山下達郎 - 希望という名の光
大晦日の深夜から
元日の早朝にかけての時間の流れは
魔法のようだ。
さっきまでざわついていた年の瀬の空気が
数時間眠って目覚めれば
静かに引き締まっている。
年改まる和やかな朝は
いくつ歳を重ねても有難い。
思えば暮れから新春への10日間くらい
私達は毎年
不思議な時空を通り抜ける。
師走の ” 24日 ” まで街は
クリスマス一色に染まる。
それが次の日の25日からは
ものの見事に迎春モードに一変する。
そして多くの人は
大晦日の除夜の鐘で百八煩悩を消し去って
元日は神社で
清々しく柏手を打ったことだろう。
キリスト教に始まって仏教から神道へ。
いつもの流れに身を委ね
この国の年は暮れ、年は明けた。
年の瀬、それまでの暖かさから一変.....
異例ずくめの冬将軍は
北陸から北海道までの日本海側に
大雪と暴風をもたらした。
年明け元日、石川県能登地方に
マグニチュード7.6の
「令和6年能登半島地震」が発生。
翌2日は
日航機の機体が
羽田空港で炎上するという
日本国民が
これまで経験したことが無かった
未曽有の正月となった。
今から10年ほど前の
東日本大震災の被災地・宮城県。
つい数か月前まで
人々の往来、車両の喧騒、子供の遊ぶ声が
響いていたであろう街並みは
どす黒く色を失い
生命の営みをいっさい
感じることができない風景に変わっていた。
ガレキが覆いつくす故郷で
背中を丸め立ち尽くす被災者に私は
励ましの言葉さえ
かけることができなかった。
自分から生み出される
いかなる言葉も
意味を失うほどの壮絶な状況にあって
むしろ東京から来た私に
言葉をかけてくれたのは
他ならぬ被災者の方たちだった。
「よく来てくれたね」
「お腹すいてないかい?」
一番大変な状況にある
被災者の方たちがかけてくださる言葉に
よそ者である自分たちが力をもらうことは
被災地を訪れた多くの方が
経験したことだと思う。
そしてこうもおっしゃった。
特に改めて
何か言葉をかけてほしいとは思わない。
逆にきれいごとみたいな言葉も
必要ない。
募金とか節電とかじゃなく
ご自分の生活を
しっかりやっていただければ十分。
それがわたしたちの励みになるから。
....と。
だから、だからこそ
一族再会、おみくじの大吉、雑煮の湯気.....
何でもいい。
年の初めの " 幸 " を喜び踏み出そう。
運命に負けず
たった一度だけの人生を
何度でも起き上がり
立ち向かえる力よ届けと。
我々は苦労をするために
生まれてきたわけではないのだから。
そして決して忘れないでほしい。
混迷のこのご時世であればこそ、尚.....
貴方を照らし続ける
希望と言う名の光を。
- 希望という名の光 -
この世でたったひとつの 命を削りながら
歩き続けるあなたは 自由という名の風
底知れぬ闇の中から かすかな光のきざし
探し続ける姿は勇気という名の船
だからどうぞ泣かないで
こんな古ぼけた言葉でも
魂で繰り返せばあなたのため 祈りを刻める
どうぞ忘れないで
移ろう時代(とき)の中から
あなたを照らし続ける 希望という名の光を
あなたを照らす光を
希望という名の光を....
山下達郎
* 写真は朝陽が作りだした希望の光につつまれる二人です。