国生み~大国の存在の記紀総括49-第三の神名誕生3- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

□14神

 

▽八十禍津日神

 

古事記:

 

「於是詔之 上瀬者瀬速 下瀬者瀬弱而 初於中瀬堕迦豆伎而滌時

 所成坐神名 八十禍津日神【訓禍云摩賀 下效此】」

 

(是於(これお)之(これ)詔(みことのり)す

 瀬の上者(は:短語)速瀬、瀬の下者(は:短語)弱瀬

 而(なんじ)中瀬而(に)於いて初めて堕ち、
 迦豆伎(かずき)滌(あら)う時

 坐る所から神名八十禍津日神(禍の訓は摩賀と云う)成る)

 

日本書紀:第五段一書第六

 

「遂將盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬是太疾 下瀬是太弱

 便濯之於中瀬也 因以生神 號曰八十枉津日神」

 

「将に遂に身の汚れた所之(これ)盪(うご)いて滌(あら)う

 乃ち興して言い曰く

 上の瀬は是(これ)太く疾(はや)い

 下の瀬は是(これ)太く弱い

 便(すなわ)ち中の瀬に於いて之(これ)濯ぐを以て
 神生まれ因って號(よびな)八十枉津日神と曰(い)う」
 

古事記と日本書紀の記事は大筋では一致しています。

 

△読み

 

読みに関しては「やそまがつひ」だと思われます。

 

△迦豆伎

 

古事記の「迦豆伎(かずき)」を「被衣」と解釈すると、

「中流の浅瀬の所で被衣を滌う」と言う意味になります。

 

「上瀬」、「中瀬」、「下瀬」は、記紀の両方の内容から、

「上は速く、下に行くにつれて遅くなる」条件に

一致するのは「滝」ではないかと思っています。

 

「瀬」は「人が通る事が出来る浅瀬」なので、

記紀両方の記事は、上流の滝から流れる水の音を

聞きながら、流れの弱くなった中流まで下り、

そこで、汚くなった衣服を洗濯した事の話だと推測します。

 

ちなみに「禊」とは無関係です。

 

「禍」と「枉」

 

「八十禍津日神」と「八十枉津日神」の神名の意味を

考える上で重要になりそうなのが「禍」と「枉」です。

 

「禍」は「示(いけにえの台)」+「咼(穴が開いた骨)」で

形成され、神に問い「骨」で卜うと言う意味に解釈出来ます。

 

次に「枉」は字源が見つかりませんでした。

 

訓読みでは「ぬれぎぬ」や「むじつのつみ」とも書かれます。

 

人物像をとしては、

「骨によって多くの人々に悪い事が起きるかを卜う」

人物ではないかと推測しています。

 

ただ、「八十禍津日神」は上記の様に解釈出来ますが、

「枉」の訓読みである「ぬれぎぬ」や「むじつのつみ」と

どの様な関連性があるのか不明です。

 

参照:№40 「禍」 : Dr漢字のblog
http://blog.livedoor.jp/gaus2040/archives/1057248361.html

 

▽大禍津日神

 

読みは「おおまがつひ」となりそうです。

 

日本書紀には登場しません。

 

古事記には「八十禍津日神」と「大禍津日神」の下に、

二人の説明が追加で記載されています。

 

「此二神者 所到其穢繁國之時 因汚垢而 所成神之者也」

 

(此の二神者(は:短語)其の穢れが繁り國の所に到る時

 汚や垢(あか)而(に)因って成る所の神の者也)

 

「穢れが繁り」を、繁殖能力が高い「イネ科雑草」の繁りと

考えれば、相当深刻な問題だったと思われます。

 

そして、次の「汚や垢(あか)而(に)因って成る」は、

あまりにも増えすぎた「イネ科雑草」を除去する為に

指名されたのが二人だったと考えています。

 

しかし、なぜ、「禍」の漢字を使ったのか?

 

「骨卜」と「雑草除去」の二つの仕事を行っていたという事だろうか?

 

▽神直毘神、大直毘神、伊豆能賣

 

読みは「かみなおび」、「おおなおび」、「いずのめ」

と思われるが情報が不足し判断が難しいです。

 

古事記:

 

「次爲直其禍而所成神名 神直毘神【毘字以音 下效此】

 次大直毘神 次伊豆能賣【并三神也伊以下四字以音】」

 

(次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名神直毘神

 次に大直毘神、次に伊豆能賣)

 

※「并三神也」の書かれた場所が不自然です。

 

日本書紀:

 

第五段一書第六

 

「次將矯其枉而生神 號曰神直日神 次大直日神」

 

(次に其の矯(た)めて枉(ま)げて將而(に)神生まれて

 號(よびな)神直日神と曰(い)う、次に大直日神)

 

第五段一書第十

 

「于時 入水吹生磐土命 出水吹生大直日神」

 

(水に入る時于(に)吹いて磐土命生まれ、
 水から出て吹いて大直日神生まれる)

 

このように、比較すると一書第十の「水に入る」は、

他のと混合している様に見えます。

 

あと、「毘」→「日」への変更の妥当性と、古事記の「禍を直す」と

日本書紀第五段一書第六の「矯(た)めて枉(ま)げる」は

根本的に違うのではないか?と疑問になります。

 

「禍を直す」は「大禍津日神」の後の仕事で、

「雑草除去」後に開いた穴を土で埋めて整地する意味と考えます。

 

しかし、「矯(た)めて枉(ま)げる」は弓の製作の様に、

「竹を反らして固定し曲げる」と解釈すると、

古事記の内容とは大きく異なる事になります。

 

日本書紀一書第十の「水から出て吹いて」は、

前の二つに「水」は関係ないので、どうして、

この文になったのか不思議です。

 

次に「毘」→「日」への変更は違うように思えます。

 

古事記でも「八十禍津日神」と「大禍津日神」とで、

「日」を使っていますが、

「神直毘神」と「大直毘神」では「毘」を使って分けています。

 

つまり、理由があって「毘」を使っている可能性が高いと考えられます。

 

「毘」を調べると「助ける」と言う意味もあるようで、

「八十禍津日神」と「大禍津日神」を補佐し助けていたとも

解釈する事が出来て「日」とするのはやはり間違いかも知れません。