9月をやり直せたら | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

9月ももう終わり

今年の9月は、なかなかに厳しい月でした。

上旬に転んで左脚のくるぶしを骨折してしまったのが運の尽き。
まるで、観劇のチケットが全部なくなるのを待っていたかのような

怒涛の日々が始まりました。

私が骨折した二日後
エリザベス女王が亡くなった日と同じ日に

実母が急に亡くなってしまいました。

私が骨折で病院に行ったりしていなければ

亡くなる前日にも様子を見に行く予定だった。

様子を見に行っていれば

入院するように手配できたかもしれないと
今更思ったり。
 

半月くらい前から

背中が痛いと言っていて。
父が心臓の異常を疑って

何度かかかりつけの病院に連れて行っていたらしいのですが
多分、父母は検査結果の説明がよくわからなかったのでしょう。

そのときの検査結果が
母が亡くなった後に出てきましたが
母の検査結果は明らかに異常。
なのに、母の急死を防ぐことはできませんでした。

医師は本人にどう説明をしたのか。
私がその場にいたら
紹介状を頂いてすぐに大きな病院に

連れていくレベルでした。

この春に私の子宮体がんが発覚し

手術をし抗がん剤治療を始めていたのですが、

もしそれがなければ
父母は私にもう少し頼ったと思う。
私が病院に付き添えば
事の重大さに私が気付けたかもしれない。
病院について行って

医師の話を一緒に聞けばよかったと

後悔しています。

その日の夜中の三時過ぎ、父から電話がありました。


お母さんが息をしていない。
救急車を呼んだ。
病院が決まったらまた連絡する。

冷静に考えて、ああ手遅れだと思った。
思いながら、病院に出向く用意をして。
左足の骨折なので、車が運転できるのが不幸中の幸い。
オートマ車は左足だけ使いませんものね。

病院に着いて医師からの説明を聞く。
救急車到着時点で心室細動と診断
AEDを二回実施したが戻らず。

病院に着いてからもAEDを二回試したが戻らない。
発症から既に二時間近く経っていた。

心室細動と聞いて
ああもう本当にダメなんだと思った。
私は5年くらい前にAEDの研修を受けていたので

心室細動が起こったら

最初の5分が生死を分けるということを
知っていた。

父一人で対応できたはずがない。
 

今年の春、まだ私の病気が発覚する前

相続対策を考えて欲しいという話を父母にしました。
そのとき母は「死んだ後のことなんて考えたくない、知らんわ」

と言いました。
憎たらしいなちょっと不満

そして、どんなに具合が悪くなっても

施設に行くのも嫌だし入院も嫌だと言いました。
そのとき私はちょっと腹が立って

「気がついたらベッドで死んでたなんていややで。
それを見つけるものの身になってよ」

と、言いました。
母は「それが本望。ほっといて」と言い返してきました。
結局、母は本人の希望通りの死に方をしたわけです。
で、その場に居合わせたのは父一人だった。
 

母はそれでよかったかもしれないけれど
発見した父がかなりショックを受けている気がする。
父には母のそんな姿を発見するかもしれないという

覚悟というか心構えが全くなかったと思うので。

そして、今からが大変です。
各種手続きをしなければならない。

父がね……。
自分で手続きをやりたがるのだけれど

やっぱり年齢的に物忘れがきてるので
必要書類をそろえることや、

ややこしい手続きを任せるのは無理で。

 

そして、今週いっぱいまで妹が実家にいてくれますが

それ以後は父が一人になる。
私が手続きや仕事がてら
実家に通って父の様子を見るしかないなあ。

父と母
そう仲の良い夫婦ではありませんでしたが

年老いてからは二人で一人というか

喧嘩しながらもそれなりに協力し合って暮らしていましたが
父が一人になってしまって話し相手もいなくなると

父が急速にボケてしまうのではないかと
その点も心配しています。

 

 

 

お母さん、
もうちょっと準備を整えてから
逝ってほしかったよ悲しい

 

 

そんなこんなで、
かなりバタバタしてしまっております。

気持ち的にもあまりブログを書く気分になれていませんでしたし
楽しいことが少なくて
更新が滞りがちになっていました。

 

落ち着くまでちょっとペースダウンとなるかと思います。

双騎の感想、書いておきたかった。

また折を見て書きたいなあとは思っています。
 

 

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