何か嫌な予感がした。

 

 なんだろう?この吹き抜けるような冷えきった感覚は・・・。

 

 俺はコンクリートの素っ気ない薄暗い通路を一人で歩き続け、煌々と蛍光灯の灯った中央集中管理ルームに近づいて行った。

 

 短い階段を上り、中央集中管理ルームのドアの前に着くと、俺はセキュリティカメラに目を向けた。

 

「俺だ。山田だ」

 

 すると電子錠のランプが赤に変わり、そしてドアが手前側に開いた。

 

 中に入ると部屋の奥の方に篠原はいた。こちら側に背を向けていた篠原は白衣の上に、金属のリュックの様なものを身に着けていて、これが例の心停止した時に、ハドロン加速器を暴走させる装置だとすぐに分かった。

 

 灰皿が吸い殻で山盛りになっていて、部屋中にたばこの煙と臭いが充満していた。

 

 篠原は振り返ると、ゆっくりとこちらに向かって歩き出し、霞んだ空気の中から、詳細な姿を現した。

 

 「山田君、やっぱり君だったのか・・・」

 

 「あっ」

 

 どこかで見覚えがあるが、思い出せない。いや、むしろ思い出したくない・・・。

 

 だが、閉じていた重い心の扉が、きしみながら開いていった。そして、そのすき間から醜い記憶が姿を現した。

 

「おまえ!まさか、あの篠原!・・・」

 

 そう。俺たちは高校時代に出会っていた。というより、俺たちは親友だったのだ。高校は違っていたが(当然、奴の頭の出来が数 段良かったので)、同じサッカー部で試合を通して親交を深めるようになり、やがてお互いの家を行き来するようにまでなっていた。彼と友達だったことは俺に とって何よりも誇りだった。静岡一の進学校で、頭もよくて顔もよくて、男女のどちらからも憧れられた。自慢の友達だった。

 

だが・・・それなのに・・・。

 

「なぜ、俺から未希を奪ったんだ。なんで未希にあんなひどい事を・・・」

 

 俺の心の奥底に閉じ込めていたドス黒い感情が、急激に湧き上がってきた。

 

 そう。篠原は、高校時代に俺の彼女を奪っていった。だがそれだけでは無かった。もし、彼女を奪われただけなら、俺自身のふがいなさも含めてなんとか自分を収めることも出来たであろう。だが篠原は、人としてやってはいけないことをしたのだ。

 

「未希ちゃんか・・・。山田君が惚れたという女性がどれほどのものか興味を持ったんだけど・・・とてもガッカリだったよ。だからさ、山田君のためにも、これ以上近寄らないように、ネットで晒してやっただけだよ」

 

篠原は、未希の全裸をネットにさらしたのだ。そして未希は地元にいられなくなり高校も辞め、他県に越していった。それ以来、俺は未希にも篠原にも会わなくなっていた。

 

「篠原・・・お前を理解できなくて人間不信になって・・・俺自身かなり落ち込んだよ。そして気持ちが落ち着いた頃にやっとお前に対する憎しみが湧いてきたもんだよ」

 

「山田君。俺と君は原子と電子のような存在かもしれないね? 山田君は原子と電子の距離はどれくらい離れているか知っているかい?」

 

「は?篠原・・・お前、話を誤魔化すんじゃねえよ!」

 

篠原は、俺の言葉を聞き流すかのように話し続けた。

 

「原子をノミ程度の大きさだとしたら・・・電子は大きな体育館の周りを周っているくらいの距離や空間が存在するんだ」

 

「だから、なんなんだよ?」

 

「山田君と俺との間にはね、それくらい離れた距離にあるのに、実は特別なつながりがあるんだよ。原子と電子のようにね」

 

 もしこの後、俺がまだ生きていたら、あるいは篠原の言った言葉が正しかったことを納得していたかも知れない。だけど今の俺にはそんなこと分かるはずも無かった。

 

「ふざけんな!誰がお前なんかと・・・」

 

「運命・・・なんだよね。君がここに来たことでハッキリと感じたよ・・・」

 

篠原はそうつぶやくと、鉄格子の窓からハドロン大型加速器の陽子が通る大きなパイプに目をやった。

 

