草木の声 (短歌)4 | 草木の声 (短歌)

草木の声 (短歌)

母の短歌をまとめました 興味のある方はどうぞご覧ください

防風林 (辛夷 第六合同歌集より) 昭、五六~六〇年 (四六~五十歳)作

 

 

この平穏を

 

陽が登り開く花あり閉じる花あり数えるほどのこの平穏を

 

よろこびはひと跨ぎほどに菜を蒔きて日毎育つを待ちたることも

 

とめどなく失いゆくもの補うとやたら花数ふやしせばめぬ

 

はからずもきずつけ合いて生きているどの面ざしもやさしきものを

 

いかように生きても迷うわれの指紋うすれつつあると思いて立てり

 

(つつが)なきくらし裏切る(しこり)ひとつ描き来し未来あやうくさせる

 

そろいたる双の乳房を見おさめて湯けむりの中揺らぎて立てり

 

 

うす寒く乳房ひとつのかろき胸かき抱きつつ人にまぎれる

 

あるように痛む乳房の傷痕をさすりてねむる浅きねむりに

 

病む度に子が大きくなりていてもろき倖せつづけゆくなり

 

 

家紋

 

何気なく見てきし墓石の家紋いま重荷となせし父祖のおもいを

 

くりかえす盛衰のあとたどりつつ古りし過去帳書き替えるなり

 

誇れという父の記憶の遠くして(いた)ばかりの夫の少年期

 

なにを継ぐ誰が言うともなく寄せし娘への期待の重たかりしよ

 

 

いのちの電話

 

今まさに鳴りひびくベル試さるる吾とも思う「いのちの電話」

 

受話器より声になみだのにじむとき(したた)ようにわが耳を打つ

 

いつまでも続く沈黙の受話器重しわれの神経も試されている

 

長々と人憎むことば聴きしゆえねんごろに耳を洗いてねむる

 

短からず長からずとぞ行く方のいづれかなしき産れきしこと

 

 

 

夕焼け

 

さそう陽に(おの)が縛れる紐をとき風にゆれ伸ぶ野の草を摘む

 

(いさか)をこと更さけて来し吾のはげしき内部に風を当ており

 

どのわれも肯定し得ず頼りなく少し伸びきし爪を切りやる

 

生きることに執するわれと見守る(つま)と、無言に交す媒酌の席

 

影までも臆病になるわが生きのまとえる夕焼け身に染みるまで

 

亜麻の花母の記憶も淡あわと他人のように遠のきてゆく

 

()りて話題は前後し饒舌につづまるところ死を競うあう

 

歌のメモ広告の裏がわれに合い捨てやすし寂しきうたばかりなり

 

 

娘の背なに

 

娘は背なに園児のざわめき付け帰り緩やかに今わが子に戻る

 

電話とり園児とかわす娘の声のやさしさ ははにも見せざる顔で

 

希うがに臥し床にとどくピアノ曲わがい寝るまで弾きつづけよ

 

明日ゆえの心づもりの子離れは進まざるままに わが長き影

 

 

夫の定年

 

(つま)ただ心かよわせ来しわれの名が呼ばれいる受彰式場

 

(つつが)なく生き来しような錯覚をおこす拍手に立ち並ぶわれ

 

定年の貸与(たいよ)服からはずされし手箱の中の階級章

 

ヘリよりのちいさき屋根がわが機軸たしかめ合える記念飛行

 

ネクタイを贈られ再び職につくためらう五月の風舞う中へ