今回の人魚本は今年になって刊行された現代小説です。



「人魚姫」を翻案した作品を高校の文化祭で上演することになった演劇部。

数年後に母校の演劇祭で再演の話が持ち上がるも、人魚姫を演じた真砂(まさご)は大学生になった今、再び人魚姫にはなれない事情があり・・・。


 



「Blue」 

川野芽生(かわの めぐみ):著

(集英社 2024年1月刊)




冒頭は高校の演劇部のメンバーが、上演作品について議論したり、雑談したりの場面。

俺は、僕は、という会話だから無意識に男子高校生をイメージしますがみな女子です。

メンバーの中で一人称が「私」なのは人魚姫役に立候補した真砂だけ。真砂は男子ですが自身の性別に違和感があり、二次性徴抑制治療を受けています。

高校を卒業したらできるだけ早く性別適合手術を受けたいと考えていた真砂ですが、大学に入り、ある出来事から手術を迷うようになります。



演劇部が上演する「姫と人魚姫」は、海の上に出た人魚姫が船上の王女と出会い、一目惚れするというもの。美しく、それなのに悲しみと孤独に満ちている王女に人魚姫は惹かれます。

ところどころに挿まれる脚本の文章が美しく、舞台装置も興味深くて、小説の中での作品であっても「姫と人魚姫」を通しで観てみたくなります。

劇で人魚姫が王女に感じる気持ちが小説後半の真砂の心情とリンクしてきます。



自身と向き合うほど、心と体の乖離だけでなく他者との関係性にも悩む真砂。

人魚姫は人魚をやめて人間になることが良かったのか?

ありのままのあなたでいい、というのはある意味残酷な言葉かもしれません。



創作物に登場する人魚は、人の中の異質な存在、社会に溶け込むために改変したほうがいい何かを抱えた者の喩えで用いられることがあります。

真砂(のちに改名して眞靑)の場合は性別ですが、演劇部で関わったメンバーたちも世間のイメージする女性と自身のイメージとの間に齟齬や違和感を感じながら生きている様子です。

周りからは〝こじらせている〟とか〝若いときはそんなものだ〟とか思われがちだけれど、自分の感性に真っ直ぐな彼らが10年後、20年後にどう生きているのか、ぜひ続編を書いてほしいと思いました。



作中で、映画「パンズ・ラビリンス」に触れているのが嬉しかったです。好きな映画なので。

映画のラストシーンは人魚姫のそれを意識しているのでは、という指摘にはなるほどと思いました。また見返してみようかな。