※今回は長い上に重いです。ご注意ください※




そういうわけで『ぼっち・ざ・ろっく!』の喜多ちゃんが性格悪いんだろうなと思っていた、ひろむです。
イメージが先行した理由はバンドのギターボーカルでありながら、登場が3話からと他のメンバーより登場が遅かったこと。
加えてオープニングには、1話からずっと出ていたこと。

オープニングに出てきて、本編に関わらないということは、もしや性格が悪くて加入が遅いのか?と邪推していたのです。
ところが蓋を開けたら「喜多ちゃん、めっちゃ良い娘じゃん!」ってなりましたw
ややネタバレ気味ではありますが、最終回の喜多ちゃんは聖人だと思います。
でも僕の推しキャラは喜多ちゃんでも、主人公・ぼっちちゃんでもなく、“ベースのお姉さん”こと廣井きくりですw

さて、最近気になることがあって。
それは、ぼっち感覚が抜けない。
ぼっちじゃないじゃんというのは、少し前に書きましたが、ぼっち感覚が抜けないんですよ。
いまや誰に言っても信じてもらえないんですけど、本当に数年前まで、全然友達がいなかったので。
そりゃあ、もう40数年生きてますから、周りにたくさん人がいた時期もあったんですけどね。
僕の人生を俯瞰したときに、それはほんの一時期であって、全体を通してみるとぼっち期間の方が、はるかに長い。

いまはたくさんの人に囲まれているけれど、順応できてないなと思うことが、よくあるんですよ。
基本的には単独行動主義だし。
主義というか、それが自分の中でのスタンダードであって、誰かと行動するという概念が、そもそも欠けている。
わかりやすいところでは、どこかへ行くのに人を誘うという発想が、そもそもない。
ここへ行こうはあっても、誰かと行こうとは思わないんですよね。
そりゃあ、1人で行きづらいところへは誰かを誘おうと思いますが、あんまり1人で行きづらいところへは行かないw

イベントごとに関しても「どこにでもいるよね」とは、よく言われるんですけど、「誰かいるだろう」という予測の元に1人で出かけているので、結果フットワークが軽いと思われている。
でも例えば花火大会に、ぼっちで行くか?と問われれば、大半の人は行かないと答えると思います。
当然、僕も行きません。
誰か知ってる人がいても行きません。
なぜ任務でもないのに人混みの中に、ぼっちで潜入しなければならないのか?
根本的に人混みが嫌い。
美術展とかでも、人が多いと「半分帰ってくれないかな」と本気で思っています。

なので、ぼっち向きでないイベントには、最初から「行く」という選択肢が無い。
選択肢が無いので、頭からイベント自体がスコーンと抜けてしまって、普通に別のイベントの予定を入れてたりします。
去年も花火大会の日に僕が運営している映画部のイベントを入れてしまって、誰も来てくれないという惨憺たる結果になったことがありましたw

誘われれば行くんですよ。
行動方針は「お呼びとあらば即、参上」なので。
でも人を誘って行こうという感覚が無いんですよ。
それでなくとも誰かを誘うというのは、僕の中では一大決心のいることで。
『ぼっち・ざ・ろっく!』でも、ぼっちちゃんがバンドメンバーを遊びに誘うのを躊躇していた気持ちが、よくわかります。
ぼっちの人間が誰かを誘うというのは、ハードル高いんですよ。
断られたらどうしようとか、誘ったら迷惑じゃないのかなとか、いろいろ考えてしまって。
結果、誘われるのを待つという。
・・・というか、僕なんてもう不惑を過ぎているので、誘われるのを待つ間に1人で行く。

思考にせよ、行動にせよ、ぼっちに最適化されすぎていると思うんですよ。
人となにかするということが完全に欠けている。
徐々に人といることに適応しつつあるとは思うんですけど、いかんせん元から柔軟性が無いので。
最近若い頃に、もっと人と交流すべきであったと後悔することも多くて。
圧倒的に経験値が不足している。
円で表現すると自分の一番外側の部分が、ちょっと形が変わったかな-?くらいです。
40も過ぎてしまっているから、根本の部分はもう変わらないだろうし。
それより恐ろしいのは、これから先もっと考え方の柔軟性が失われて、さらに凝り固まってしまうこと。
そうなったら完全に老害です。

今でさえぼっちが身に沁みすぎて、考えが常に独りよがりというか、協調性も無いと思うし。
身に沁みているというより、完全にこじらせている。
もう誰かといられるような人間でないと思うことも、しばしば。
口先だけで僕は周りの人を大事にできてないんじゃないかと思うんですよ。
大切に思っていないというか。

