人魚伝説の多い国、イギリス。
以前、スコットランドに伝わる人魚の話を
ご紹介しましたが、
今回はアーサー王伝説で有名なコーンウォール半島の、
ゼノアという村に伝わる人魚伝説をご紹介します。

伝説について書かれている本がこちら。


「イギリス伝説紀行 巨人、魔女、妖精たち」
飯田正美:著
(松柏社 2005年5月刊)



著者はイングランド、ウェールズ、オークニー諸島を巡って
そこに伝わる民話の数々を本書で紹介、
古くから語り継がれてきた話の背景に想いを馳せ、
自らの感想とともに解説しています。


ゼノア村の人魚伝説は、村のゼノア教会(正式名称は
セント・セナラ教会)にある「人魚の椅子」にまつわるものです。
その伝説とは・・・


何百年もの昔、一人の美しい女性がこの教会のミサに
度々やって来て、皆と一緒に讃美歌を歌いました。
女性の歌声はこの世のものとは思われない美しさでしたが、
皆が歌声に聞き惚れているうちに彼女はいつの間にか
姿を消しているので、村の皆は彼女がどこから来ているのか
知りませんでした。
不思議なことに何年経っても、彼女は年を取ったように
見えませんでした。
この教会で一番の讃美歌の歌い手は教会管理人の息子の
マーシー・トレウェラという美しい若者で、
不思議な女性は、彼の美しさと歌声に魅了されました。
マーシーも、彼女の魅力に心を奪われます。
あるとき彼は、不思議な女性が歌を歌い終わらないうちに
席を立って外に出て行くのを見て、そのあとをつけました。
そしてそれきり、マーシーと女性が教会に現れることは
ありませんでした。

数年後、一隻の船がゼノア近くの海で錨を下ろしていると、
波間から人魚が現れて、錨を上げてくれるよう船長に
頼みました。錨の先が自分の家の扉の上にあり、
夫と子どものいる家に入ることができないのだ、と。
船長はすぐに船を移動し、この話を聞いた村人たちは、
人魚は教会に現れたあの不思議な女性なのだと思いました。
人魚はマーシー・トレウェラを誘い、海底の自分の家に
連れて行き、二人の間に生まれた子どもたちと共に
暮らしているのでしょう。
人々はこの不思議な出来事を記念して、人魚の姿を
聖なるオークの木に彫りつけました。
これが現在ゼノア教会にある、椅子の彫刻なのです。



以上が、ゼノアの人魚伝説です。
こちらがその「人魚の椅子」。

(椅子の画像はWikipediaよりお借りしました)


教会と人魚というと、よく中世の教会の柱などの装飾にある
二つの尾を持つ人魚が思い浮かびますが、
この椅子のレリーフは、それとはちょっと違った趣です。
キリスト教の教会の信徒が座る椅子に、
異教の人魚が彫られているというのが面白いです。
本書にもありましたが、キリスト教を普及させる際、
土地の人たちが古くから信仰している神様を、
否定するだけでなく巧みに取り入れて共存していくことも
多かったのでしょう。
人魚が自ら教会に来て讃美歌を歌う、というのが
ポイントですね。

ところで、たいていの異類婚(人間以外の種族と人間が
結婚する)は破局することが多いのですが、
この伝説の人魚は、海底で家族と幸せに暮らしている
ようですね。ちょっと映画の「スプラッシュ」を思い出しました。


本書に載っている人魚伝説は、この他に
同じくコーンウォールに伝わる「ルーティと人魚」という
話があります。
ルーティという漁師が人魚を助けたかわりに
不思議な力を授けられるものの、人魚に連れ去られそうに
なります。このときは吠えかかった飼い犬のおかげで
難を逃れたルーティですが、「九年後に迎えに来る」
という人魚の言葉通り、九年後のある日突然
「約束のときが来た」と言って海に飛び込んでしまいます。
彼の一族にも代々不思議な力は伝わりましたが、
やはり九年に一度、一族の誰かが海に姿を消すのでした。
・・・というちょっと怖いお話。


海底の人魚の家はどんな感じなのでしょうか。
海に入った男性がそれきり戻ってこない、というのは
現実的に考えれば海難で行方不明、
ということなのでしょうが、人魚と一緒に暮らしている、
と考えるのは海とアザラシなどの海獣類が身近だった
この地の人たちにとって、自然な想像だったのかも
しれません。


著者はオークニー諸島の民間伝承の研究者にも
話を聞いていて、(オークニーにも人魚やアザラシの
伝説が多くあり、人魚が皮を脱いで人間になるというような
両者が混じったような話もあります)アザラシの伝説と
人魚伝説の違いの説明も興味深かったです。


イギリス全土ではありませんが、
アーサー王伝説や巨人、魔女などイギリスの有名な伝説と
その背景の解説、実際に現地を歩いた感想はわかりやすく、
伝説の地を訪れてみたいと思っている人には
本書はちょうどいい入門書になると思います。