念願の江戸切子を贈って、
(↓こんなかんじの( ´艸`))
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Mayumiです。
すっかり忘れていたけれど、
結婚することがあれば、
切子を贈りたいと。
切子を贈ることが、夢だったことを、
今になって思い出す。
そのくらい封印していることがあるんだな~。
今日は、
私が1年で一番、
自分を責めてしまう日。
一番罪悪感が顔を出す日。
なぜって?
子どもを、堕ろした日だから。
毎年、
供養をお願いしているお寺まで、
お休みを取って、
行ってた。
忘れないように。
忘れないでいるために。
何より忘れてしまうことが、
怖かった。
忘れて、
うっかり幸せになってしまうことが、
許せなかった。
私が忘れてしまったら、
あの子が存在したことが、
消えてしまう。
そんなの嫌だった。
でも、そうやって「罪人」でいたかっただけなのかもしれないね。
忘れないために、
「罪人」で、いるために、
自分の「罪」を自覚するために、
自分自身を見張ってた。
幸せにならないように、
自分自身を見張っていたように思う。
でも、
今年は、
休暇を取ることを、
忘れてて・・・。
結婚で、
舞い上がっていたのかもしれない。
一番怖かった、許せなかった、
「つい、うっかり幸せになって」
忘れてた( ̄ー ̄;
そうやって、
また自分を責めそうになってた私に、
旦那さんは、
「おまえが、忘れることなんてないやろ⁇
時々思い出してあげればいいやん。」
って。
しかも、
供養をお願いしているお寺は、
京都にあるのだけど、
実家に帰った時に、
一緒に行ってくれると。
もう、
思い出しただけで、
泣けてきた(_ _。)
旦那さん、
ありがたすぎてね(ノ◇≦。)
そうだよね。
生きていれば、
忘れてしまうこともある。
忘れてしまう時間が増えていくこともある。
それを責める必要はない。
それをジャッジする必要はない。
だって、
生きていれば、
仕方のないことだから。
私が、
あの子のことを、
忘れることはない。
自分の中から、
消し去ることはない。
だって、私の一部分だもん。
忘れてしまう時間があってもいいし、
忘れてしまう時を責めなくていい。
思い出して、時々泣きたくなってもいい。
ようやくそう思えるようになった。
緩んだから、
許せているのか。
許せているから、
緩んだのか。
どっちが先かはわからないけど。
そうやって、
自分を見張ることが、
少なくなっているんだろうね。
本当に、
私は、
たくさんの人に、
旦那さんに、
家族に、
友だちに
支えられて、
自分を、
少しずつ、少しずつ、
許すことができているんだな。
少しずつ、少しずつ、
緩んでいくことができているんだな。
そう思う。
でも、
今日は、
あの子を思い出して、
泣いてしまうことを、
自分に許してあげたいな。
私の勝手な都合で、
手放した命だけど、
「逢いたかったよ。」
その気持ちに嘘はないから。