服装原理主義 | 懲りないブログ

ホリエモンのブログの記事で  服装原理主義っていう言葉が印象的だったので書いてみる。


私は幼稚園のときは園児服、小学校は私服、中学からは一般的に制服になるのだろうが、公立中学の癖になぜか私服の学校に通っていた。


けれど大抵は、どっかのデパートの制服コーナーで買った制服を着ているので、私服で通学している子はあんまりいなかったかな。そのほうが親は楽だしね。ただみんなバラバラの制服なので全くまとまりが無い。

私の場合は、夏はセーラー服。冬は私服のブレザーにプリーツスカートかジャバースカート。土曜日はジーパンにTシャツだったり、プリーツスカートの上はカッターシャツやポロシャツだったりした。

男子も長髪OKで、肩まで、あるいは背中まで長くしてる男子もいた。ただ野球部とサッカー部だけは何故か坊主で気の毒に思った。


高校で制服を着たときにあまり似合わないなぁ・・・・と思って自分にがっかりした。スカートが似合わないんだなぁ。体系的にダメみたい。ちょっと色気づく年頃のはずが、私は全然そっちに疎かったので化粧したのもみんなに比べて遅かった。マスカラしてたりはしたけどな。


で、何を言いたいかと言うと服装原理主義で没個性になるということは、ある意味安心感を手に入れるということなのだろうが、個性がなくなり、社会が活性化しなくなる、と飛躍するのだ。にひひ


私は以前働いていた会社に入社したときは、ごく普通のOLの格好をしていたと思う。でも回りはみんなジーンズ。とある部署の男子に「その格好で会社来たんですか?!」って驚かれて、ジーンズにした。楽だった。楽になった。いいな。と思った。


でその男子が社長になった途端、オーナーの意向かなんかで「人間は見た目が大事」と言うことになり、会議はスーツで出席しなければ出席するな。と言う事になった。そのオーナーの意向も、自分が持ってる他社の女社長が整形した事に共感した事から始まってるんだよね。そのオーナー、メンズエステに通い始めたらしいから。叫び


真夏にスーツ着てる女子がどこにいる!?って。いるけどさ。


新卒の会社訪問で全員同じリクルートスーツを着てくるじゃん。面接でもマニュアルどおりの受け答えをするじゃん。でもそんな入社のツールは企業側も学生側もお決まりにやってるけど、一体その人間の何が分かるのだろうか。で結局分からないから心理テストとかもするじゃん。


心理テストって、効果もあるけど微妙なんだよね。


これは個性あるきらりと光る人材を見逃す危険もはらんでいると思うのだが。逆説的に考えると、あえて個性あるきらりと光る人材を必要としていない、ともいえるな。

歯車になって黙って働いてくれるただの働き蜂を求めているとも言えるな。


私は「綺麗で出来る経理のお姉さんみたいな格好をしてください

と言われたときに言いようも無い怒りがこみ上げてきた。(そのときは我慢したけど、我慢した分後で爆発したけどね。セクハラに取られてもしょうがない発言だと思うのだけど、本人全く悪気なし)


それってあくまでも彼の主観なんだよね。

私は彼ではないので、彼の言うところの綺麗で出来る経理のお姉さんみたいな格好は分からない。

大体、スーツ買うようなお金もらってねーし。

男性のどっかの部長は会議にビーサンで半パンツで出席してるのに、私は何故に彼の頭の中のイメージを想定して、あれこれ気を遣わなければならないのか。


そんなわけで、楽な格好が一番自分らしく一致していられる。自己一致していられるのは人それぞれで、スーツを着ると一致できる人もいるだろうし、それはそれでいいんじゃないかと思う。

服装は似合っていれば特にあれこれ言われなくてもいいんじゃないかと。TPOは大事だと思うけど。


○○らしくしないと。っていうのは私はダメみたいだ。

女らしく。男らしく。綺麗で出来る経理のお姉さんらしく。人妻らしく。お母さんらしく。お父さんらしく。長男らしく。長女らしく。

らしくを数えるとキリが無い。


そして何故か窮屈な箱に収まって安心する人もいるんだな。





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