□14神
▽八十禍津日神
古事記:
「於是詔之 上瀬者瀬速 下瀬者瀬弱而 初於中瀬堕迦豆伎而滌時
所成坐神名 八十禍津日神【訓禍云摩賀 下效此】」
(是於(これお)之(これ)詔(みことのり)す
瀬の上者(は:短語)速瀬、瀬の下者(は:短語)弱瀬
而(なんじ)中瀬而(に)於いて初めて堕ち、
迦豆伎(かずき)滌(あら)う時
坐る所から神名八十禍津日神(禍の訓は摩賀と云う)成る)
日本書紀:第五段一書第六
「遂將盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬是太疾 下瀬是太弱
便濯之於中瀬也 因以生神 號曰八十枉津日神」
「将に遂に身の汚れた所之(これ)盪(うご)いて滌(あら)う
乃ち興して言い曰く
上の瀬は是(これ)太く疾(はや)い
下の瀬は是(これ)太く弱い
便(すなわ)ち中の瀬に於いて之(これ)濯ぐを以て
神生まれ因って號(よびな)八十枉津日神と曰(い)う」
古事記と日本書紀の記事は大筋では一致しています。
△読み
読みに関しては「やそまがつひ」だと思われます。
△迦豆伎
古事記の「迦豆伎(かずき)」を「被衣」と解釈すると、
「中流の浅瀬の所で被衣を滌う」と言う意味になります。
「上瀬」、「中瀬」、「下瀬」は、記紀の両方の内容から、
「上は速く、下に行くにつれて遅くなる」条件に
一致するのは「滝」ではないかと思っています。
「瀬」は「人が通る事が出来る浅瀬」なので、
記紀両方の記事は、上流の滝から流れる水の音を
聞きながら、流れの弱くなった中流まで下り、
そこで、汚くなった衣服を洗濯した事の話だと推測します。
ちなみに「禊」とは無関係です。
△「禍」と「枉」
「八十禍津日神」と「八十枉津日神」の神名の意味を
考える上で重要になりそうなのが「禍」と「枉」です。
「禍」は「示(いけにえの台)」+「咼(穴が開いた骨)」で
形成され、神に問い「骨」で卜うと言う意味に解釈出来ます。
次に「枉」は字源が見つかりませんでした。
訓読みでは「ぬれぎぬ」や「むじつのつみ」とも書かれます。
人物像をとしては、
「骨によって多くの人々に悪い事が起きるかを卜う」
人物ではないかと推測しています。
ただ、「八十禍津日神」は上記の様に解釈出来ますが、
「枉」の訓読みである「ぬれぎぬ」や「むじつのつみ」と
どの様な関連性があるのか不明です。
参照:№40 「禍」 : Dr漢字のblog
http://blog.livedoor.jp/gaus2040/archives/1057248361.html
▽大禍津日神
読みは「おおまがつひ」となりそうです。
日本書紀には登場しません。
古事記には「八十禍津日神」と「大禍津日神」の下に、
二人の説明が追加で記載されています。
「此二神者 所到其穢繁國之時 因汚垢而 所成神之者也」
(此の二神者(は:短語)其の穢れが繁り國の所に到る時
汚や垢(あか)而(に)因って成る所の神の者也)
「穢れが繁り」を、繁殖能力が高い「イネ科雑草」の繁りと
考えれば、相当深刻な問題だったと思われます。
そして、次の「汚や垢(あか)而(に)因って成る」は、
あまりにも増えすぎた「イネ科雑草」を除去する為に
指名されたのが二人だったと考えています。
しかし、なぜ、「禍」の漢字を使ったのか?
「骨卜」と「雑草除去」の二つの仕事を行っていたという事だろうか?
▽神直毘神、大直毘神、伊豆能賣
読みは「かみなおび」、「おおなおび」、「いずのめ」
と思われるが情報が不足し判断が難しいです。
古事記:
「次爲直其禍而所成神名 神直毘神【毘字以音 下效此】
次大直毘神 次伊豆能賣【并三神也伊以下四字以音】」
(次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名神直毘神
次に大直毘神、次に伊豆能賣)
※「并三神也」の書かれた場所が不自然です。
日本書紀:
第五段一書第六
「次將矯其枉而生神 號曰神直日神 次大直日神」
(次に其の矯(た)めて枉(ま)げて將而(に)神生まれて
號(よびな)神直日神と曰(い)う、次に大直日神)
第五段一書第十
「于時 入水吹生磐土命 出水吹生大直日神」
(水に入る時于(に)吹いて磐土命生まれ、
水から出て吹いて大直日神生まれる)
このように、比較すると一書第十の「水に入る」は、
他のと混合している様に見えます。
あと、「毘」→「日」への変更の妥当性と、古事記の「禍を直す」と
日本書紀第五段一書第六の「矯(た)めて枉(ま)げる」は
根本的に違うのではないか?と疑問になります。
「禍を直す」は「大禍津日神」の後の仕事で、
「雑草除去」後に開いた穴を土で埋めて整地する意味と考えます。
しかし、「矯(た)めて枉(ま)げる」は弓の製作の様に、
「竹を反らして固定し曲げる」と解釈すると、
古事記の内容とは大きく異なる事になります。
日本書紀一書第十の「水から出て吹いて」は、
前の二つに「水」は関係ないので、どうして、
この文になったのか不思議です。
次に「毘」→「日」への変更は違うように思えます。
古事記でも「八十禍津日神」と「大禍津日神」とで、
「日」を使っていますが、
「神直毘神」と「大直毘神」では「毘」を使って分けています。
つまり、理由があって「毘」を使っている可能性が高いと考えられます。
「毘」を調べると「助ける」と言う意味もあるようで、
「八十禍津日神」と「大禍津日神」を補佐し助けていたとも
解釈する事が出来て「日」とするのはやはり間違いかも知れません。