私のファースト新選組と人物像 | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

数日前、Twitterで流れてきたとても興味深いブログ記事を読ませていただきました。

 

 

土方歳三がいつの間にか「鬼の副長」と呼ばれていた経緯

 

 

いやもう多分私世代の体感にはこの経緯、ぴったりはまっているのではないかな。

それを立証してくれるような記事、しかも学士論文といってもいいんじゃないかと思うほど検証力を発揮されたすごい力作です。

 

 

さて、私は歴史が苦手です。学校行ってた頃は歴史にほとんど興味がありませんでした。

父母が共に日本史に全く興味がない、故に親と史跡巡りをした記憶はほとんどない、大河ドラマは欠かさず観ていましたがわかりやすく面白ければいい、そういう家庭環境でした。

 

その私が最初どうやって新選組を知ったのか。

その記憶が私には曖昧だったのですが、間違いなく入り口は史学的なものではない。

「燃えよ剣」を読んだ記憶は鮮明にある。

妹の机に中学校の図書館から借りてきた「燃えよ剣」が置いてあって、「すごく面白いよ、姉ちゃんも読んだら」と言われたのが出会い。

だけど「燃えよ剣」以前から私は新選組を知っていて、そしてその当時の私が知っている新選組や沖田総司の姿を「燃えよ剣」の中に求めていた記憶がうっすらとある。

とういうことは私のファースト新選組は「燃えよ剣」ではなかったはずだとハタと気づきました。

「燃えよ剣」を読んだのが高校一年くらいの頃だというのも覚えています。

 

あのブログを読んでこの二、三日、ずっとそれを考えていた。

もしかしたら祖母から話を聞いたのか、祖母とテレビでドラマや映画を見たのかとか。

 

そこで思い出したのが木原敏江さんの「天まであがれ!」(1975年)という漫画。

主人公は沖田総司です。

読んだ時期をはっきりとは覚えていない。

私の以前思っていた沖田総司像は心のとても澄んだ透明感のある優しさの人、土方歳三像は鬼というよりも厳しいけれど心根は優しい総司の兄貴的存在で、バラガキ的な百戦錬磨の男というより、泥臭さのないあか抜けたクールガイ、でもちょっと可愛いところがあるドハンサム、そんなイメージ。

で、家で埃をかぶっていた「天まであがれ!」をもう一度読んでみたところ、私の持っていた二人のイメージは「天まであがれ!」の設定そのものだった。

なので「天まであがれ!」が私のファースト新選組だったのだと思います。

 

木原敏江といえば「摩利と慎吾」というBLの走りのような学園モノの作品がとても有名です。大好きでした。

時代的には竹宮恵子の「風と木の詩」の後半くらいと重なっている感じか?

でも「摩利と慎吾」は最後までプラトニックなまま。

摩利は同性愛的感情を慎吾に持っているけれど、慎吾はあくまでもとても強い友情で。

自分の思いが恋愛感情だと気付いてからの摩利の葛藤、そして慎吾はそれを知り摩利の気持ちに応えられないけれど摩利に対してせいいっぱいの友情で誠意をもって接しようとする。

BL的に結ばれることなく、でも誰にも引き裂くことのできない精神的な強いつながりだけで二人は人生を終わるというとても切ないお話。

時代でしょうね。

その木原敏江が描く男の子たちの学園物語の爽やかで未来に夢をもって懸命に生きている雰囲気が私はすごく好きでした。

そして「天まであがれ!」の新選組にもそのムードがとても色濃く反映されていて、多分そんな新選組が私は大好きだったのです。

 

だからかな、「燃えよ剣」を初めて読んだとき、すごい土方歳三がかっこいいという印象よりも、思っていたキャラとちょっと違うし新選組の感じも違うと感じたのを覚えているのです。

 

「天まであがれ!」の漫画のなかで好きだなと思ったキャラや雰囲気が、そのまま私の土方歳三像や新選組像の原点になってしまっていて、私は無意識にそれを求め続けていたみたいです。

 

ちなみに、私の祖母は土方歳三を「ひじかたさいぞう」と呼んでいました。

「歳三」が「としぞう」なのか「さいぞう」と読むのかは、遺された史料に「年三」と書かれたものが見つかるまでは「さいぞう」が有力だと思われていたらしいと知ったのは最近です。

そういった例はよくあることですよね。

山南を「さんなん」と読むのは「三南」という表記が見つかったからとか、「古高」もそうですよね。

 

 

新選組は大河「新選組!」で大ブレイクしましたねえ。
当時あれをオンタイムで見た私は、堺雅人さん演ずる山南敬助がすごく魅力的に思って大好きでした。

今でもとても人気のある大河ですが、そのほかの人物に関しては私はいまいち。(個人的な好みです)

