根柢にあるのは仏教への関心 | おもに読書記録

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療養日記。

大学一年のときだったか、カーネギーの『道は開ける』という本を読んで、「自分がいままで哲学と呼んでいたものは、実は自己啓発というものだったんだ」と気づいて、まさに道が開けたような感覚があった。ぼくにも、自己啓発に多少興味のある時期があったということ。それから自己啓発系の本をたくさん読んだというわけでもなくて、そのあと『ラッセル幸福論』に出会ったのかな。確かに、『ラッセル幸福論』は、あまり哲学的ではないというか、自己啓発が好きな人でも理解しやすいと思う。実用的だから。ハウツー的要素が強い。『ラッセル幸福論』は、大学一年から二年にかけて、本を読まない自分にとっていちばん重要な本だった。赤と青と黄色で線を引っ張りまくり、書き込みをしまくった。いまもその本は本棚にある。いい思い出というか。

 

ぼくは、自分に哲学に縁があるとは思わなかった。高校のときから、森田療法の理論が、自分の価値観・人生観の根底を支えていたので、ぼくの考えていることだとか言っていることは、周りの人から「哲学的」と評価されることがしばしばあった。要するに、東洋哲学ということだろう。西洋の哲学なんて、森田療法を実践している自分にとっては諸悪の根源でしかないと思っていた。本気でそう思っていた。だから西洋の哲学にはまったく興味がなかった。

 

で、統合失調症になってから二年くらい経ったときに西田幾多郎の『善の研究』に出会った。素晴らしい出会いだった。で、自分の関心はやはり仏教だとか東洋思想にあるのだと思った。その少しあとに、ショーペンハウアーの哲学は仏教から強く影響を受けているという話を聞いて、いわゆる西洋思想にも少しずつ関心を持つようになった。