刀ステ「禺伝 矛盾源氏物語」 | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

表題通り、刀ステ「禺伝 矛盾源氏物語」大阪公演を観に行きました。

オリックス劇場は以前に刀剣音曲祭で来て以来二度目。
刀剣音曲祭は満席ではなかったのでまだ良かった?のか?
ロビーの感じとトイレの大行列を見て、ああ、そうだったと思い出しました。
トイレ少ないです。休憩の20分はもちろん開演前もトイレを諦める人続出だったので、要注意の会場です。
あと、ロビーの電波事情が滅茶苦茶悪くて、いろいろQRコードを読みこむのもめっちゃくちゃ時間がかかったり、場所によっては全くスマホが使えなくなってびっくりしました。何故かロビーだけで、座席では大丈夫。

さて、会場はやはりヅカファンらしき方々が。
いつものように尖った感じの着物姿の方は少なくて、私世代のむしろ落ち着いたこなれたお着物姿の方が多くて、楽しくお姿を拝見しました。
「観劇にはお太鼓を帯枕なしで小さく結ぶとよい」とヅカファンの方のブログで見たことがあって実際どんな感じになるのかなと思っていたのですが、間近で見ることが出来てなるほど~でした。勉強になった。
私も着物着て行けばよかったかな~。
でも、みなさん着慣れていらっしゃる感だったから、私の年で下手に着ていたら恥ずかしいか。

観劇後の帰り道、ヅカファンの皆様の感想もちらほら聞こえてきましたが、予想通りでしたね。
 

「ストーリーがわかりにくかった」
「アニメ(?)のなかにきっとお話があるんでしょうね。それを知らないから……」

 

いいえ、設定しかないです。
そして、末満さんの脚本は慣れないと難解なのは私もそう思います。
私も刀ステは最初の何作かは一度見ただけではストーリーがよくわからなくて困ってました。

 

今回も、配信で予習しましたが、それでもあらすじを簡単に話せと言われたら難しい。
タカラヅカはストーリーがすごくわかりやすいものが多いから、対局にある感じかもです。




さて、お話内容に関して。

物語を歴史と置き換えることでの歴史改変する。
歴史と物語が反転した世界。

うわ~、そこ攻めるか~。
それが第一印象。

ここ数年、Twitterの私の歴史アカのほうのタイムラインでよく話題になるこの問題。

「物語」と「歴史」は違う。自称地元の歴史愛好家という方々も「物語」と「歴史」を混同している方々が多いという現実。
私の好きな新選組も土方歳三も、存在したのは幕末というたった150年前でしかないのに世間によく知られているのは「物語」の中の「設定」としての姿で、歴史上の本当の姿を追い求め、知ろうとする人は少ない。
「鬼の副長」も「武士になりたかった」も「時勢の読めぬ脳筋集団」も「下戸の土方歳三」というのも全部物語での設定だ。

私が学校時代にならっていた「歴史」というのは、ほとんどが「物語」だったんだなと最近思ったりしている。

だから、時間遡行軍はこの現実社会では歴史改変に成功しているともいえる。

しかし刀ステでそこ攻めて本当に大丈夫なんだろうか……。
一番攻めたらあかんとこだったりしないのかな。
刀の逸話だって物語の一つだし。
ゲーム内の設定そのものが間違った歴史の刀剣男士もいるし。
この刀ステの物語が破綻に向かうのではないのだろうか?


「本編」と「行間」という文字が舞台中央に出て、ころころと変わっていく。
これは「ジョ伝」とかでもあった手法ですね。
舞台上のストーリーの進行のさせ方としてはクセがあると思うし、禁じ手一歩手前とも思うところもあるし、好き嫌いがある演出でしょう。
私も「ジョ伝」は初見では話がよく分からなかったので、わかりにくかったという人たちの気持ちはとてもよくわかる。

「物語に巻き込まれる」みたいに文字が書かれた布にまきこまれるみたいに場面変換の演出はとても好きだなと思いました。

あと、一文字一家は、審神者に歌仙や大倶利伽羅の知らない秘密の任務を負わされているんだなというのが二度目に見てやっとわかった。
だから一家揃ってのお出ましだったということか。

