「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない」
(『四畳半神話大系』/樋口師匠)
そういうわけで三十路も黄昏、ひろむです。
30代最後の記事にお送りするのは、この言葉。
森見登美彦著『四畳半神話大系』に出てくる四畳半の怪人・樋口師匠の言葉です。
師匠と名乗っていながら、なんの師匠かわからない。
弟子まで取っているのに、ただの大学8回生という謎の人物。
自称・天狗。
話す言葉は含蓄があるようで、その実まるで中身がないw
森見登美彦氏の作品には、ヘンテコなキャラクターがごまんと出てきますが、
そのヘンテコ具合たるや、群を抜いていると言っても過言ではないと思います。
でも僕は師匠好きです。
お近づきにはなりたくありませんがw
世間一般でいうところ四十路といえば、不惑ですから。
ここから先は、あんまり可能性という言葉にすがるのも良くないかと。
この言葉に続けて師匠も
「自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根元だ。
今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない」
と言ってますし。
例えば世界を救うスーパーヒーローになれるわけではないし、
これからオリンピックに出場して金メダルとれるわけではないし。
将棋のプロ棋士になれるものでもない。
僕は他人様よりも少ないリソースで生きていかなければいけない以上、
余分なところに力を振り向けるわけにはいかないわけです。
であれば「かもしれない」という可能性にかけるよりも、
「できない」という不可能性に目を向けた方が、よほど効率が良い。
そこで、これから先は粛々とひとりで生きていく方向にエネルギーを
振り向けていこうと思います。
長い終わりの始まりとして、おひとりさま人生を整える事に尽力していきたい。
求めるところは少なく、勝てないので欲しがりませんを土台に据えていく所存です。
目標としては「どうして無になってるの?」とイエス・キリストに言われるくらいに
なりたいと思います。
いっそ山にでも籠もろうか・・・。
まぁ、山に籠もったところで、野人にしかなれない気もしますがw
ビックフット的なものと勘違いされるのが関の山でしょうね(@0@;)
とても師匠と呼ばれるような存在になる日はやって来そうに無い気がします。