COCOON「星ひとつ」観劇してきました。 | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

三月下旬の「どろろ」以来、久々の生観劇は「COCOON ~星ひとつ~」

 

先日ライビュで観た「月の翳り」と「星ひとつ」が交互に上演されているという、両方に出ているキャストさん大変だなと思う作品。

前に刀ミュで行ったサンケイホールブリーゼで見せて頂きました。

サンケイホールブリーゼ、やっぱすごく好きなホールです。見やすい。

 

 

 

注意閲覧注意注意

 

公演内容にがっつり触れます。

そして当方はTRUMPシリーズは全く初心者、ほぼ初見です。

初心者故の無知満載です。

初心者故に感じた疑問点も書いてます。

ですので、あ~合わないな、わかってないなこいつと思われることも多々あると思いますが、私個人の観劇日誌として舞台を観て正直に思ったことを書き残したいと思っていますので、ご容赦ください。

よろしくおねがいします。

 

 

 

 

 

ではまいります。

 

 

 

 

ネット情報で「月の翳り」のお話の結末が「星ひとつ」だというようなのを見たのですが、まあ確かに時間軸として「月の翳り」のあとのお話だなというのはわかりましたが、なんか全然別物だなあと思いつつ観ました。

 

クライマックスでは泣いている方も結構いらっしゃったのだと思います。あちこちから鼻を啜る音が……。

 

でも私はウルがその心の弱さゆえに最後をあまり美しいものを感じることが出来なかった。

そして「永遠の命」もまた美しいとは思えなかった。

 

「死を恐れる」

それは生き物にとっては当然のことです。

 

冒頭、吸血種と人間の混血種として生まれたまだ赤ん坊のウル。

混血種は肉体的な欠陥があり短命なそうな。

そして父的立場のダリに「死を迎えるその日まで絶望しろ」というイニチアシブと、「その絶望に負けるな」というふたつのイニチアシブを受ける。

でも、ストーリーでは完全に絶望に負けちゃってるんだよねw

 

観劇していたときもすごく疑問に思っていたのだけど……。

 

ダリはどうしてあんなにラファエロに冷たいの?

実の息子なのに、跡継ぎなのに、そして紛れもない純血種なのに。

階級社会で家がどう、身分がどうとかいうのなら、家柄のいい母から生まれたラファエロはめちゃくちゃ大事な存在なのではないのか?

 

そしてパンフを見て、ウルがダリの本当の子ではないことを知ってなおさらわけわかん。

いや、実生活で血のつながりが一番大事だとは思ってはいないですけど。

だけと゛育てようとしている子に向かって「死を迎えるその日まで絶望しろ」というイニチアシブを与えることそのものがすごく変だと思った。

その変なのが吸血種というものなのだろうか?

人との感情の違いとしたかったのだろうか?

 

だから「星ひとつ」はまあ悪くないとは思ったけど共感出来るキャラが一人もいなくて、でもこれって繭期の子たちが悪いんじゃなくて登場してくる大人がみんなそろいもそろってあまりにも大人になり切れてないことが悪いんたよなと思ったとき、ああ、それを描きたかったのかなあとちょっと思ったり。

 

細かいことはどうでもいい。

 

 

だけど、ダリの実の息子のラファエロに対する冷たさが私にはどうしても理解できない。

男親の厳しさならわかるんだけど、そんなのではなくてただただ冷淡。

なのにウルに対する甘さはなに?

それって産んだ母親に対する愛情の差なのかなと考えたけど、ウルは実の子じゃないと知ってもう脳内「?」が飛びまくり。

 

後半のラファエロたちが死ぬシーンはホントわけわからんと思った。

 

避けられたよね、これ。

 

 

 

やっぱり私には「どう生きるか」というお話だった「月の翳り」のほうが何倍も面白いし、後味も良かったです。

 

 

 

さて、次の観劇は7月の刀ステ。

また今回のサンケイホールブリーゼです。

お気に入りの劇場の良席がとれたからめちゃ楽しみ。

 

やっぱ月一くらいで生舞台は観たいですね、うん。