まったく、最近ブログが書けなくなりました(苦笑)
Mayumiです。
でも、
こうやって、つながって気づきになることを実感して、
ようやく書く気になれたので、
自分のために・・・。
今年2月に、
ありがたいご縁にめぐり合って、
結婚しました。
40代の私、50代の旦那さんだけど、
旦那さん、お子を望んでくれてる。
それが、すご~く、すご~くありがたいのだけど、
すごく、ブレーキをかけている、私がいた。
もう、そのブレーキは、
心屋に出逢ってから、いろんなことを手放しても、
いろんな人に話をすることができるようになっても、
やっぱり、私の心を「きゅ~。」っとさせてしまう。
そのくらいになかなか、手放せないな、と。
そんなこと思ってた。
そんな時に、
本当に、びっくりするくらい、
導かれるように参加した、このトークショー。
おわかりと思いますが(笑)
この質問者、私です・・・。
「逢いたかった。」
「この手に抱きたかった。」
「産みたかった。」
それを口に出すことすら、
許されないと思ってた。
許したくないと思ってた私がいた。
「それだけ、愛情があるよね。」
って言ってもらって、
ようやく、
「なぜ、(あんなに逢いたかったのに)私は堕ろす選択をしたんだろう?」
「その時、自分はどんな感情だったんだろう?」
って、
置き去りにしてた、
自分のあの時の感情に、
向き合ってみることにした。
あの時、
私が思っていたことは、
「(このまま産んだら)両親に迷惑をかけてしまう。」
「未婚のまま産むなんて、許してもらえない。」
「一人でなんて、私はこの子を護れない。」
「だって私なんて、護ってもらえない。」
そんなこと思ってた。
それでも産みたくて、
産めなくて、
ずっと泣いてた。
お相手には、「まだ早すぎる。」と言われ、
結婚できず・・・。
実家にいたから、
両親にばれないように、
お風呂か、
ベットで、
声を殺して泣くしかなかった。
そうやって、周りを信用しないで、
自分を追い詰めていたんだよね。
両親に苦労をかけてしまうと思っていたのは、
自営業で、両親が、特に母が、大変そうに見えたから。
そもそも、
自分が産まれたことすら、
両親の負担になっているんだ、と思っていたから。
どうせ誰も助けてくれない、護ってくれないと思ってたのは、
姉が事故にあった日、
私のそばには、誰もいなかった。
血だらけの姉を見て、
怖くて、悲しくて、どうしていいかわからなくて、
泣くしかなかった私。
その日、記憶がない。
その時に、きっと決めたんだよね。
「どうせ、私が泣いても誰もそばにいない。」
「どうせ、私のこと誰も護ってくれない。」
そう信じたんだろうね。
10月の末、
認定講師の、おかぴーが亡くなって数日後、
夜、先に寝室に行った私が、
泣いてたら、
リビングにいた旦那さん、
気がついてすぐ寝室に来てくれた。
そんな大きな声で泣いたわけではなかったのに・・・。
で、ただただそばにいてくれた。
その時に、
あとになって気がついたのは、
あの姉の事故の時の感情が出てきて、
ただただ、誰かにそばにいてほしかったんだと思った。
怖くて、泣いて、泣いて、記憶をなくしてる、
小さな私も、
旦那さんが抱きしめてくれたような気がした。
何かが、自分の中で溶けたような気がした。
人前で泣く人が嫌いだった。
「泣いても、誰も私のそばには誰もいない。」
「泣いてもどうにもならない。」
そう思ってたから。
私は、助けてもらえなかった、と思ってたから。
でも、
もう違う。
「助けて。」ってちゃんと口に出せば、
相談に乗ってくれる友人もいる、
旦那さんもいる。
何よりも両親に大事にされてきたことを実感できる私がいる。
「Mayumiは、好きなビール飲んで、採血してりゃいいんだよ( *´艸`)」
って、いつも言ってくれてたおかぴー。
最近はそこに、
「好きなビール飲んで、採血して、旦那に甘えてればいいんだよ(*^^)v」って。
足されてたな~(笑)
おかぴー、
ちゃんと、旦那さんに頼って、甘えていくね。
周りの人にも、ヘルプ出すね。
いつも見護ってくれて、ありがとう。
もっと、一緒に飲みたかったよ~。
トークショーに行って、
質問をしてみて、
振り返ってみたら、
すべて流れとしてつながっているように思えた。
そんなことに気がついた。
今年の私の備忘録。
とりとめなくてもいいし、
自分勝手でもいいや(^^♪