テレビのコメンテイターの中には、いかにも常識者ぶって理論的見解を述べる方がいらっしゃるけど、とてもうすらさむい!


信仰の自由、信仰の自由と二言目には『自由』を連呼するけれど、それは本当に正しい判断だと思って述べているのだろうか⁉

世の中に、真の自由なんてものは存在しえないと思うのだけど。

世の中に於いて、何かしらと関係をもち、共存を維持しようとしたら、たとえ宗教であっても一方的な解釈に支配された完全なる自由なんて認められるはずなどないと思う。


個人が信仰する事の自由がある程度認められるとしても、その行動や思想は制限されることもあるべきではないだろうか!

もし教祖が急に、『他の宗教を信じるものは危険なものだから排除することが正しい』と説いた場合、それは宗教の信仰として赦される行為となりえるだろうか!

そんな事は断じてないと思う。


もし教祖が、『誰かを生け贄して殺せば、未来永劫世界が幸せになる』と説いたら、それを黙って見過ごすことが正しいと言えるだろうか!

そんな事は断じてないと思う。

極論か一般論かの問題ではなく、物事にはケースバイケースの立場が必要になるはずだと思います。


カルト集団が集団自殺をする行為を私達社会は『信仰の自由だから』と認めているだろうか!

単純なコメントが、いかに下劣であるか述べる前に知識人としてわきまえて欲しいものだ。

現に、『キリスト教』の新しい解釈だとしても、キリスト教の中で認められるものでなければ、それは宗教として否定されているに近いのではないですか⁉

まして、信仰に新しい解釈を加味したとしても、宗教にそれが必要だろうか?


それはただの個人理論にしか過ぎないように思います。

もしこの時代に、『宗教の為に戦争をするべきだ』と説いた場合、それは正義だと迷わず言えるだろうか⁉

世界史で教わる十字軍は、奪還したと習ったけど、今の世の中に通用するのであれば、ウクライナの平和を奪還する為に今すぐ立ち上がって欲しいぐらいです。

行為を避難すること、そしてその行動を認めないと述べる自由も権利として認められるものだと思いますが、そこをどのように感じているのでしょうか❔

チープな常識論なんて、結局何も助けないし、何も産み出さないし、何も解決しないと思います。


あぁ~腹がたつ!