F1 故ビアンキに敬意を・・・故郷の想い。ニースに“ジュール・ビアンキ・ストリート” | NBAブログ 〜We The NorthとGrind City〜

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今日は疲れからか、TORが負けたせいか・・・少しセンチメンタルな気持ちで記事を書きます。

いろいろ思い出させる話題です。

 

2015年に25歳の若さでこの世を去ったF1レーサーのジュール・ビアンキ。

とても爽やかで素敵な青年だった。未来のある・・・将来を期待されていたドライバーだった。

 

 

このビアンキに敬意を表して、彼の故郷であるフランスのニースに彼の名前の通りができることになりました。

 

 

短い記事ですが読んでみます。

 

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ジュールビアンキに敬意を表し、ニースの通りの名称が変更された。

 

ジュール・ビアンキの故郷であるニースの通りが、亡きF1ドライバーに敬意を表して改名された。

ビアンキは、1989年ニースに生まれ、2014年の日本GPで負った傷害により2015年に亡くなった。'rue du Sapin'は、彼の名前を取って改名される。

フランスのリビエラ市は、そのマルシャで34回のグランプリに出場したドライバーに敬意を表することを選んだ。その場所は地元のサッカークラブのスタジアムにほど近いサン・イシドール地区にある。

現在、セレモニーは1月23日に、'rue du Sapin'と'avenue Pierre de Coubertin'の一角で行われる予定である。

フランスのチームであるテック1レーシングは火曜日、フォーミュラ・ルノー・ユーロカップに今年参戦する4台の車にロゴを表示することでJules Bianchi Societyを支援すると発表した。

 

ちょっとMapが大きすぎてわかりにくいけれど、すでにGoogle Mapで見られるんですね。

 

Jules Bianchi to be honoured with renamed street in Nice

A street in Jules Bianchi's home city of Nice will be renamed in honour of the late Formula 1 driver.

Bianchi, who was born in Nice in 1989 and died in 2015 from injuries sustained in the '14 Japanese Grand Prix, will have the 'rue du Sapin' renamed after him.

The French Riviera city chose to pay tribute to the driver - who took part in 34 grands prix with Marussia - in the Saint-Isidore neighbourhood, close to the stadium of its football club.

A ceremony will take place on January 23, at the corner of current 'rue du Sapin' and 'avenue Pierre de Coubertin'.

French team Tech 1 Racing announced on Tuesday that it would support the Jules Bianchi Society by displaying its logos on the four cars it will enter in the Formula Renault Eurocup this year.

Bianchi was a title contender with the team in the 2012 Formula Renault 3.5 season, on his way to Formula 1.

 

原文;2017.1.17 AUTOSPORT

Jules Bianchi to be honoured with renamed street in Nice

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あれは、2014年10月5日のこと。

 

その日は鈴鹿サーキットで行われる日本グランプリの日。

毎年、この時期の日本は台風に見舞われることが多く、特にこの年は雨が酷かった。

台風18号が迫っており、サーキットは大雨。SC先導によるローリングスタートで行われた。

 

レースが本格的に始まっても、天候は良くならなかった。

危険だという声は多数上がっていたと思う。そしてその時がやってくる。

43周目にエイドリアン・スーティルがダンロップコーナー出口でコースオフし、

タイヤバリアにクラッシュする。スーティルのマシン撤去作業のためにクレーン車が出ていた。

 

TVは上位のレースを中継していたが、異変がおこったことで画面が切り替わる。

スーティルがクラッシュした1周後、ビアンキは全く同じ場所でクラッシュしたのだった。

不運にも、タイヤバリアがあるはずのその場所にはクレーン車がたたずんでいた・・・コントロールを失ったビアンキはそのまま激突した。

データ解析によれば、この衝突による衝撃は、なんと254Gだったという。

これは、自動車がビルの15階相当の高さから地面に落ちたのと同じ衝撃だというからそれほどのものか想像がつく。その時の時速、126km。

ビアンキはこの事故から意識が戻ることなく、25歳の生涯に幕を閉じた・・・

 

事故の瞬間・・・何度見ても怖い。。。

 

 

この日のレースは,リアルタイムでTV観戦していたんですよね・・・

TVではクラッシュの瞬間は放送されなかったですが、あとから上がっていた動画をみて、全身がゾクっとしたのを覚えています。

1つ間違うと、1瞬でドライバーは命を落としてしまうのだな、と改めて感じた瞬間でしたね。

 

フェラーリの育成ドライバーであるルクレールは、長年の先輩であり、父親のように慕ったジュール・ビアンキを失った悲しみは未だに言えないと語っているそうです。

 

ルクレール・・・まだあどけない顔してますね。彼にとってビアンキは大切な人だった。

 

“レースにおける大半のことを彼から教えてもらったよ。いつも支えてくれていた彼を失って本当に辛いんだ。彼の助けがなくて本当に寂しいよ”

ビアンキも同様に、フェラーリの育成ドライバーで、未来のフェラーリのドライバーになることを期待されていたんですよね。

 

スポーツの中でも、常に死と隣り合わせのF1はもちろんのこと、

どんなスポーツ選手にも身体は本当に大切にして欲しい。

こうやって、不運も重なって生命を奪われたり、選手生命脅かすようなことはいくらでもあるから。

この記事を書きながら、さらにアイルトン・セナのことを思い出して密かに涙した私。

今でも5月1日の命日には黙祷を捧げています。

そうね、ルクレールと同じで失った悲しみは消えないわね。

 

改めて、ジュール・ビアンキに哀悼の意を。