4月15日大空襲の体験談: 心霊体験実話 スピリチュアル 戦争と平和についておもうこと | 人生の旅&リアルな旅を通じて学んだことを呟きます

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皆様、こんにちは。

ブログご訪問ありがとうございます。

 

 

海外の戦争で、

亡くなった飼い主を 一カ月も

忠犬ハチ公のように待ち続けている犬の姿に

涙がでました😢

 

市民の税金で武器を購入し

子どもや動物が被害にあっていることに

深い悲しみを感じます

 

日本の戦争に思いをはせて

4月15日大空襲の体験談を記載します

 

 

語りつぐ戦争
 

 

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朝日新聞 声語りつぐ戦争より抜粋

「焼け野原で父を燃やした日」 一木文子 89歳

国民学校6年生だった1945(昭和20)年4月15日、川崎大空襲の夜です。防空壕(ごう)の外で見張っていた父が「敵機だ!」と叫んだ直後、爆音と振動と悲鳴。爆弾が父を直撃、片足が膝(ひざ)から吹き飛び、残る足も触るとぶらぶらです。

そこに「逃げろ」と消防団の声。焼夷(しょうい)弾で辺りは火の海でした。母と兄が父を担いでも重くて歩けません。「先に逃げなさい!」と母に言われ、一つ上の姉と私は近所の人に続きました。

猛火が強風を呼び、寒さと怖さと心配で震える私を、姉がずっと抱きしめてくれました。翌朝、姉と自宅に向かうと、焼け野原の向こうに母と兄が立ち尽くす姿が見え、父はダメだったと直感しました。火が迫り、せめて後でわかるようにと防空壕に寝かせて逃げたそうです。

見回りの巡査に遺体を自分たちで焼くよう言われました。石を並べ、トタンを渡して遺体を載せ、姉と私は薪探しです。黒こげの電信柱、家の柱の燃え残り。やっと見つけたと思い、がれきの下から引っ張り出すと、人の腕や足だったとわかる。そんなことも何度かありました。

それでも、父が白い骨になるまで「あと少し」「あと少し」と言われ、探し続けたのです。

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(※1)川崎大空襲、アメリカによる無差別殺人。

1945年4月15日夜、B29爆撃機が194機来襲し、川崎市内に焼夷弾1万2748発、高性能爆弾162発、破砕性爆弾98発が投下された。

被害は家屋の全半壊3万3361戸、工場の全半壊は287件。

度重なる空襲による市内の死者約1000人、負傷者約1万5000人の大半が、この大空襲によるとされる。

引用:川崎市平和館

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戦争体験談いかがでしたでしょうか?

死体の焼ける臭いや、4月なのに寒さと怖さで震えるというのは体験した人でないとわからない世界だとおもいます。

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私たちのご先祖様は運よく生き残った人たちですね。

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慰霊塔 

 

 

この写真の右側に 

さりげなく映っているのは

慰霊塔です。 

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スピリチュアル体験
 

 

以前、終戦記念日近くの

スピリチュアル体験として記載した

心霊体験実話のアクセス数が高く

 

その心霊スポットの歴史を紐解くと

大空襲(※1)で多くの犠牲の出た場所でした

 

そのとき、霊に道案内をお願いしたところ

たどり着いた場所は お寺でした 

ここにメモリアルがあるというのです

 

 

夕方で 暗くなりはじめていたので

後日 またそのお寺に行ってみると 

戦没慰霊碑がありました

 

お線香をもって行き 手を合わせました 

 

隣の小学校の校庭に 遺体を 

焼けたトタンにのせ 所狭しと並べ

隣の風呂屋で荼毘に付した記録がありました

 

その後も おなじ場所で 霊気を感じます

戦没者からのメッセージがあるのでしょう。

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戦争と平和についておもうこと
 

 

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大空襲から77年が経ちました

戦争の歴史を風化せず

平和は当たり前ではないこと

次世代へ伝えたい

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みな かけがえのない命🥀

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戦争反対👪

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平和を祈る👩