※長文で推理に不備もあるかと思いますがご了承ください。
自分の祖先さがしをしていた時、ある一冊の本を見つけました。
葬られた王朝―古代出雲の謎を解く 梅原猛著 (新潮文庫)
この本をきっかけに、古代史関連の本を買いました。
そこで、浮かび上がったのが、九州政権。
元々、現在の歴史には少々裏になにかあるのではないかと、
感じていました。
九州政権の存在が浮上した時には、ワクワクしました。
その話はおいおい書いていくとして、今回は、
出雲風土記の謎の部分を見ていきます。
意宇郡の二例を書き出してみます。(一部省略しています)
母理郷 所レ造2天下1大神、大穴持命、越八口平賜而、
還坐時、来2坐 長江山1而詔、我造坐而命國者、御皇孫命、
平世所レ知依奉。但、八雲立出雲國者、我静坐國、青垣山廻賜而、
玉珍置賜而守、詔。
訳:天の下所造らしし大神(あめのしたつくらししおおかみ)、
大穴持命、越の八口を平(たひら)げ賜ひて還り坐す時に、
長江山来座して詔りたまひしく、我が造り坐して命らす国は、
皇御孫(すめみま)、平(たひら)けく世所知らせと依せ奉る。
但、八雲立つ出雲の国は、我が静まり坐す国と、青垣山廻らし賜ひて、
玉珍置き賜ひて守りたまふ、と詔りたまひき。
拝志郷 所レ造2天下1大神命、将レ平2越八口1 為而幸時、
此処樹林茂盛。尓時詔、吾御心之波夜志、詔。
訳:天の下所造らしし大神(あめのしたつくらししおおかみ)、
越の八口を平(たひら)げむと為て幸(いで)ましし時に、
此処の樹林茂盛れり。尓の時に詔りたまひしく、
吾が御心の波夜志と。詔りたまひき。
越の八口というと、
ほとんどが戦って還ってくるという捉え方をしていました。
でも、本当なのだろうか?と疑問に思いました。
そこで、本を買って調べてみると、話の流れからして違うと感じました、
まず、仮に戦勝だと考えた場合、なぜ、喜んでいないのでしょう。
大物の敵に勝ったのならなおさらではないでしょうか?
また、大穴持命が還ってきた時に話す言葉にも現れています。
我が造り坐して命らす国は、皇御孫(すめみま)、
平(たひら)けく世所知らせと依せ奉る。但、八雲立つ出雲の国は、
我が静まり坐す国と、青垣山廻らし賜ひて、
玉珍置き賜ひて守りたまふ、と詔りたまひき、と
これが、戦勝して帰ってきた言葉でしょうか?
訳について、個人的な見解は、
越の八口→交通の要衝で九州北岸から東岸にかけての
豊前海岸あたりに、古代存在していたであろう難波の大渡の場所に、
大穴持命は、意宇郡から、天の国会議に現状報告をしに
言ったのではないかと考えています。
その時に、言われたのが、もっと開拓?せよと言われて
自分は意宇郡を守護しますと宣言したのではないかと思います。
拝志郷に関しては、会議に出席する為に移動の時ではないかと推測
二つ目に感じたことは、天という漢字と記紀で
初期に出て来る神が目枝つような気がします。
九州王朝以前の九州に天国(あまくに、あめくに)が
存在したと古田武彦さんの本で、読んであり得ると感じました。
そこで、出雲風土記で天の字が多いということは、
大穴持命は新天地に、人口過多で土地が少ない国土を増やすために
派遣されたのでは?と推測しました。
上記の二点ののほかには、
記紀とは別な須佐乃乎命(本家本元と推測)も登場しますが、
それはおいおい研究して行きたいと思います。