ぼんやりとした近藤勇もなんか違う気がしたし、めちゃくちゃいきっている土方歳三も、そしてお梅に興味を示す沖田総司も全部ピンとこないなと思っていました。(個人的な好みの問題です、ふたたび)

山南敬助切腹後、好きなキャラがいなくなってガックリしてしまった。

 

後日、続編の「土方歳三最後の一日」ってのがありましたが、一応見たけど一番いいな魅力的だなと思ったのは片岡愛之助さん演ずる榎本武揚だった。

あのとき初めて榎本武揚に興味を持ち、もっと知りたいなと思ったな。

 

ずっと心のどこかにありつづけた新選組像。

 

次に私が新選組の創作ものにがっつり接するのはAmebaでの乙女ゲーム「艶がーる」です。

最初に沖田総司ルートを選んだのも多分「天まであがれ!」の影響で沖田総司が一番好きだったからです、当初は。

艶がーるの沖田総司は木原敏江の「天まであがれ!」の彼に重なるものがあって、もう本当にそのストーリーの切なさに胸が痛くなるほどだった。

今でも時々懐かしく思い出すんです、艶がーるの沖田総司ルートを読んだときに脳裏に思い描いた映像を。

立ち絵や背景画とかそういうのとは全然違う、文字から私自身が描いた場面を。

 

だけど艶がーるの総司のイベシナリオが当たり外れがありすぎて土方さんに乗り換えたんだよな~、私。

 

それでだんだんと物足りないなあと思い始めていたときに薄桜鬼に出会いました。

 

だから私、薄桜鬼の一番最初は沖田総司ルートを狙いました。

攻略見ずに普通に思ったように選択してたら狙い通り総司ルートには入りましたが、悲しいことにバッドエンドに行ってしまった。

薄桜鬼無印のバッドエンド、総司だけスチルがありますが、そこに行ってしまったんですよ。

いやもう大ショックだった。

総司を私のせいで殺しちゃったよ~みたいな……えーんえーんえーん

 

でも。

私は薄桜鬼の一番いいところは、全く新しい沖田総司像をしっかりと描いたところだと思っています。

 

沖田総司の人物像は本当はよくわからない部分が多いじゃないですか。

(まあ本当の人物像なんてどの人であってもわかるわけがないのですが)

それまでは「天まであがれ!」のような儚くて正義感強くて心に濁りのない人物に描かれることが多かったし、労咳で亡くなったイメージでたいてい病弱で色白の美青年に描かれている。

だけど薄桜鬼の沖田総司は違った。

背が高くて色黒だったという証言を取り入れて、そしてピュアで清純とは言えない。

いや、ある意味ピュアというか無垢な部分もあるのだけど、ちょっとあまのじゃくで弱さもダークさもある、もっと言えば精神的に育ちきれていないメンタルのバランスの悪いイメージもある新しい沖田総司像を描いた。

だけど、そういういわば型破りとも思える沖田総司像を薄桜鬼は裏設定をきっちりしっかりやったことで、魅力的なキャラとして世間に納得させたと思うのです。

それまでの沖田総司像は創作上で誰かに作られたものであり、違うんじゃないか、こういう沖田総司もありなんじゃないかという提案と制作側の本気が新しい沖田総司像を生み出したと思った。

そして薄桜鬼本編で描いた沖田総司像の成育歴が黎明録で語られていて、全くの創作だけど薄桜鬼での総司の人格形成の裏側を語ることで一つの完結した沖田総司像を確立したなと思いました。

 

薄桜鬼はそれ以後の創作の世界での沖田総司の描かれ方に大きな影響を与えたのではないだろうか?

多分薄桜鬼からですよね、沖田総司が犬系キャラではなく猫系キャラに変化したのって。

そしてとても透明感のあるキャラクターでありながら、無邪気なだけではなくどこかダークな部分もある、そして場合によってはそのダークな部分が計り知れないというキャラとして沖田総司を描くコンテンツが急速に増えた気がしました。

 

一つの出来の良いコンテンツが爆発的にヒットしたことで歴史的人物の世間のキャライメージがコロッと変わった「転機」の瞬間を見た気がした。

 

 

土方歳三の創作上での現在の描かれ方は、最近は「鬼の副長」という二つ名を冠したものがほとんど。

その土方歳三像の原点が「燃えよ剣」で、それまでは土方歳三はそうはっきりとキャラが決まっていたわけではないという、上記のブログでの結論はまるきり私が体感していた通り。

