樹景 (辛夷 第七合同歌集より)昭、六一~平、二年 (五一~五五歳)作
風のこえ
ひと夏の疲れた耳を森におく朴の実ゆっくり熟しはじめる
庇うわれ捨身のわれをひとつ身に病み重ねつつ燃えいるいのち
うつうつと素直にさせてくれぬ日を煮物の蓋がこきざみに鳴る
稲首の延び上る夏真盛りあわあわと居る胸つきあげる
カルミア
真夏日のぱりっと乾くシーツ二枚迷いもともに晒されていつ
すこしずつ風が風よび吹きすぎる秋へと静かに移る夕暮れ
言うも悔言わぬも悔とおもうとき言葉ことごとく風のようなる
明けはなつ窓に集まる夏の声どの子の喉か変りはじめる
娘の婚
吹き消し得るほどの炎とおもいしに五年の月日愛を育てぬ
頭よせ婚姻届けを書きとめる二人の背なの秋の陽まぶし
ふり返り胸に手をかざし発ちゆく娘 添う人があり海が待つなり
いつの日も心通わすふたりなれ冬の陽ぬくくその背包みぬ
初孫
家中にみどりごの泣く声あふれふっくり積れる雪ふるわせる
来れば疲れ来ぬとて疲るる絆なり夕やみ早き冬おとずれぬ
置きゆきしテープを聴ける午さがり喃語うながす娘の声の母なる
あとを追う幼がありて充実の娘が帰りたり日暮れ早まる
嫁ぐ娘と病みやすきわれを伴いて職終える夫 それぞれの岳やま
平成へ
平成へ移りゆくを見る一月七日松飾りはずれ弔旗あがりぬ(平成元年)
春くると怠惰なわれの耳を起すスノーダクトのささやく水音
めざす塔描かず来しゆえ挫折とも違うさびしさ雨が連れくる
降りつづき赤き血うすめる雨のおと本一冊が手に重くいる
息の表札
力たくわえふところを出る汝の婚家族に加えしはるかなる日よ
子離れの儀式ともおもう結婚式喉までの昂りのみこみて坐す
息の表札書きて掛けきぬ子離れの準備ととのう朝からの雨
母と呼ばせ抱きしめるように育てし子いつしか先を行くに従う
子二人の婚の写真を壁につりふたりで向き合う朝夕の卓
生さぬなれど育てし証を握るように息に授かりしみどり児を抱く
つくづくと雛のお顔を見て選ぶ父になりたる息とのひととき
きらきらと平成元年如月の十勝の峰みゆ みどりご衣里よ
漁火(函館)
しらしらと漁火ひとつまたひとつ消えて明けゆく津軽海峡
声あげて笑う幼を二度三度さし上げる窓に漁火がうごく
やわらかく掌の中にあるにぎり拳、泣きやむまでを唄う守りうた
ゆくゆくは消えゆく姓を継がんとぞ男の子産れたり北は花の季
ははの目で午睡の幼が画かれて秋がただようなかを届きぬ
来る度に基いのごとく付けてゆく背丈のしるし存在のしるし
満ちてくる日があるように思いつつ来しまぼろしの鳥をはなちぬ
しみじみと何も無きことをよしとする祈りのことば短くなりぬ
つかの間の人遠ざけて鳴くせみの夏やせの森芹の花咲く
腰の刀
読み聞かす桃太郎になりきる幼子の頭のはちまき腰の刀よ
鬼が島へ連れて行きたい人選に今日は外されし 幼の寝顔
幼子を土と遊ばせ夢想する遊びに飽いて戻りくるまで
サンダルを日がな鳴らせるオカッパの泣くを笑うを犬と見ている
揚げ花火
揚げ花火川面をゆらし開くなりさかさ花火のあえかなりしよ
人を恋い人に疲れて黙しおりあまえる犬の鎖ときやる
夏ですと折込みちらし十九枚あざやかに明るく金曜日の朝
はたはたと竿に袖通すトレーナー夕立の掃射の標的になる