歌仙が自らを「細川ガラシャの刀だった」という間違いは「綺伝」を観た記憶も新しいのですぐ「あ、歌仙は新しい物語を付与されそれを自分の歴史と勘違いしてしまっているのだ」とすぐ気づけたけれど、大倶利伽羅が「ずっと徳川の刀だった」という間違いは「???これはどの話?そんな話あったか?あったわ、三百年。違う、あれは刀ミュだ」などなどと、私は不器用で頭の中がグルグルしてしまい、夢の世界から一瞬素に戻ってしまうのが私のいけないところ。


「刀の禺人形」からの禺伝か。
「刀の禺人形」とは、刀剣男士に対するものすごい上手い悪口だなって感心してしまいました(すみません)
「禺」自体が「人形」という意味ですが。
心を与えられた「人形」ということですかね。

「心を与えられた人形(“ひとがた”と読ませる方が“らしさ”が出るか?)」と、設定を与えられ物語の登場人物となってしまったのと、実質刀剣男士は同じ。


では審神者がやっていることはいったい何なんだろう。

しばし考えこんでしまいました。
審神者のやっていることは歴史を守ることなんかではなくて、お刀たちに新たな物語を付与していくことになってしまっているじゃないか。
非常に矛盾しているというか、バラドックスというか。
刀剣男士に歴史を守らせようとすればするほど、男士たちに新たな物語が付与されてしまい、「心」を持つ男士たちを変えて行ってしまう……みたいな。
でもそれは、やがては内部崩壊というか、男士自ら歴史の改変をしてしまうことにつながりそうな予感がね……。

あらゆる物語は三日月宗近につながることができるというのも、しんどい話です。


オープニングはまるでタカラヅカ。

タカラヅカの世界にようこそ的な。

大倶利伽羅めちゃかっこいいよ~。
そして南泉かわいい。

大倶利伽羅さあ、最近最新の伊達政宗の関ヶ原前後の動きの話を見たのだけれど、知れば知るほど大倶利伽羅よなあ~と思ったり。

「雨夜の品定め」か~。

男士は女目線。
というか、女だってやってるじゃん、そういうの。
……と、思うんだけどね。

私も六条の御息所大好きです。
そして、その六条の御息所が彰子だったのに頷いた。
彰子の本当の思い……なのかも。現実では表すことが出来ない思い……。
一条天皇は定子と彰子、異例の二人の后を並び立たせた天皇。
そして帝の定子への愛情がうらやましかった彰子……。

そして空蝉の章、大好きなんですよね、私。

空蝉の毅然としたところをもう少し出してほしかったなあ。


よく言うじゃないですか。
女の恋は上書き保存、男の恋はフォルダ保存。
源氏物語の光源氏の恋はフォルダ保存。
源氏物語はよく書けてるよなあ……と、つくづく思う。

光源氏のいう「あの方」はもちろん藤壺。
光源氏を演じている彼の「あの方」は……紫式部?

物語で滅ぼすか……。
全てがブーメランな気がして辛い。

 

そして「どうして女に生まれたのか」
その生きにくさを描こうとしたのは面白いかなとは思う。
だけど、女の生き方が悲しく辛いというより、その制約の中でも女がそれぞれに一生懸命自分らしく生きようとする様子が書かれているから「源氏物語」は魅力があると思うんだな……。
物語は「嘘」
でも、いろいろ「根拠」のある「嘘」だから面白い。
それもまた刀剣乱舞の面白さに通じちゃうんだよな……。

「源氏供養」、それがこの物語の出発点かな……。

 

大倶利伽羅も歌仙の物語を間違えているのは何故なの?
歌仙が自分の物語だと思い込んでいる物語を伽羅ちゃんが知っていたということ?
綺伝に伽羅ちゃんいなかったよなあ……。
なんで伽羅ちゃんは歌仙のガラシャの刀であったといううその物語を知っていたの?

