国生み~大国の存在の記紀総括98-天石屋と天石窟10- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

▽天岩屋・天石窟周辺の状況

 

古事記:

 

「於是天照大御神以爲怪 細開天石屋戸而内告者
 因吾隱坐而以爲天原自闇 亦葦原中國皆闇矣 何由以」

 

(是於(これお)天照大御神の為而(に)天石屋の戸を
 細く開けて内を怪しみ告げる者(は:短語)

 吾、隠れて坐す而(に)因って、
 天原の為に自ら闇を以て、亦、葦原中國皆闇、何を以て由とする)

 

日本書紀第七段本文:

 

「是時 天照大神 聞之而曰 吾比閉居石窟

 謂當豐葦原中國 必爲長夜」

 

(是時(このとき)天照大神而(に)之(これ)聞こえ曰く

 吾 閉めた石窟(せっくつ)に居るのに比べて、
 豐葦原中國は當に必ず長い夜に為ると謂う)

 

一書第三:

 

「乃使忌部首遠祖太玉命執取 而廣厚稱辭祈啓矣

 于時 日神聞之曰 頃者人雖多請 未有若此言之麗美者也
 乃細開磐戸而窺之 是時 天手力雄神 侍磐戸側」

 

(乃ち忌部首遠祖太玉命を使って執(しつ)を取り廣く稱(たた)えて、
 厚い祈りを辭(や)めると啓(もうす)時于(に)

 日の神之(これ)聞いて曰く

 頃(しばら)く者(は:短語)雖(これ)人が多いを請う

 此れ言うのは麗しく未だ若く有り美しい者也

 

 乃ち磐戸細く開き之(これ)窺う是時(このとき)而(に)
 天手力雄神、磐戸の側に侍(はべ)る

 則(すなわ)ち之(これ)引いて開ける者(は:短語)
 日の神の光が六合(りくごう)に於いて満ちる)

 

古事記と日本書紀本文と一書第三の文から考えて、

「暗くなった」のは「日食」とは関係ない様にも感じます。

 

「日食」であれば長い間夜の様な暗さになる事はないので、

他の原因が関係した結果の行為ではないかと推測します。

 

古事記の文の「吾、隠れて坐す而(に)因って、天原の為に

自ら闇を以て、亦、葦原中國皆闇、何を以て由とする」は、

「天原や葦原中國の皆の闇の為に天岩屋に入ったが、

闇になった理由は何だろうか?」と解釈する事が出来ます。

 

「暗闇が覆いつくす」様な状況はそうそう起こるものではありません。

 

しかし、古事記と日本書紀本文と一書第三の文を

同一の状況と考えるならば共通している事情があるはずです。

 

「日食」ではないと考えると、「火山の噴火」が考えられますが、

噴火の様な緊急事態が起きた様な、

状況が記載されていないので、違うのかも知れません。

 

となると、「日食」への恐れにより、

「日食」終了後に自分達の行いに悪い所が無かったかを

「天岩屋」や「天石窟」に入り瞑想していた可能性が考えられます。

 

△「あめのうずめ」との会話の不自然さ

 

あと、古事記と日本書紀本文には「あめのうずめ」に話を振っています。

 

古事記:

 

「天宇受賣者(は:短語)楽しむ為
 亦 諸(もろもろ)の八百萬神が咲く

 爾(なんじ)天宇受賣白(もう)して言う

 汝、命は貴神を益而(に)坐す

 故 歓喜して楽しんで咲く(喜ぶ?)」

 

日本書紀第七段本文:

 

「天鈿女命は何れ、此の者?乎(お)(口+虐)如く楽しむと云う」

 

なぜに「天宇受賣」に話を振ったのか?

 

それに、「闇」の事で悩んでいる「天照大御神」の話とは

繋がっていません。

 

日本書紀本文の「㖸」は「口で虐(しいたげる)」と解釈出来、

「(口+虐)如く楽しむ」とは不可解です。

 

▽朝日

 

古事記:

 

「故天照大御神出坐之時 高天原及葦原中國自得照明」

 

(故 天照大御神出て坐す之(この)時
 高天原及び葦原中國自ら照らす明るさを得る)

 

日本書紀一書第三:

 

「則引開之者 日神之光 滿於六合」

 

(則(すなわ)ち之(これ)引いて開ける者(は:短語)
 日の神の光が六合(りくごう)に於いて満ちる))

 

朝日の昇る時間帯に天岩屋・天石窟を出て来た結果、

朝日を浴びて、神々しい様に見えたと言う事だと思います。

 

記紀は「フィクション」ではなく「ノンフィクション」なので、

天照大御神と言う人物が領地を照らす事は出来ないので、

朝日が昇った時間まで瞑想していたのだと考えます。

 

しかし、「自ら照らす明るさを得る」と表現しましたが、

「闇」には「先代の天照大御神の死去」との関係性を考えると、

もしかすると、「世代交代」も可能性としてあるようにも思えます。