でも現在は土方歳三というと鬼の副長という二つ名にふさわしいように描かれるのがほとんどで、もはや記号化しているともいえる。

とある新選組のお芝居を観て思ったんだけど、その「記号」を暗示することで土方歳三役がいないのに土方歳三の存在を舞台の上に感じさせるような演出が成立するほどに、「土方歳三=鬼の副長」というのは世間に浸透してしまっている。

 

だけど現在の創作の世界では、「鬼の副長」と言われるほどの厳しい男だったということそのものよりも、そう呼ばれてはいるけどそれは土方歳三の本当の姿ではないという描かれ方が一番ウケているとも思う部分もある。

要するに本当は鬼ではないのに鬼を演じなくてはならなかったという「切なさ」と、鬼とは思えぬ優しさや脆さを持つ思いがけなさというかギャップが女性に爆発的にウケているのではないかと。

ああ、でもそれは主に乙女ゲーム界隈かな……。

 

薄桜鬼もそうですしね。

 

まあ、それは私の主観の問題でしかないのは明らかですが。

 

私も薄桜鬼の土方さんがめちゃくちゃ好きですし。

 

「天まであがれ!」をン十年ぶりにもう一度読んでみて、ひな鳥の刷り込みと同じで、一番最初に出会ったキャラ設定でそれがすごい好きだと思ったらなかなか抜けられないものなんだなとしみじみと思った。

「天まであがれ!」の土方さんは茶目っ気もあり可愛いところもあり、強いだけでなく弱さもあり愛情深くもある。
そして土方さんを慕って家を捨てて男装をして土方さんを追って来た女性と、決して恋仲にはならないけど最後の一本木関門に出撃する前にその女性に自分の刀を渡して江戸に帰れといい、次に生まれたら貴女をきっと嫁にもらう、貴女は生きろ、語り継いでくれという。

 

原点ここにあり。

 

私のファースト土方がこれで、これにすごく心を掴まれたから、私は土方さんにそうあって欲しいと思っちゃうんだうな、今でもきっと……。

そしてこの木原敏江さんの土方歳三のごくたまに出る茶目っ気がすごく好きで、それを土方さんの姿に求めちゃうんだろうな。

 

だから、刀ミュの結びの響の土方さん、ホントホントに大好きだよ。

 

 

史実の土方歳三がどんな人だったのか。

そんなのわかんないですよね。

人の性格って人によって捉え方も違うし、なんかめちゃ叱られたりしたら厳しい人だと思うかもしれないし、だけど上機嫌のときに会えば明るい人だと思うこともあるし。

 

 

でも、間違っちゃいけないのは、新選組を率いていたのは近藤勇。

いろいろな創作の新選組で近藤さんの影が薄められて、そのぶん土方さんが浮上してきた感は絶対あるなあ。

でも、近藤さんはぼんやりとしてたり、変におっとりと優しい人ではないと思う。

厳しくて努力家で、そして頭もよかったと思う。

 

薄桜鬼はまあ土方さんが中心にいるお話だから多少しょうがないかとも思うけど、近藤さんが残念だったな。

 

刀ミュも土方さんはとてもよく調べてキャラを描けているのに、近藤さんがイマイチだ。

 

今年は箱館戦争終結150周年で、つまりは土方さん没後150周年でもあるわけですが……。

土方さん、ちょっと持ち上げられすぎで、天国でこそばゆい思いをしていそうだなあと思ったりしている。

 

浪士組に参加して上洛しちゃうからと「豊玉発句集」という同人誌作っちゃったり、

奉公先での仕事の関係でお裁縫が得意で、三味線上手くて、お習字習っちゃう人で、

だけど剣術は中極位どまりで、

故郷への手紙も「詳しいことは近藤さんの手紙読んでね(意訳)」とか「手紙を届けた人から直接聞いて(意訳)」とか書いちゃう人で、

意外と戦うより援軍呼びに行く役割の方が多かったような感じとか、

土方さん自身は喧嘩してるより仲裁に入ってる場合が多そうとか、

 

なんかいろいろ思うところはありますが、全部私の勝手に思っている土方さんで、でも最近それでいいじゃんという気持ちが強くなりました。
歴史勉強するセンスがないということに自分で気づいてしまった。

性格が大雑把というかザルで、細かく検証するとかが苦手で、どちらかというと早とちりしてしまうタイプの私ですから、大人しく自分の脳内の土方さん動かして遊んでるほうが身の丈に合ってると。

 

 

土方さんは何かをやり遂げたひとではないし、大きな功績を残した人でもないから。

 

 

でも、特にかっこよくなくてもフツーでも、やっぱり私は土方さんが好きだろうな。

実像が分からないのにどこが好きなの?と言われれば確かにそうなんですけどね。

 

 

 

土方さんの150年目の新暦の命日まであと1週間。

 

 

そんなことをつらつらと考えていたここ数日でした。