そういうわけで南波志帆の『7回目の遅刻』という曲を聴いて悶絶した、ひろむです。

彼女の遅刻癖について文句を言おう!と思ってる彼氏の心境を歌った曲なんですけどね。
この彼氏が、きっと優しい人で、彼女の事が大好きなんですよ。
最初は“僕だって言うことは言う!”って息巻いてたのに、曲の中盤で
“見逃してなんて言うな!”と言いつつ、“早く顔が見たいんだ”とトーンダウン。
最終的に“僕だって言う時は言う!”と意気込んだものの、彼女に会ったら
“今日も可愛いね!”と、全然言えてないw
 
もう両手じゃ足りないくらいの期間、お付き合いなんてしてないのに、
「その気持ち。俺にもわかるぜ!」と思ってしまって。
“そもそもが なぜ僕なんだ?”って歌詞があって、自信が持てない感じはものすごくわかる。
歌詞から察するに彼女はプライド高い人なんだけど、優しい彼氏の事が、すごく好きなんだと
思うんですよ。
遅刻して慌てて来たのに、見えない所で息を整えてから、何食わぬ顔で歩いてくるとか。
実はその様を彼氏に見られてるし、靴がちょっと汚れているという、抜けてる感じも可愛い!
この曲を歌ってる南波志帆という人が、浮遊感のある歌声の持ち主なので、
さらに効果倍増で結果、曲の中の2人の関係が「可愛すぎる!!」と悶絶した次第ですw
 
さすがの南波ちゃんのマジックボイス!
惜しむらくはインディーズ時代の曲なので、ネットで歌詞が追えないこと。
悔しい!!
 
さて話のまくらは、これくらいにして本題に。
自己PRが苦手なんですよ。
履歴書にしても、なにかの自己紹介にしても、たいていあるじゃないですか?
何を書いたら良いのか、よくわからなくて。
一体、自分のなにをPRしたら良いんだ?と。
どんなことを書いても自慢話か、嘘を書いてるような気がして。
 
以前に勤めていた会社で、散々「お前は嘘つきだ」「不真面目だ」「社会の害悪だ」と
言われて、いまだそこから抜け出せずにいて。
「通り魔予備軍」も、しょっちゅう言われましたね。
お決まりの自己批判もセットだったので、’70年代の革命勢力なのか?と、
よく思ったものです。
『逆襲のシャア』でのシャアの言葉を借りると
「自分の手で自分を裁いて、社会に対し、地球に対して贖罪しなければならん」と
今でも思うんですよ。
前にも書いたことがあるけど、映画好きという事に対しても、
「お前は映画好きなんかじゃない」と言われ続けていたので、
映画部部長というポジションにも、いまだ僅かな後ろめたさを感じています。
 
いっそ悪いことも含めて書いてくださいと言われれば、悪いところだけで
だいたい百個くらい書けるんですけどね。
空気が読めないし、見栄っぱりだし、不真面目で不誠実だし、要領が悪いし、
話も面白くないし、人の気持ちがわからないとか。
あげく見た目も良くない。
枡のように器の小さい小悪党ですよ。
なにかプラスなことを書くと、いざ違った時に「嘘つき」と言われるんじゃないかと
思ってしまって。
どうもトンチンカンなことを主張しているような違和感を感じるんですよ。
 
いっそ他の人から紹介してもらった方が、伝わりやすいんじゃないかと思うんですよ。
ある程度、同じ環境にいる人なら同じように見られる可能性は高いと思うから。
でも、それはそれで「お前がやれ」と言われると、センスを問われるような気がして、
うまくできない気がする(;´Д`)
他人の紹介するのも簡単じゃないなぁ。
 
それはさておき自分を売り込もうにも、自惚れてるような気がするんですよ。
客観的に認められた事項じゃないと、裏付けがないし。
裏付けがないとPRとして成立してないんじゃないかと思えるし。
いっそ「恥の多い生涯を送って来ました」と『人間失格』の書き出しを引用しようかとも
思うんですけどね。
それはそれで自己憐憫のようで、鼻につくし。
好きなんですけどね、太宰治は。
この手の相談を持ちかけようものなら
「気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ」とか、言い出すだろうし。
ほんと太宰のこういうところが腹立たしい。
たぶん同属嫌悪だと思うけど。
 
自己PRって、スラスラ書ける人が羨ましい。
ちゃんと人に読ませる自己PRを書けるとなると、ごく少数派な気がするんですけど。
どうでもいいことなら原稿用紙5枚分くらい書けるんだけどなぁ。
そういうことを自己PR代わりに採用してくれるところって、存在しないかなぁ。
それはそれで価値があると。
 
後略。