……物語は「根も葉もある嘘」だったりするんだよね。
そして特に歴史物語はそんな「根も葉もある嘘」が一番面白いという皮肉。

そっか……物語を破綻させないといけないからこういう展開なのか。

刀ステにおいての伊達政宗って存在感すごくあるのも何かのフラグなのかな。


紫式部は光源氏の最後を書けなかったのではなくて、敢えて書かなかったんだと思うんだけどなあ。

「雲隠」は……ですね。
白紙だからいいんです。
作者の頭の中だけにあるのではない。
そこまで読んできた人、それぞれの頭の中に浮かぶ物語。それがすべて正解になる。
「雲隠」を敢えて白紙にしたところ、その余韻を残したところが紫式部の凄さですよ。
それはゲームの刀剣乱舞に通じるものがある。
私の本丸、あなたの本丸、そこで紡がれる物語。
それがすべて正解なんだという、刀剣乱舞の持つ大きな魅力。
それと同じなの。

「物語の強さ」ってもしかしたらそういうところなのではないか……。

 

「物語を通してあなたの心に生まれたものは嘘ではない」

 

確かにそうなんですよ。



禺伝の「雲隠」は、あまり好きではなかったな……。
うん……私の中にも私の「雲隠」が既にあるんだよ……。
私の答えがある。

女の愛だけが純粋というのは違う。
想いと打算。女にはそれがないなんてこと絶対ない。
雲隠れに若紫が出てきたところですでに物語は完全に破綻しているよね。
そもそも雲隠は、紫の上の死後だったのでは?

普通は夫が亡くなったとき妻は出家するけれど、紫の上は光源氏存命中に出家したいと申し出た。
紫の上は自分を通して光源氏が違う女性(藤壺)を見ていることに気付いたから。
それを光源氏は許さず、そして紫の上は亡くなった。
光源氏は紫の上の人生でのたった一つの願いを叶えてやりはしなかった。
そして紫の上の死によって光源氏は自分が数々の女性に藤壺を投影し、藤壺の代わりにしようとしていたんだという気持ちに自分で気付いたと、私は思っていました。
そんな私なので、私の思う「雲隠」は全然違うのです。

 

源氏物語という地獄というけれど。
確かに一対一の、唯一貴方だけという恋愛劇ではないけれど。
それは本当に地獄なのだろうか……。


結局「物語」
物語の強さと本当の歴史と。

あ、そっか。
歴史を守ろうとするものたちの「愚かな物語」
それがこそが刀ステなのかもしれないね。
そして審神者たちも同じなのかもね。


なんだか思い出したことを切れ切れにメモみたいに書いてしまいました。


だけど、私的には源氏物語は女の弱さを語っているのではなく、それを通しての女の強さを語っていると思っていて。
なので、私は空蝉はすごく好きだし、六条の御息所も好きだし葵の上も好き。
今回は出てこなかったけど明石の御方は本当に大好き、紫の上の最後の出家したいというところも大好きなんですよ。
一生懸命自分の生を生きようとしているから。

そして、今話題のNHKの「大奥」は、強くなった女の「弱さ」とか「弱点」を語りつつ、やっはり懸命に自分を生きようとしている
面白いんだよなあ、これが。

 

すごくがんばって女の気持ち、しかも現代の若い女性が共感しやすいように話を作ってくださったんだなあと思う。
でも、私は一昔前の女だからなのかな……。

というとで。


ビジュアルでは大倶利伽羅すごいね。
そして南泉が可愛かった。

山鳥毛は今ゲームでの私の一推しなので、2.5次元に顕現してほしいお刀№1でしたから、本当に目の前で生きて動いて語ってくれている姿を見ることが出来たのは本当に幸せでした。

 


ただ……。
これを言ってはいけないのかもだけど……。
やっばり女優さんなんで、声がね……。
凄く近くで公演を観られるなら別として。
遠くとか配信だと、誰が話しているのかわかり辛い場面があるのが、やっばり「作った声」なのかなと……。
 

和田歌仙にもまた会いたいな。


 

刀ステは複数顕現ありの本丸なので、また会えるよね。
 


そんなこんなの感想でした~。