国生み~大国の存在の記紀総括44-穢れと禊3- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

☆國とは?

 

 「吾者(は:短語)
  伊那志許米志許米岐(いなしこまいしこまいき)に

  到るに於いて國の穢れ祁理(ぎり)而(に)在り」

 

上記の文で「に到り國の穢れ祁理(ぎり)而(に)在り」

とあるが、「國」とはどの國の事なのか?

 

また、「祁理(呉音:ぎり、漢音:きり)」の意味は何か?

 

良く「穢れ」を「よごれ」や「きたない」の意味で使いますが、

「禾」+「歲​​​​​​」の漢字で出来上がっていて、

本来は「禾」が一年成長したと言う意味だったと推測しています。

 

字源は下記の通りです。

 

「歳」:「戉」(まさかり)+「步」(時間の歩み)。

    元は「戉」のみで、年の収穫又は年の祭祀を意味した。

    夏代に用いられた「年」(殷代以降の用法、「稔」に共通)の呼称。

 

    ※WIKIより

 

    まさかりでいけにえを裂いて、1年ごとに祭る儀式を意味

 

    ※参照のサイトより

 

参照:「歳/歲」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
https://okjiten.jp/kanji1335.html

 

他に意味を見ると「穀物、特に稲。また、稲が実る事」、

「季節」、「穀物のできぐあい」もあるようです。

 

字源から考えると「伊那志許米志許米岐」に行ったら、

國の禾が成長し大変な事になっていたと解釈出来ます。

 

この場合の國は「伊邪那伎大神」が政(まつりごと)を行っている國で、

伊那志許米志許米岐」は「穀倉地帯」と考える事が出来そうです。

 

裏を見ると、この「穀倉地帯」は現在の様に常時管理されておらず、

自分たちが苗を育て田植えをして収穫するスケジュールが、

出来て居れば、禾が歳をとったと感じる事はなかったと思います。

 

つまり、「野生の稲」もしくは野生稲の実を低湿地帯に蒔く手法の

縄文稲作だったのではないかと推測されます。

 

次に「祁理(呉音:ぎり、漢音:きり)」について考えます。

 

検索しても情報が皆無でしたが、

ニュアンス的に「地名」の様にも思えます。

 

古事記の「天之若日子」の葬式の場面で、「我子者不死有祁理

我が子者(は:短語)祁理(ぎり)にて不死(しなず)に有り

と記載があります。

 

この場面の「祁理」も「此二字以音、下效此。」と指定され

「ぎり」と読み同じような使われ方をしています。

 

他には神武天皇の箇所で「多祁理宮(たぎりみや)」とあり

全て「音読み」するという点で一致しています。

 

しかし、何を指す単語なのかは現時点では分りません。

 

今後の情報に期待します。