政岡憲三(まさおか けんぞう 1898‐1988)は

おもに1930年代から40年代、

日本のアニメーションの初期において

アニメーション作家、監督、演出家として多大な活躍をしました。

彼が晩年に構想を練っていた作品が

アンデルセンの「人魚姫」のストーリーをベースにした

「人魚姫の冠」です。

結局アニメーションとして完成はしませんでしたが

多くの絵コンテやデッサンが遺されていて、

本書はそれらをフルカラーで収録したものです。

 

 

 

 

「政岡憲三『人魚姫の冠』絵コンテ集」

政岡憲三:著  萩原由加里:編著

(青弓社 2017年12月刊)

 

 

 

 

 

表紙の大きな目の少女が、主人公の人魚姫です。

裏表紙にも少し載っていますが

かなり細部まで描き込まれた絵コンテに驚きました。

余白部分には手書きで場面の説明や

カメラの回し方の指示が書かれています。

遺された絵コンテが途中から始まっているため

ストーリーの概要はわからないのですが

アンデルセンの人魚姫とほぼ同じと考えられます。

 

作者独自の場面もいくつかあり、

そのひとつが海の魔女が人魚姫と変わらないくらいの

若い女性であることです。

見た目もなかなか可愛いですが

舌を切り取ろうと人魚姫に迫る表情のデッサンは迫力ありました。

ほかに、人間になった人魚姫が王子と出かけた先の湖(?)で

裸になって泳ぐシーンもあります。

 

絵コンテは人魚姫が人間に変身するあたりから始まっているので、

前半部分にあったと思われる、人魚姫が海底のお城で

お姉さんたちと過ごしているような部分はありません。

つまり人魚の姿で描かれている絵は少ないわけで、

それが私としてはちょっと残念ではありますが・・・。

 

 

 

 

 

 

人魚姫が人間に変わって間もない場面には特に力が入っていて

王子に発見されて裸体を隠す場面、

運ばれた先の宮殿のソファで自分の足を改めて触って確かめる場面、

歩き出そうとして痛みに顔をゆがめる場面など

修正の線が何度も入れられた丁寧なデッサンがいくつもあります。

丁寧なだけに、けっこう生々しい感じもするヌードデッサン。

登場人物の表情もかなりリアルで、大人向けのようにも思えます。

1960年代の終わり頃に政岡憲三は後輩たちが働く東映動画を訪れて

この作品の構想を話したものの、周りはあまり好意的な反応ではなかった、

というようなことを巻末の解説で高畑勲氏が書いていましたが

確かに50年前の日本アニメにとっては

前例のない斬新なものだったかもしれません。

 

人魚姫が王子を刺すことをやめて

姉たちからもらった短剣を捨て、

海に飛び込む直前のシーンの余白には

「エロスとのわかれ」「アガペーに生きる」と書いてありました。

エロスは性愛も含む恋愛のような愛、

それに対してアガペーはキリスト教的な神の愛、

無償の愛、というような意味(かなり大雑把な解釈ですが)。

王子と結婚したい、そして不滅の魂を手に入れたい、という

人魚姫の欲望が「エロス」なのでしょうか。

人魚姫が寝所で王女と共に眠っている王子を見ながら

短剣をかざし葛藤する場面で、頭にのせていた冠が落ちます。

その冠がエロスの象徴?

わざわざタイトルを「人魚姫の冠」とした意味なども考えると、

やはり作者はこの作品を子ども向けのおとぎ話としてではなく、

広く一般の人たちにも見てほしかったのではないかと思います。

 

 

政岡憲三について、ほとんど知らなかった私ですが

この絵コンテ集と、萩原由加里氏の詳細な解説を読んで

「人魚姫の冠」を作者が頭の中でどのような形で動かしていたのか、

とても興味を持ちました。

また、姫や王子の服装に本作との共通点が見られるという、

小学館の教育雑誌の付録として作られた絵本

(人形とミニチュアセットを撮影したものを挿絵に用いている)も

機会があれば見てみたいです。

そして解説の最後に萩原氏も書かれていましたが、

いつかこの絵コンテをもとにして、現代のアニメーションで

「人魚姫の冠」を制作してくれる人が現れてくれることを、

私も願っています。