▽天岩屋・天石窟周辺の状況
古事記:
「於是天照大御神以爲怪 細開天石屋戸而内告者
因吾隱坐而以爲天原自闇 亦葦原中國皆闇矣 何由以」
(是於(これお)天照大御神の為而(に)天石屋の戸を
細く開けて内を怪しみ告げる者(は:短語)
吾、隠れて坐す而(に)因って、
天原の為に自ら闇を以て、亦、葦原中國皆闇、何を以て由とする)
日本書紀第七段本文:
「是時 天照大神 聞之而曰 吾比閉居石窟
謂當豐葦原中國 必爲長夜」
(是時(このとき)天照大神而(に)之(これ)聞こえ曰く
吾 閉めた石窟(せっくつ)に居るのに比べて、
豐葦原中國は當に必ず長い夜に為ると謂う)
一書第三:
「乃使忌部首遠祖太玉命執取 而廣厚稱辭祈啓矣
于時 日神聞之曰 頃者人雖多請 未有若此言之麗美者也
乃細開磐戸而窺之 是時 天手力雄神 侍磐戸側」
(乃ち忌部首遠祖太玉命を使って執(しつ)を取り廣く稱(たた)えて、
厚い祈りを辭(や)めると啓(もうす)時于(に)
日の神之(これ)聞いて曰く
頃(しばら)く者(は:短語)雖(これ)人が多いを請う
此れ言うのは麗しく未だ若く有り美しい者也
乃ち磐戸細く開き之(これ)窺う是時(このとき)而(に)
天手力雄神、磐戸の側に侍(はべ)る
則(すなわ)ち之(これ)引いて開ける者(は:短語)
日の神の光が六合(りくごう)に於いて満ちる)
古事記と日本書紀本文と一書第三の文から考えて、
「暗くなった」のは「日食」とは関係ない様にも感じます。
「日食」であれば長い間夜の様な暗さになる事はないので、
他の原因が関係した結果の行為ではないかと推測します。
古事記の文の「吾、隠れて坐す而(に)因って、天原の為に
自ら闇を以て、亦、葦原中國皆闇、何を以て由とする」は、
「天原や葦原中國の皆の闇の為に天岩屋に入ったが、
闇になった理由は何だろうか?」と解釈する事が出来ます。
「暗闇が覆いつくす」様な状況はそうそう起こるものではありません。
しかし、古事記と日本書紀本文と一書第三の文を
同一の状況と考えるならば共通している事情があるはずです。
「日食」ではないと考えると、「火山の噴火」が考えられますが、
噴火の様な緊急事態が起きた様な、
状況が記載されていないので、違うのかも知れません。
となると、「日食」への恐れにより、
「日食」終了後に自分達の行いに悪い所が無かったかを
「天岩屋」や「天石窟」に入り瞑想していた可能性が考えられます。
△「あめのうずめ」との会話の不自然さ
あと、古事記と日本書紀本文には「あめのうずめ」に話を振っています。
古事記:
「天宇受賣者(は:短語)楽しむ為
亦 諸(もろもろ)の八百萬神が咲く
爾(なんじ)天宇受賣白(もう)して言う
汝、命は貴神を益而(に)坐す
故 歓喜して楽しんで咲く(喜ぶ?)」
日本書紀第七段本文:
「天鈿女命は何れ、此の者?乎(お)(口+虐)如く楽しむと云う」
なぜに「天宇受賣」に話を振ったのか?
それに、「闇」の事で悩んでいる「天照大御神」の話とは
繋がっていません。
日本書紀本文の「㖸」は「口で虐(しいたげる)」と解釈出来、
「(口+虐)如く楽しむ」とは不可解です。
▽朝日
古事記:
「故天照大御神出坐之時 高天原及葦原中國自得照明」
(故 天照大御神出て坐す之(この)時
高天原及び葦原中國自ら照らす明るさを得る)
日本書紀一書第三:
「則引開之者 日神之光 滿於六合」
(則(すなわ)ち之(これ)引いて開ける者(は:短語)
日の神の光が六合(りくごう)に於いて満ちる))
朝日の昇る時間帯に天岩屋・天石窟を出て来た結果、
朝日を浴びて、神々しい様に見えたと言う事だと思います。
記紀は「フィクション」ではなく「ノンフィクション」なので、
天照大御神と言う人物が領地を照らす事は出来ないので、
朝日が昇った時間まで瞑想していたのだと考えます。
しかし、「自ら照らす明るさを得る」と表現しましたが、
「闇」には「先代の天照大御神の死去」との関係性を考えると、
もしかすると、「世代交代」も可能性としてあるようにも思えます。