いままであまり人と関わってないから、他人の感情の機微がわからないし、わからないから空気も読めない。
この空気が読めないというのは、僕にとってものすごくコンプレックスなんですよね。
空気が読めないがために、覆水盆に返らずという事態がよくあるし。
感情を読み取れない分いろいろ考えるものの、考えが独りよがりなものだから、まるであさっての方向の対応しか取れないし。
ニュータイプばりに人の気持ちを汲みとれたら、どんなにいいかと思います。
それは僕ではなかろうと思うけど、むしろそれでいいと思う。

それに人との距離の取り方も、よくわからなくて。
おもに感情的な意味で。
だいたい3歩くらい下がっちゃうんですよ。
自分がいると迷惑なのでは?という考えが根底にあるので。
いるかいないかわからないくらいの境界線で、ちょうど良いと思っています。
他の人にはネガティブ思考が面倒くさいだろうから、あまり人と交流してもと、こじらせスパイラルに堕ちてゆく。
暗黒面の呼ぶ声が聞こえますもん。
自分の暗黒面に耐えかねて、本当に山に籠もって人と関わらないようにしようと思うことさえあります。
いっそ、そのまま穴を掘って即身仏になろうかと。
まだ、その方が人様の役に立てる気がする。

結局のところ、なにが原因だと言って、自分に自信が無いのが原因。
自信が無いから余裕が無いし、余裕が無いから自暴自棄になって事に当たってしまう。
それでまた自信を無くしていくという。
ぼっち感覚は補強されゆく。
 
いやー、どうしよう。
もっと軽いノリの記事のはずだったのに、どんどんネガティブな話になっていく。
完全に“ぼっちタイム”になってるよ。
3000字も書いたのに!
うーん、なんとか切り替えないと。

いろいろこじらせている面倒くさいおっさんを受け入れてくれて、交流してくれている周りの人達には感謝しかないです。
いや、本当に。
みんなと知り合えて、仲間に入れてもらえたおかげで、自分のやりたいことが見えてきた気がするし。
できないと思っていたことが、できるになったことも、たくさんあるし。

精神的には、ぼっちのままですが。
冒頭の話に戻ると、陽キャにまでなりたいとは思わないけど、喜多ちゃんのような聖人になりたいという憧れはあります。
目指しているのは、ちっちゃいインフルエンサーだけど、同時に聖人になりたい。
『青春コンプレックス』の歌詞にあるように“猫背のまま  虎になりたい”みたいな話ですけど。
ぼっちのまま聖人になりたいw

いやいや、ぼっち感覚から抜け出したい!
それ引きずってたら、聖人になれないから!!
むしろそれを脱ぎ捨てたいから、聖人になりたいのであって(@0@;)
いつかは、ぼっち感覚から抜け出せるのかなー。
抜け出せた頃には、もう60の声を聞くようになっている気がする。
そういうわけでインスタのストーリーから、直接記事にアクセスしづらいことに気づいた、ひろむです。
最近、記事を更新した時にストーリーに通知をしてたんですけどね。
どうにも伸びが良くない。

どうしたことかと首を傾げていたんですけど、ずっとリンクが張られているものだと思っていた記事タイトルの表示部分が、ただのスタンプだと気づいたんですよw
リンクは左上の方に「Amebaを開く」と小さくあるのみ!!
そりゃあ流入ないわ、と。
今回からは通知に別途リンクを張ろうと思います。
いまだにSNSで四苦八苦(´ヘ`;)ハァ
Threadsも登録してみたけど、使い方がわからないよ。

さあ、気を取り直して本題に入りましょう!
なんと私、ラジオデビューすることになりました!!
この僕がラジオに出演しちゃうんですよ。
いままでは、もっぱらリスナーの立場だったのに。
メールを送るくらいが、せいぜいの関わり方だったのに。
まさか、こんな日がやって来ようとは。

出演するのは5月末に開局したばかりの地元のコミニティFM。
局員の友達からオファーをもらって、コーナーゲストとして呼んでもらいました!
コーナー自体は収録だったので、すでに済ませてあるんですけどね。
僕が関わらせてもらっている商店会がコーナー持っているので、出演するのはそっちでお鉢が回ってきてからかなーと思っていたんですが、まさかプレーンな自分で先に出るとは!
もちろん商店会とは別コーナー。

タイトルには“ミニ四ファイター”と書いたんですが、肩書き無しの“ひろむ”で出てます。
「クワトロ・バジーナ、百式、出る!」みたいな感じのタイトルにしたかったんですけど、いかんせん“ひろむ”というワードを入れると語呂が悪いんですよね。
クワトロ・バジーナという言葉に対して、“ひろむ”だとすごく短い。
結果、タイトルは“ミニ四ファイター”になりましたw

