そういうわけで今年も映画初めは『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』のひろむです。
一度でいいから映画館で観たいんですけどね。
アニメのリメイクしたから、リバイバルでやらないかなぁ。
さて昨年末に予告したとおり、今年の抱負はもう決まっているのですよ。
それは“自分を認める”。
「今さらか!」と言われそうですけど、今さらそうなのです。
去年書いた“低すぎる自己肯定感”から続く話なんですけどね。
30代半ばで経験した魔女狩りとも、人民裁判とも言える出来事から脱却すべきであろうと。
今の僕には友達もたくさんいるし、高く評価してくれる人たちもいるし、
映画部も3年以上運営しているし、美味しいお菓子も作れるし。
自分に似合う服だって選べるし。
ライターとして書いた記事を、喜んでくれる取材先だってある。
できないことより、できることと、できたことに目を向けた方が建設的であろうと。
そこで出てくるのが、昨年最後の記事に書いた『四畳半神話大系』の樋口師匠の言葉。
“我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、
我々がもつ不可能性である”。
これに続く言葉が
“ 今ここにある君以外、ほかの何物にもなれない自分を認めなくてはいけない”。
ふと思い出した言葉がヒントというか、きっかけになりまして。
誰かと比べてうらやんだり、落ち込んだり、卑下したりしても、
別にその人に成り代われるわけじゃないし、というある種の開き直りに
至ったのです。
自己肯定というのは、なにもできることや、実績を認めることでなくて
できないことも含めて、自分を受け入れることだというのを目にしまして。
人と比べれば、僕にできることなんて、大した物ではないし、
ちっぽけと言うか、微々たる物だけど。
でも、小さかろうが、大きかろうが、例え失敗しても一生懸命やってきた結果だし。
いろんな人がいろんなことを言っても、ちゃんと見ていて評価してくれる人はいるし。
一生懸命やれば誰か観ていてくれるという話は、以前偉そうに
若い子にしたことがあったんですよ。
人に説教を垂れておいて、自分が実践できてないのも恥ずかしい。
実の無い話になっちゃうし(@0@;)
僕の友達は、みんなすごい人たちだ!と僕は思ってるんですけどね。
みんなと自分を比べても、そこに行き着けるわけじゃないですし。
張り合うわけじゃないけど、後れをとらないように足場を固めてきたわけだし。