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自分を生きる

自分を生きること、アドラーの勇気づけ子育て、子供の英語教育、マインドフルネス について

先週の日曜日、自宅で英語会の日でした。


昨日で3回目。12月から開催して、3回目か〜。感慨深い。既に。笑


今回は、ほぼほぼ1ヶ月前からネタは考えていたのだけど、ケータイに曲を入れ忘れていたりして、ちょっと途中グダッてしまい、


終わった後に、あーもうやっぱりクオリティひっく!て思われたかなーと思ってしまった。


また勝手な自己解釈。


なので、昨日の夜、ちょっとズーンとした気持ちでいたのだけど。


こんかいは、


「あ、今自分落ち込んでる」と気づけたし、


落ち込んでることや、その理由をとにかく忘れよう忘れよう、違うこと考えようってしてることにも気がついた。


だから、ちゃんと向き合おうと思って、ノートを広げたのだけど、


心の中にはちゃんとあるはずの、気落ちしている原因たち


もうそれがなんなのか、頭の中ではわかっているのに、


ノートになかなか書き出せませんでした。


自分の嫌なことに向き合うのは、自分にとってこんなに苦しいのかと、びっくりしました。


同時に、どれだけ今まで、感じていても、見ないふりをしてきていたのかと思いました。


なんとかようやくノートに書いたのは、


・無償でやっているとはいえ、こんなクオリティのものでは、毎月声をかけて開催するのは迷惑なのではないか(断るのも大変だろうし)


・やっぱり、個人でやる教室はこんなレベルだよなと思われたかもしれないな…(その後、英語での学童に入れるや入れないやの話になったので)


・もう、そろそろやめたほうがいいかな。
微妙って思われたままやるの、恥ずかしいな。


ということ。


完全に自信を失っていました。
実施後に、ママ友達からのラインで、
「ほんっとに毎回クオリティ高い!そして楽しい!」
「親もそばで一緒に勉強できて、帰ってからも復習できるからいい!」
「消極的な我が子が今回は自分から輪に入って歌ってたりした〜!これもひとえにYuko先生のおかげ!」
というありがたすぎるコメントをもらっているにもかかわらず。笑


なかなかノートに書き出せなかったのは、


自分にはできる!って自信持って始めたし、私が自分で唯一自信を持てる分野だったから、そこで「自分にはやっぱり無理なのかも」という思いに、向き合うのが怖すぎたんだと思います。


けど、書き出したことによって心に溜まってしまっていた気持ちが外に出たからか、
その下にあった本当の気持ちが、じわじわでてきました。


ママ友からあんなに評価してもらえているのに納得できないのは、まだまだ私はできる、もっといいものを提供できる!と思っているということなんだということにも気がつけました。


そして、幸いなことに今回の私はちゃんと、
このネガティブな気持ちは一時的なものであることをわかっていたし、
こういう気持ちを抱いてしまうこと自体を否定したりすることもありませんでした。


そうかそうか、「今は」そう思っているんだね、と、気持ちを認めてあげて


本当は、どうしたい?と、自分に聞いてあげることもできました。


本当にやめたいと思っているかというと、そうではない。まだまだやりたいこと、試してみたいことがいっぱいある。


そんな風に、少しずつプラスの方向に思考が向いて行くうちに、


自分が思い描く一番の理想の先生には、今すぐにはなれないかもしれないけど、


少なくとも今目の前にいる子供達や、お母さんたちに真剣に向き合って、私が今提供できるものは全て出し切ってあげたいという思いが湧いてきました。




最初は、「私が」やりたいから、やってみたいから始めたこの英語会(兼お茶会。笑)。


3回実施させてもらったことで、参加してくれる10人くらいの子供達一人一人を相手にして、


当たり前だけど、
一人一人違った個性を持っていることにあらためて気がつき、


そして、それがどんな個性であっても、


もしかすると、親としては、直したかったり、心配してしまうような個性かもしれないけど、


私にとって彼らの個性は、どれをとってもひとつひとつが、もうどうしようもないくらいに可愛くて可愛くて仕方がないという事実に、


ひっそりと感動していました。


だからこそ、そんな可愛い彼ら一人一人と、真剣に向き合って、英語という領域で、私が彼らにしてあげられることは、全部してあげたいと、心の底から思いました。




私はこれから、本当にどうなるのだろう?
全く見えないですが、まずは目の前のことに、一生懸命になろうとおもいます!