「メビウス1、FM、出る」というのも考えたんですけど、メビウス1はたくさんいるからなーと。
ちなみに“メビウス1”というのは『ACE COMBAT04』の主人公のコールサイン。
『ACE COMBAT04』のプレイヤーは全員、メビウス1なわけで。
そりゃあ、もう星の数ほどメビウス1がいるから、特定できんのですよ。

蛇足ですが出撃に際しての言葉で、一番馴染みがあるのは「まわせー!」。
僕の好きな漫画『エリア88』の頻出用語です。
エリア88は「最前線中の最前線」と呼ばれるほどの激戦区の航空基地なので、しょっちゅう敵襲を受けるんですよ。
で、迎撃に出るパイロットがヘルメットをつかんで、このセリフを叫ぶまでが、ひとつの流れ。
航空機なので車と違ってキーをひねればエンジンがかかるというわけではないので、おそらく「エンジンを回せ」の意味だと思うんですけどね。
とはいえラジオに出演するという話なのに、「まわせー!」では意味が通らないので。

話を戻して、収録は思いのほかスムーズに行きました。
パーソナリティとして出演している友達もいるし、イベント告知などで出演している友達もいたので話を聞くと、みんな「緊張した」と言っていたので戦々恐々で。
自分で言うのもなんですが、書くことに関しては一日の長があると思っています。
でも、喋るとなると、からっきしで(@0@;)
おしゃべりは好きだけど、言葉に詰まることが多いし、得意ではない。
なんというか会話のスピードに、頭の回転が追いつかないんですよ。
フリートークなんて、もっての外。
緊張でガチガチで喋れなかったらどうしようと、ハラハラしていました。

とはいえ見えっ張りな僕としては「不様ね」と言われるのも嫌だなぁと。
そこでどうしたかというと、事前にトークする内容を教えてもらって、カンペ作製&イメトレw
ラジオの想定問答をイメトレしている姿など、とても人には見せられませんがw
トークのお相手は、オファーをしてくれた友達だったこともあって、緊張せずに普段通りにおしゃべりすることができました!
これでも若い頃に多少、お芝居をかじっていたことがあるので、こういう時はその経験が活きる気がします。
ラジオ的な間を意識する余裕を持って、話ができました。

それとこれは収録した後で思ったことですが、このブログを書いていることも、役に立ったかなぁと。
それというのもブログを書く時に意識しているのは、読者を想定すること。
誰かに話をするつもりで書いているんですよ。
すなわち今この記事を読んでくれている、あなたに直接話をするつもりで書いています。
誰かに聞いてもらうために話をするって、同じだなぁと思って。
もっともイメトレを振り返っての話なんですけどねw
『ぼっち・ざ・ろっく!』で、ぼっちちゃんが妄想の中ではアリーナを満員していたみたいな。

そしてラジオに出演したことで、今年はテレビ、新聞、ラジオのメディア総ナメ!
しかも全部、別案件w
まぁ、全部地元限定のものですけど。
出たことには変わりない!
ちょっとした有名人の気分。
いやー、おいそれと悪いことはできないな。

放送予定は7/12(金)の12:45頃。
周波数は88.3MHz、FM DAMONOのお昼の番組『ひる!だもの!』内の『足利市民友達だもの』というコーナーに出ます。
FMプラプラというアプリをインストールすれば、スマホでも聴けますよー!
あらかじめFM DAMONOを登録しておいてください。
『宇宙刑事ギャバン』とミニ四ファイターと、地元・足利について語っています。

散々、告知しておいてなんですが、本人は当日は仕事で聴けないというw
もう収録してしまったから、いまさらだけど、書いてるあいだに不安になってきた(;´Д`)
もしダメダメなトークだったら「イキってすみません」って言いますw
そういうわけで夏至が嫌いな、ひろむです。
仲良しの友達の誕生日が夏至なので、言いづらい話ではあるんですけど。
1年で1番昼が長いというのがどうも。

夏至が来てしまったら、次の日からどんどん日が短くなっていっちゃうじゃないですか!
吸血鬼もかくやという完全な夜型人間、夜の種族の僕が言うのもなんですが、日が短くなるの嫌いなんですよ。
18:30くらいに暗くなり始めるのが僕の理想。
なんだか日が短くなって、気温も下がってくると、自然と気分も落ちるですよね。

そうかといって冬至が好きかと問われても、冬至もやっぱり好きじゃない。
次の日から日が長くなると言っても、昼間が短すぎて嫌。
単なるワガママなんですけどね。
日が短いと活動時間を短く制限されたような気がするんですよね。
だから冬至も好きじゃない、寒いし。

さて、のっけから好き嫌いの話をしてしまいましたが、タイトルとは関係ありませんw
今回は趣味について考えたいと思います。
というか考えていたんですけどね。
日々あれこれと、とりとめのないことばかり考えているのです。
で、考えいたのは趣味ってなんだ?と。

