そういうわけで3月なのに暖かくならないことに憤っている、ひろむです。
暖かくないから、あんまり花粉が飛んでないのはありがたいんですけどね。
とはいえ、3月なのにこの寒さはどうしたことかと!

岡本太郎ばりに「なんだこれは!」と叫びたいところですよ!
もうすぐ4月だというのに、なぜ真冬並なんだと。
去年は11月なのに、半袖着る日があったというのに。
数日後が滅法寒くて、凍えながらミニ四ファイターやってましたけどねw
ファイター、露出度高いので(ノД`)

話は変わって、まずはこちらの画像を、ご覧ください。




タミヤのミニ四駆公式アカウントが上げていたツイートw
まぁ、間違いなく皇帝ですw
ダッシュ1号“皇帝”(エンペラー)だし。
しかもタイプ1シャーシ!!

ベルクカイザーについては『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のマシンだからよく知らないけど、“カイザー”もドイツ語で皇帝。
それによくよく見たら、左右非対称なんですね!
なんだか気持ちが悪い(;´Д`)

やっぱり皇帝と言えば“エンペラー”だよなぁ。
“皇帝”を持ってる僕も自己皇帝感上がんないかな?
「皇帝だからって、お高くとまってんじゃないよ!」と言われそうですが。

さて、すでに何度か書いている話ではあるんですけど、自己肯定感が、恐ろしく低いんですよ。
およそ褒めるべき自己などない。
なんとか高めようとは思っているんですけど、染みついたものが、そうそう簡単に落ちるわけではない。
“ガンコでしつこい油汚れに よく似てる”(『溝ノ口太陽族』/manzo)です。

そもそも僕の目から見ていると、自己肯定感が高いのだろうなと思う人って、たいてい嫌いなタイプなんですよね。
自己中心的というか、大したことをしているわけでもないのに、やたらと自己評価が高い。
プライドだけ山のように高くて、自分を客観視できていない人が多いように思うんですよ。
「嫌だなー、こういう風になりたくないなー」って思うから、自己肯定感が高まるとこうなるのかって感じてしまって。
結果、自己肯定感が高まらない。

ネットで見ていたら「自己中心的なのと、自己肯定感が高いのは違う」と書いてあって、なるほどと思ったんですけどね。
なるほどと思ったものの、それで納得したわけではなくw
ざっくり分けてしまうと、無闇に自己評価が高いのは自己中。
自分の悪い所も含めて、きちんと自分を評価できているのが、自己肯定感が高い。
そんな感じかなと思います。

多分、僕の中で自己愛と自己肯定感の違いが、いまいち理解できていないのが、自己中との違いが区別できない原因なのかな?と思います。
自己愛の強い人間にはなりたくないんですよ。
相変わらず自己肯定感は墜落寸前の低さなんですけど、前とは少し違ってきた部分もあって。
最近、いろんな所に首を突っ込んでいるので、「お手伝いが本業です!」と言って回ってるんですけどね。
まぁ、それは冗談として、おかげでいろんな人に評価してもらえることが増えてきました。

以前なら「こんなに評価してもらえるわけがない」「なにか間違っている気がする」と思っていたし、なんなら人を騙しているように感じていたんですけど、わりと素直に受け入れられるようになってきました。
ここ数年「ありがとう」を口にするように、心掛けているからなのかもしれないんですけど。
素直に「ありがとう」を言える人って素敵だなと思って。
自分が大切に思う人たちに、評価してもらえるのはありがたいことだなと。

それと僕が好きで大切に思う人たちに、自分自身を大切にしてほしいと思うように、相手もそう思ってくれるのだということに、はたと気づいたのです。
そりゃあ「自己肯定感が低すぎる」と言われるよなぁ、と。
相手の立場を自分に置き換えて考えてみると、自分は相手のことが好きで高く評価しているのに、相手が「これじゃダメだ」と言っていたら「こんなに良い所があるのに気づいて!」って思いますもんね。
そこのところがすっぽり抜けていたなと。

それに相変わらずできないことの方が多いけど、自分にできることもあるということにも気づき始めてはいるんですよ。
例えば先述した、お手伝いができることとか。
他の人から評価してもらえる、お菓子が作れることだとか。
そういうことは自分にできることなのかなと。

そりゃあ、上を見たらキリがないし、僕より上手にできる人なら、いくらでもいるんでしょうけど。
比べたところで意味がないし、そういう人たちと張り合ったり、競争しているわけでもないですからね。
僕が及第点を取れるというだけであって、他の人とは関係のない話だと。
自分の周りにいるみんなが評価してくれるなら、自分にもそれなりのポテンシャルがあるんじゃないかと。
できることの数と、できないことの数を比べても無益だなと思ったんですよ。

急に『ガンダム』の話を持ち出しますが、僕にザク並みの汎用性はない。
宇宙でも地上でも、どこでも運用できる能力はない。
どう考えても運用できる局面が限られる局地戦用機ですから。
いわば砂漠戦仕様機みたいなものです。
ただ運用する場所さえバシッとハマれば能力が発揮できる。
だいたい、そんな感じだろうと。
ものすごくわかりづらい例えになってしまったw

それだって、ものすごく優れているというほどの話ではないと思うんですけどね。
できなくはないという程度で。
それはそれとして、できないよりは良いかと。
いまいち納得しきれないのは元々の完璧主義とか、0か100かの極端な価値観とか、いろんなことが絡んでいるんですけど。

なんだか自己愛の強い人間になりたくない、というところからは、だいぶ離れてしまったな(@0@;)
毎度のことながら、結末の見えないまま書き始めたけど、当初書こうと思っていたことよりも、だいぶ前向きな所に着地しそうな気がする。
これも相変わらずという話なんですけど、ポジティブな評価よりも、ネガティブな評価の方が、自分の中のウェイトが高いんですよね。
より耳に入ってくるというか。
しかし考えてみれば、比較してみると10年前の自分が立ちたかった場所に、今は立てているような気がするんですよ。

自己肯定感とか、自己評価の低さ故に、自分より他の人を優先してしまうけど、それもそれほど悪いことではないのかもしれない。
それでたくさんの人に会えたし、いろんな経験をすることができたし。
身近に愛すべき人たちがいて、自分のことを大切にしたり頼ってくれる友達や仲間がいて、やるべきことも楽しいこともたくさんあって。
書いている間に頭が整理できたけど、それは評価しても良いんじゃないかなという気がします。
半分は運というか、大半は運だったとしても、少しは自分のしてきたことの結果というか、反映というか。
いろんな事がカチッとハマったという。
歯車が、うまく噛み合っているイメージ。

みんなのおかげではあるんだけど、そのみんなの中にいられる自分も加われている幸せというか。
輪の中にいられる安心感というか。
きっとこれからも間違えることもあるし、つまづくこともあるし、自己肯定感もそんなに高まらないと思うけど、起こりそうなことを考えるより、その時どうするかを考えた方が建設的な気がするんですよね。
乗り越え方を考えるというか。

一朝一夕に人間変わるものではないですけどね。
まして、もう中年だから、これから柔軟性は失う一方だろうし。
でも、ここまで来たから今は良いと思う。
それで良いと思う。
このあとは、これから変えていけば良いのであって。

なんかミニ四駆の話から始めたのに、ずいぶん壮大な結論に辿り着いてしまったな・・・。
俗に言う夜に書いたラブレターみたいw
後から読み返して恥ずかしくなるやつ。
ま、一つの結論に達したから、いいか。