


いつもの家の角に、いつもの芙蓉の花が咲いていました。
毎年会える喜び
今年も会えた歓び
繊細で艶やか。瑞々しくて華やか。
どっしりとしていて、しなやかな佇まい
爽やかに陽に映えて、軽やかに風に揺れています。
私が愛する男の子のイメージに溢れています。
そう、花盛りの時とは何にも替えがたい美しさを含んでいますね!
確かに比べることのできるものや時があるから、そう思うことでもあります。
だからこそ、そんな時を愛でることは至福であって当然ではないでしょうか⁉
だからこそ、そんな時間を切り取った瞬間を愛でることは美徳ではないでしょうか⁉
ここからは、多少ゲイ的要素を含んでいます。
気になる方は、また別のお話で御会いしましょうね!
さて、そんな男の子を愛でる方法、手段、感情も色々あります。
それは、人や物を《好き》と表現する位あるのではないでしょうか。
だから、そんな感情に対して、対応する物も千差万別あると思います。
子供の頃は、男女の区別に違和感と否定を感じていました。
それが、友人やまわりの情報で《性的な視点》での判断、対象、評価等の基準が形成されたように思います。
今思うと、情報って有り難い面もあるし、ある種固定観念を植え付ける格好の道具でもありますね。
なんだか『性的な物は、好ましくないもの、下品なもの、恥ずかしいもの』という意識と知識が出来上がってしまいました。
でも何故でしょうね⁉
本来、そうなのでしょうか❔😢❔
色々なもの、色々な視点、色々な情報を手に入れると、決してそんな事はないと思ってしまいます。
芸術と呼ばれる絵画や彫刻を見ても、そう思います。
有るべき姿を有るべき姿で現せば、それは当たり前の姿だと思います。
美しいと見ることもできるし、いやらしいと見ることもできます。
先日過去に買った男性写真集を引っ張り出してみました。
理由は、『自分が死んだら、片付ける人が困るだろうか⁉』という点でした。
自分が恥ずかしいてかより、自分からすると、『自分らしい物かどうか』という点が気になっていました。
ちょっとずれた、おかしな発想ですよね!💦
それで思ったんです。
確かに昔の私が簡単に手に入れた物なんて、単に性的趣向を盛り上げる為のものだよね。
汚されていたり、傷つけたりして、隠微で卑猥なイメージを醸し出そうとしている。
でも性的な興味って、全てが“淫ら”や“隠微”や“卑猥”で片付けられるものなんでしょうか⁉
なんか変にねじ曲げられたある種のマインドコントロールのようにも感じます。
私が聞いて育った言葉と言えば、そんなレッテルばかりですが、それは必ずしも全てを象徴しているとは思えません!
何故日本は、マイナスなイメージばかりが表にあるのでしょうか❔😢❔
それらの言葉の意味を調べると、『不真面目でだらしのないさま』等となっています。
でも《エロティック》だったり《セクシー》だと、違うニュアンスが感じられます。
“性的な魅力”
魅力あるものは、素敵だと、何故言ってはいけないのでしょうか⁉
だって、そればかりが席巻するはずもないし、まして新たな基準や視点が生まれると思うのですが。
写真も絵画とは違った視点で《時間を切り取った芸術》でもあると思うんです。
確かに、性的な興味や興奮をそそる物もあるし、そんな時もあると思うけど、それ以外のものを切り捨てることもないと思うんですよね。
でも今の時代、色んな所に、色んな物が溢れているんでしょう~~
そう考えると、『本来、本当のアダルトの定義や範疇って何‼』って思ってしまいます。
人の感情が多面的であるように、欲望も性的な商品も門戸が広いんですよね。
だけど、その線引きには少々納得しかねます。
だって、花盛りの姿は見ていても明るい気分にしてくれるんですよね!
何か納得のいく物を手に入れたいと思う気持ちが溢れてきました。