「失恋ビッグバン!」
‐今からおよそ137億年前‐
地元静岡のしがない公安刑事の俺が、まさかフランスへ犯人説得のために行くことになるとは夢にも思わなかった。
「おい山田、すぐにフランス行きの便に乗ってくれ。12時35分だから、新幹線を使えばギリギリ間に合う」
まさに通常勤務として署に出向いた朝だった。冗談としか思えない上司の言葉に、何がどうして・・・と突っ込みたいところだったが、張りつめた空気に、俺のただの興味本位で問答を繰り返す時ではないとひしひしと感じた。
その時点で俺が分かった唯一の事と言えば、ただの地方所轄に、警視総監が直々に電話を入れて指示を出したということだった。これは日本警察史上最もヤバい指示が出されたことだと容易に想像される。
すぐにパスポートを取りに家へトンボ帰りし、新幹線に乗り込み、関空のロビーで東京の公安警備局から来たという、50過ぎの井畑さんという刑事と合流し、会話らしい会話もないまま急いでフランスはパリ行きの旅客便に乗り込んだ。
飛行機が関空を飛び立ち安定飛行に入ると、力んでいた気持ちと身体を緩めるようにひとつ息を吐いて、俺と井畑さんは簡単に自己紹介をした。そして今回の任務について聞いてみた。
「とりあえずは・・・かなりヤバいらしい・・・」
まさにドラマに出てくる現場刑事のようなヨレヨレのトレンチコートを着た井畑さんは、公安本部から来たとはとても思えない、精彩のない声でそう答えた。俺みたいな若造の見立てでも、明らかに井畑さんはノンキャリア組のそのまた窓際の・・・という感じだった。警視総監直々の指令で同行する刑事が、こんな非力そうな刑事だとはますます気持ちがモヤモヤするばかりだった。
うっすらとハゲている井畑さんは、スチュワーデスからもらったおしぼりで密教のおまじないでもしているかのように素早い動きで、そのハゲ頭を何回も何回も両手で拭きまわし、そのまま顔をごしごしと拭くと、目の前の簡易テーブルに放り投げた。
井畑さんの目の奥に、なにか言い知れない悲壮感が漂っている。
「犯人は日本人だ。フランスとスイスの国境の地下100メートルにある、大型ハドロン衝突型加速器の施設の中でたてこもっているそうだ」
「な、なんですか?その・・・ハドロン・・・なんとかって言うの」
「君は聞いたことないのか?大型ハドロン加速器ってのは、原子核にある陽子同士を通常の自然界ではありえないエネルギー量で衝突させるんだ。未確認の素粒子の発見や、宇宙の起源の解明をするために実験する訳なんだが・・・使い方を誤れば陽子同士の衝突による衝撃でブラックホールが出来てしまう可能性もあるらしい」
何がやばいのか分からなかった俺にも、ブラックホールと聞いて、さすがにヤバそうな気がした。
「ブラックホールって!犯人がもしその大型ハドロン加速器ってのを暴走させると、ブラックホールができちゃうかも・・・ってことですか?」
「おい、もうちょっと静かに話せよ」
井畑さんはあたりのシートを見回した。
「まあそうなるのは、確率的にかなり低いらしいが、ほんとにブラックホールが出来たら核爆弾なんか線香花火みたいなもんだよな」
井畑さんは笑みを浮かべたが、それはまるで逃れられない絶望の淵でただ笑うしか術がない、その笑みだった。
井畑さんの目の奥になぜ悲壮感が漂っていたのか、納得できたのと同時に、なぜ、窓際の(と、言っても実際はどうか分からないが、どう見てもそうとしか思えない風貌だ)井畑さんと、人選ミスとしか思えないしがない地方刑事でしかもペーペーの俺が、その犯人説得のためにフランスヘ飛ぶことになったのか、何となく分かったような気がした。
「あの・・・つまり・・・俺達って・・・もしかしてスケープゴート(人柱)ってことですか?」
「・・・。まあブラックホールが出来ちまったらフランスにいようが日本にいようが同じだと思うけどな(ここで井畑さんはテーブルのフランスワインに手をかけぐっと飲み干した)。それに・・・大型ハドロン加速器っていうのは、1兆円の費用をかけて作った施設だ。もし交渉が失敗してすべて吹っ飛んじまったら・・・てことを考えると、自分のせいにされたくないから、どうでもいい俺たちみたいなのをよこしたのかもな」
「あ・・・」
うっかり、どうでもいい刑事として、俺まで含めて言ってしまった事に、申し訳なさそうな目をしたが、俺は手のひらを井畑さんに向けて、気にしないでの合図をした。
「でも本庁の井畑さんはまだ分かりますが、なぜ地方の刑事の俺まで呼ばれなきゃいけないんですか?冷静に考えたらおかしいじゃないですか?」
「そこらへんの細かい事は俺も分からないんだ。とりあえず現場について・・・ってことだな」
「そんな・・・」
何万人もいる日本の刑事の中で、まるでくじ引きで決めたかのように、なんの関係もなさそうな俺が選ばれた。そう思うと警察の組織の権力主義にだんだん腹が立ってきた。そして、その次に事の原因を起こした犯人にもムカついてきた。おれは犯人をすぐ射殺してしまえばいいじゃないですかと井畑さんに言ってみたが、だから俺も詳しくは分からないんだと、同じ言葉を繰り返されただけだった。
パリ空港に着くと、到着機のすぐ下にフランスらしくシトロエンのパトカーが出迎えていて、井畑さんと俺はすぐにパトカーに乗り込んだ。
「二ジカーン、クライデース」とカタコトの日本語で現場までの時間を教えてくれたのはフランス警察のローランという名の刑事だった。
ローラン刑事にも、現場の状況を聞いてみたが、「カーミダーケ、ネェ!」と返され、いわゆる「神だけしか状況は分からない」を言いたかったらしく、結局事態を把握している人間がいるのか、いたとしたでも誰なのか、全く分からずじまいだった。
続きまっせ-》