何だか、
週末はもろもろ思い出す日でした。
Mayumiです。
思い出して、気がついたら泣いてしまったのは、
母方の祖母の記憶。
この祖母、
もうとっくに亡くなっているのだけど、
私が大学生くらいの頃に、
認知症の症状が出て、
私のこと、
早々にわからなくなった。
それでも記憶の引き出しにまだかろうじて残っている時は、
施設に会いに行って、
「あ~、Mayumiね。
こ~んなに小さかったのにね。」って。
何歳児⁇っていうくらい、小さなころの記憶なんだって感じ。
同居をしていた父方の祖母に、
あんまりかわいがってもらった記憶がなくて、
母方のこの祖母は、
本当に、本当にかわいがってもらった。
何かあったら、
群馬からすぐにかけつけてくれた。
姉が交通事故に遭った時は、
ずっと付き添いしてくれてた。
朝、ご飯を食べて、姉のいる病院に行って、
私が学校帰ってきて、私が病院に行って、
祖母と一緒に帰ってくる。
そんな生活を1か月以上してくれた。
自営業で、どうにも動けない母の代わりをしてくれた。
群馬に帰ると、
「Mayumiはうどんがあればいいもんね。」って、
帰るたびに作ってくれた。
今でも、
ばあちゃんが作ってくれた、
群馬のうどん、大好き。
多分、これは不動の1位変わらないと思う。
その祖母の記憶から、
私はすっぽりいなくなってた。
私が大好きな大好きな人、
私が大好きでいると、
私が大事にしてると、
私は記憶から消されてしまう。
消されて悲しい思いをするくらいなら、
最初から、自分から、
消えてしまった方がいい。
存在しないものとして、
いないほうがいいい。
両親の愛情を信じられなかった私は、
そんな変換式をいつの間にか信じてしまって、
どんどん苦しくなってた。
ちょうど2年前の今頃、
14期のマスター中で、
「消えたい。」って出てきた。
「存在自体を消したい。」
「ほぅら、私、いない方がいいでしょ?」ってやってた。
消えたい、って思っていたのがわからなくて、
カウンセリングを受けた。
両親に愛されていないんじゃないかって、
そう思ってた。
愛情をもらって育ってきてない、
そう思ってた。
そのカウンセラーさんの考えは、
「愛情をもらってなかったら、
看護師なんてできないのよ。
人は、してもらったことしかできないから。
人のお世話ができる人は、
自分が十分にお世話をしてもらってきているから。
だからできるのよ。」
って。
両親の愛情に気がつけなかった私は、
その時に思い出したのは、
母方の祖母のことだった。
祖母から充分に愛情をもらってた。
でも、彼女の記憶から消えてしまったことが、
本当に悲しくて、
両親の愛情を信じられなくて、
さまよってたんだ、
っていうことに気がつかされた。
ちゃんと自分は、
大事に護られてる存在で、
大事にされてきた。
祖母がいてくれたから、
愛情を感じる、自分の容器に、
ちゃんと証拠を満たすことができるようになった。
その時まで、
ずっとその容器は、、
「底抜け」だったけど。
祖母の愛情を感じることで、
私はその底に「フタ」をすることができて、
両親からの、いろんな人からの愛情を受け取ることができるようになった。
人は必ず愛情をもらってる。
両親からは、必ずだと思うけど。
それが信じられないかもしれない。
両親じゃない、他の誰かが、必ず受け入れて、愛情を与えてくれている。
まずはそれを「信じて」みようかなと。
そう思うだけでいいのかもね。