「山田君、そろそろ決着を付けようか?」

 

 

 

続きまっせ-

735分。

私は、いつものバスに乗り、いつものシートに座り、いつもの窓越しに流れていく景色を眺めながら通勤をしています。

永遠に変わることなく繰り返されるかと思われるような、このバス通勤も、何年もしていると、人が気づかずにいつの間にか老いていくのと同じように、少しずつ変化を感じたりします。

 たとえば、買ったばかりの学生服に身を包んだ新米高校生も、少しずつ大人の顔に近づき、やがて同じような下級生がこのバスで通学するようになり、そして3年間見慣れた顔の高校生たちは、このバスからも卒業して、新たな歩むべき道へと旅立っていきます。

 他にも身の上話もしたこともないので、定かではありませんが、転勤してきたのであろう30半ばのサラリーマンが新たにこのバスの一員に加わったり、結婚でもしたのかちょっと顔立ちの良いOLらしき女性が急に姿が見えなくなって、特に恋い焦がれたという訳でもないのですが、バス通勤の楽しみが消えてがっかりしたこともありました。

 何年も何年もこうやって私はバス通勤をして、奇遇にも寄り集まった人々の人生に触れ合いながら、何事もないバス通勤をしてきた訳ですが、一つだけどうしても忘れがたい経験がありました。経験というよりも、私がこうやってバスの車内で見続けてきた、会話もしたこともない人々の中の、ある親子の思い出といいましょうか、人生というもののはかなさと、はかなさゆえに生きることの大切さを再認識させられた経験を少しだけ書き記したいと思います。

 その親子は、30歳前後のまだ若そうなお母さんと、4~5歳くらいの女の子でした。

 パトカーで満天の星空だけが輝いている真っ暗な山道を走り、スイスのジュネーブとの国境にある現場、例のハドロン大型加速器(正式には大型ハドロン衝突型加速器(LHC))のある施設に着いた。

来る途中、見上げた星の輝きがあまりにも美しく、俺はずっと窓越しに星々を見つめていた。

ふと、もしかしてこれが見納めになるのか、それどころかブラックホールが本当に発生してしまえば、あの星までも消滅してしまうのか・・・そう思うと、とてつもない恐怖を感じ、鳥肌が立った。

 空港から一緒だったローラン刑事は施設の非常用出入り口で別れ、代わりに国際刑事警察機構(俗に言うインターポール)のトビアス刑事が案内役となって、俺と井畑さんを地下100メートルにあるハドロン大型加速器の第二監視所まで連れて行ってくれた。

施設の汗くさいヘルメットをかぶると、地下施設運搬用の昇降モノレールに乗り、その間トビアス刑事は事の状況を教えてくれた。やっと事件の詳細を知っている人間に出会えたのだ!

トビアス刑事は日本語が全く話せなかったので、英語と身振り手振りで俺たちに説明をしてくれたが、俺も井畑さんも片言の英語しか出来なかったので、理解するのにかなり苦労した。第二監視所に着くころにはトビアス刑事もうまく伝えられないはがゆさで若干キレ気味になっていた。

ここで初めて具体的な真相が分かった訳だが、状況はこうだった。

ハドロン大型加速器施設の「篠原」という日本人職員(実際には「CAERN」という機構が施設を管理しているのでそこの職員になるらしい)が、ハドロン大型加速器を勝手に暴走寸前まで稼働させ、中央集中管理ルームで立てこもっている。篠原は現在33歳。俺と同じ年齢だ。職員の中でもかなり優秀な部類に入り、容姿も端麗で人望もあったらしい。

だが、マリユスさんという同僚職員に恋をして告白を試みたもののあっさりフラれてしまった。自暴自棄となった篠原は、血迷った挙句立てこもってしまったということだった。そんな訳で篠原の要求はマリユスさんを呼んで来いとのことだったが、マリユスさんは篠原の片想いを一蹴した後、前から付き合っていた恋人と結婚をして現在新婚旅行中でアメリカに行っており、戻れないし戻る気も無いということだった。まあ確かに人生で一番幸せな時間を取り止めてまで戻ってくる奴はいないだろう。

