚尊 乃ち轠轤然(をもくるるに?)

其の左の髻(みずら)の所を解(ほど)いて
五百箇統之瓊の綸(いと)を纏う

而(すなわ)ち瑲瑲(王の倉?)に瓊を響かせて、
天渟名井に於いて浮かせて濯ぐ

其の瓊の端を囓(かじ)り、左の掌(てのひら)而(に)
之(これ)置き、生まれる兒を正哉吾勝勝速日天忍穗根尊という

復(また)右の瓊を囓(かじ)り、右の掌(てのひら)而(に)
之(これ)置き、生まれる兒を天穗日命という

此れ、出雲臣、武藏國造、土師連等遠祖也

次に天津彦根命、此れ、茨城國造、額田部連等遠祖也

次に活目津彦根命、次に熯速日命、次に熊野大角命

凡て六(人)の男

是於(これお)素戔嗚尊、日の神に白(もう)し曰く

吾の所を以て更に来て昇る者(は:短語)
我の根の國を以て衆(もろもろ)の神の處に今、當に就いて去る

若し、姉と相不與(ともにせ)ず見れば、
離れを忍んで終わるのは不能(できない)

故、清きを以て心が実り、復(また)上に耳(のみ)来る

今 則(すなわ)ち已(すで)に覲(まみ)えて奉り訖(お)わる

當に衆(もろもろ)の神の意に隨い、
自ら此の根國に永らく歸(かえ)る

姉の照らす天国に臨んで請う

自ら平(おだ)やかで安らかにする可(べ)き

且つ吾の所で以って生まれた兒等清き心あり

亦、姉に於いて奉(たてまつ)り
已(すで)而(に)復(また)降りて還る

廢渠槽、此れ秘波鵝都(ひはがつ)と云う

捶籤、此れ久斯社志(くしざし)と云う

興台産靈、此れ許語等武須毗(こごとむすひ)と云う

太諄辭、此れ布斗能理斗(ふとのりと)と云う

轠轤然、此れ乎謀苦留留爾(をもくるるに?)と云う

瑲瑲乎、此れ奴儺等母母由羅爾(ぬなとももゆらに)と云う)

 

▽「誓約」の二重書きと「云云」

 

日本書紀第七段において一番の疑問は、

「なぜ、第六段の誓約の内容が二重に記述されているか?」です。

 

日本書紀第六段には「誓約」に関して書かれていますので、

第七段の一書に書く必要性が無い文です。

 

第六段に記載しているのだから、

第七段一書第三の資料を見た段階で判断できたはずです。

 

しかし、第七段一書第三に記載した。

 

しかも、「云云(うんぬん)」と省略の単語を使っている事から、

本来なら一書第四や一書第五となるべき文だったかも知れません。

 

編纂者の意図を考える事は困難ですが、多分に第六段に

「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」と表記されている名が

第七段一書第三では「正哉吾勝勝速日天忍穗根尊」と

表記されている事が大きな要因だと推測しています。

 

第六段の一書には「正哉吾勝勝速日天忍骨尊」も記述されるが、

「正哉吾勝勝速日天忍穗根尊」は初めて見る表記な為に、

二重記述になるが記載したのではないかと考えています。

 

ただ、人物の相関図を考えると関係性が非常に気になりますが、

情報不足の為に判断出来ません。

 

今後の情報に期待したいと思います。