そういうわけで最近「お嫁さん候補は?」と聞かれることが多い、ひろむです。

そんなのフィクションの中だけの話だと思ってたんですけど、
本当に言われるものなんですね(@0@)
さすがに親に言われたことないんですけどね。
実家暮らしなのと、両親は僕に1mmも、なんの期待もしてないので。
 
その代わり昔からの友達からはよく言われますね。
たまに連絡をとると、時候のあいさつレベルで言われます。
そういう時に「恋人ができるというのは、ごく普通のことなんだな」と実感します。
ただ声を大にして言う事でもないので、みんなに小声で囁きたいのは
「僕と付き合おうなどと考える女性は、僕の脳内にしか存在しない」という事実。
僕が古代ギリシアに生きていたなら、この気づきで“賢人”として、
歴史に名を残したことと思います。
残念ながら、古代でもなければ、ギリシアでもないのが悔やまれます。
 
こういうことを言うと、僕が脳内で100%の女の子と戯れているかのように
聞こえるかもしれません。
20年来の友達にまで「(『3月のライオン』の)あかりさんは実在しないからね」と
言われる始末。
だが、それは違います!
そういうことではない!!
あえて言おう、そんな酔狂な女性は現実世界に存在しないし、もはやフィクションであると。
第三者が、そんなフィクションを創造するはずもないから、
いるとするなら僕の脳の中にしか、存在し得ないわけです。
まさしく幻想の恋人。
ほとんど『ルビー・スパークス』みたいな話ですが。
もっとも、そんなの僕の脳内にさえ存在しませんけどね。
そんな存在を自分の脳内に飼ってたら、いくらなんでも、さすがに怖い。
 
そりゃあ、女性とお付き合いしたいかと問われればしたいし、できれば結婚もしてみたい。
とはいえ需要と供給の関係で言えば、需要は無いから供給過剰なわけですよ。
しかし需要を掘り起こすスキルは無い。
就活でいうなら応募資格が、そもそもない。
なぜそんなにも需要がないのかについて以前、友達に尋ねたところ
「なんの努力もしてないんだから、当然だ」と一刀両断されました。
見た目で、すでに引かれると。
スタートラインにさえ立てないと。
『ジョジョの奇妙な冒険』から引用するならば
「オー!ノーッ オレの嫌いな言葉は一番が「努力」で 二番目が「ガンバル」なんだぜーッ」
という話ですよ。
 
顔の作りは右に置いといて、確かに体型であるとか、収入や社会的地位は
ある程度は努力の範疇ですからね。
それらの裏付けが存在しないことを、努力の結果と言われれば、ぐうの音も出ないです。
『ハチミツとクローバー』でも花本先生が
「「努力する」か「諦める」 か どっちかしかないよ 人間に選べる道なんて
 いつだってたいてい この2つしかないんだよ」って言ってたけれども。
「努力するにもリソースが必要なんですよ」と、苦しまぎれに言ってみたい気もしますが。
 
あまりにも需要がないものだから、1周回って僕に好意を抱かれても
迷惑なんじゃないかと思うんですよ。
「こんな低スペック男に好かれるなんて、自分の魅力はこんなものか」って
思われちゃうんじゃないかという気がして。
僕の低スペックぶりは、おみくじでいえば末吉。
『ガンダム』でいえば、ボール。
CPUならセレロンですよ。
ふるいにかけられるだけの男が身の程を知れ!という話です。
 
書いていて思い出したんですが、こんなことがありました。
数年前に学生時代の友達(女性)の結婚式に、お呼ばれして行ったんですよ。
僕が独り身なのを知っていた友達が、自分の友達を紹介してくれるって
言ってくれたんですね。
披露宴の時は席が離れていたので、「二次会で紹介するよ」となって。
ところが当人は二次会に来ないで帰ってしまったんですよ。
どんな人なのか、その姿すら知る前に姿を消してしまいました。
アムロに「情けない奴!」と、なじられること受け合いです。
その時に思ったのは、「がっかり」でも、「しょんぼり」でもなくて、「だよね!」。
相手方の「がっかり」を思って、申し訳ない気持ちになりました。
僕が古代インドに生きていたなら、この悟りで“ブッダ”として、
歴史に名を刻んだことと思います。
残念ながら、古代でもなければ、インドでもないのが悔やまれます。
 
それらを考えると、あまり誰か良いなとも思えなくなって。
友達は「そのうち良い人が」って、言ってくれるんですけどね。
このままいくと最終的には死の間際になって
「良い人がいたはずなのに、運がなかったね」って言われるんじゃないかと。
さすがに死の間際まで、こんなことをぶつくさ言いたくはないんですが。
「ひろむに幸せになって欲しい」と言ってもらえるのは、それだけで身に余る幸せですけど、
僕がそうなる確率はエヴァ初号機の起動確率と同じくらいですよ。
もしかしたら那由他の彼方かもしれません。
数字が壮大すぎて、うっかり違う物が見えてきそうです。
あぁ、アムロ。刻が見える。
 
Official髭男dismは“君の運命のヒトは僕じゃない”と歌ってますが、
僕は誰の運命の人でもないですからね。
まさしく“辛いけど否めない”ですよ。
まるでハズレくじだけの、くじ引きです。
運命の人などというロマンチックが止まらないワードに
何か期待をしているわけでも無いんですが・・・。

たまに少しやる気を出して、自分から動けば「ガツカツしている」と言われるし。
ガツカツしているから、またもや引かれると。
紳士として生きていきたいのに、それではまるっきり正反対。
女性に対してガツカツしている紳士など聞いたことがありませんし、
「変態という名の紳士だよ」などと嘯く度胸もありません。
どうせボンヤリしていても、相手にされないのだから、結果が同じならなにもしない方がマシ。
潔く紳士でいることの方を選びます。
僕が古代中国に生きていたなら、この決意で“君子”として、
歴史に名を(ry
 
実を言うと2年くらい前に「お付き合いできるかも!」と舞い上がったことがあるんですが、
誰にも知られないように、その出来事を記憶ごと山の中に埋めてしまいたい。
それとも「グッドバイ」と言って玉川上水にでも流してしまおうか。
これ以上何かあっても、もうぬか喜びのショックと恥ずかしさに耐えきれる気がしない。
もう悪あがきはやめて、おひとりさま永年勤続の門を叩こうかと思います。
とりあえず結婚してないけど『最高の離婚』、もう一回見よう。