 と言うか頭脳明晰だかイケメンだか知らないが、ハッキリ言って行動があまりに幼稚過ぎだ。究極のお坊ちゃま育ちなのだろうか?失恋ごときで一兆円の施設をパーにし、もしかしたら地球存続の危機すら招いてる篠原に情状酌量の余地は無いと思う。エリートなら幾らでもいい女が見つかるだろうに。こっちは不規則勤務に安月給。合コンに行っても警察ってだけで嫌がる女子もいるくらいだ。聞けば篠原の乗ってる車は、フェラーリだそうだ。ふざけ過ぎ。早くスナイパーが殺してくれないかなあと思ったが、ご丁寧に心停止すると自動でハドロン加速器が暴走するようになっているらしく殺すに殺せないらしい。人に迷惑をかけるところはキッチリ頭使いやがって。とにかくさっさと、死ねばいいのに!死ねばいいのに!

 脳内で何度も篠原に悪態を付いていると、トビアス刑事から篠原の立てこもっている中央集中管理ルームのスピーカーに繋がっているマイクを手渡された。

トビアス刑事は、とりあえず刺激しないように自己紹介だけしろと言い、俺はマイクに向かって篠原に話しかけた。無論彼にどんな憤りを感じていても、大人の対応くらいは分かっているつもりだ。

「篠原くん。俺は日本から来た山田という刑事だ。聞いての通り日本人で篠原くんとは同い歳らしい。きっと俺と篠原くんとは分かり合える部分が沢山あると思うんだ。少し落ち着いて話をし合わないか?」

 幾秒かの沈黙の後、俺たちのいる第二監視所の音声会議用スピーカーに、返答があった。

「日本人の刑事なんか、誰も呼んでない。マリユスを呼んで来いと言ったはずだ」

「今こっちの国の刑事が、マリユスさんを呼びに行っているから、それまで待っててくれよ」

「待てって?あと3時間で自動的に暴走が始まる。それがタイムリミットだ。止めるにはマリユスを俺の目の前に連れてくることだけだ」

 それは無理。アメリカにいるマリユスさんを3時間でフランスの片田舎まで連れ戻すなんて不可能だ。何この絶望的なシチュエーション。

 俺は悲壮な顔で後ろを振り返ると、井畑さんも同じ悲壮な顔をして少ない頭の毛を振り乱しながら、必死でトビアス刑事に英語で通訳していた。

俺は両掌を上に向けて、手におえないよ~の国際的なジェスチャーをしたが、トビアス刑事は話せ話せと俺にジェスチャー返しをした。井畑さんはその横で、振り乱した髪を手で整えながら、意味なくうなづいていた。

「と、とにかくまだ間に合うよ。誰も傷つけてないし施設も無事だ。ここは深く反省して一通り罪の償いを受ければ、篠原くんなら再出発して幸せになれるって」

 若干もう間に合わないのかなとは思ったが、口から勝手に言葉が出ていた。

「俺のことを全く知らないくせに出まかせを言うな」

 実際おっしゃる通りなので、見透かされているようであせった。

「そ、それじゃあ、ここは自己紹介と行こうじゃないか。俺は静岡から来たんだが出身は?」

「俺も静岡だ」

「同郷じゃないか。どこら辺に住んでいたの?もしかしてどこかで会っていたかもな」

「静岡にはいい思い出が無いから、思い出したくない」

 やっと話のネタを見つけたと思ったのに、スッパリと拒否されてしまい、言葉の返しようがなく困ってしまった。

「じゃあ、趣味くらいは教えてくれよ。俺は昔からサッカー好きで実はヨーロッパに来れてちょっと嬉しいんだ」

「お前、同い年だって言ってたな?高校はサッカー部だったのか?」

「そうだそうだ。はは。篠原くんもサッカー部だったのかい?一応静岡商業でサッカーやっててレギュラーだったよ」

 サッカーネタで話が膨らむかと期待したが、篠原からの返答が無くなってしまった。

何か言葉の地雷を踏んでしまったか?ついサッカーで名門の静岡商業の名を出したプチ自慢がまずかったか・・・。

数分後、篠原からの返答が戻って来た。

「山田・・・。お前だけこっちに来てくれ」

続きまっせ-