一応、僕も趣味の人というキャラクターで売ってはいますが、本当に好きなのか?といわれると揺らぐなと思って。
いわゆるガチ勢と言われる人たちから見たら、どれもものすごく浅いと思うんですよ。
とにかく広く浅く。

何度か書いてますが、昔いた会社で「映画を観るのが趣味です」と言ったら、映画との関わり方が気に入らないという理由で吊し上げにあってたんですよね。
「そんなの趣味じゃねえ!」と。
社内の人の趣味の基準に達してないから、嘘つき呼ばわりされて、僕の好きなことはどれもその基準に達してないから「趣味は無いです」と言ったら、それも嘘だと。
「趣味の無い人間なんていない!嘘をつくな!」と。
なんだよ、その無茶ぶり。
結果、嘘つき認定から周囲の人間を騙す奴は公正させる必要があるという吊し上げに繋がったんですけどね。

以来「これが趣味です」というのが、少し怖い。
「全然好きじゃないじゃん」って思われるのが嫌だなと思って。
個人的には、好きな気持ちがあれば、それは趣味だと思うんですけどね。
にわかファンは、ちょっと嫌だなと思う部分はありますが。

例えば僕はアニメ観るのが好きだけど、わりと口に出しづらい。
なぜかというと「今期なに観てる」という会話になると、途端について行けなくなるから。
最近観たのは『ぼっち・ざ・ろっく!』と、『水星の魔女』ですからね。
どっちも今期どころか、2年近く前に放映された作品。
基本的にリアルタイムでアニメ観ることってないので、好きじゃないみたいな感じになってしまうのが辛い。
今期に限って言えば『<物語>シリーズ』の新作は追いかけたいと思ってはいるんですけど、実際追えるかどうか(@0@;)

映画とか美術に関しても、このジャンルは好きだけど、これは別にというのがあるので、好きって言いづらいことがある。
このあいだ書いたばっかりだけど、特に美術については専門の教育を受けたわけでもなければ、好きの対象がすごく限られてるので、美術好きですって名乗っていいのか悩ましい。
美術館に行くのは好きだけど。
鑑賞の仕方みたいなのも、よくわかってないし。
映画も、どメジャー作品を見てなかったりするし。
そこを突かれて、趣味じゃねえ!って叩かれちゃったので。

ミニ四駆も大会に出るよう意気込みはないので、そこまで好きじゃないのかもしれないって思うんですよね。
まぁ、ミニ四駆は大会に出るようなガチ勢だけではニッチになってしまうから、非公式だけどガチ改造じゃなくても参加できるルールの大会が行われたりしてます。
ガチの人からすると、逆に縛りが楽しいようですが。
もう公式大会に出るような人がいるところは鬼の住処ですよ。
1000円チョイで買ったマシンに対して、工具やらなにやらで万単位の投資をしてますからね。
そこまでいかないと趣味じゃないとか、好きじゃないとか言われても、という感じです。

うーん、考えてみるとガチ勢に対して、引け目を感じているのかなぁ。
ライトな趣味というか、ライトだからこその趣味じゃないのかなぁ、って個人的に思うんですよね。
突き詰めたい人は突き詰めれば良いけど、時間も予算も人それぞれなんだし、個々人が楽しんで満足できるのが一番なんじゃないのかな。
そりゃあ、浅い知識で鼻高々に話をしたりするのはどうかと思うけど。
沼るだけが趣味じゃないはずだし。
結局のところ、過去のトラウマを引きずってるんだよなぁ。
だいぶ、いろいろ脱ぎ捨てたつもりだけど、相変わらずの部分はあるな(@0@;)
まぁ、今は趣味についてケチを付けてくるような人はいないから、気にする必要はないんだけど。
そういうわけでスーパーアバンテを買ってしまった、ひろむです。
誕生日プレゼントにもらったミニ四駆のパッケージイラスト集を見ていたら、矢も盾もたまらず。
あいかわらずのアバンテの呪縛w

ちなみに買ったのはスーパーアバンテ RSの方。
なにも付いてない方のスーパーアバンテは、アバンテの系譜として認めていません。
ただ未だ箱から出してもいない。
せめてサイクロンマグナムのボディと一緒に洗おう。

さてタイトル通り、今回は少し真面目に頭を使いました。
僕の行動方針はコズモレンジャーJ9を見習って「お呼びとあらば即、参上」。
結果「市内にひろむが3人いる」「いや、5人だ」などという都市伝説紛いの話が持ち上がるほど、あちらこちらに出没しています。
イベントとあれば、なにかしらの形で参加しているので「どこにでもいますよね」と言われるのは、もはや恒例となっています。
まぁ、たいてい半運営半お客さんという曖昧な立場で関わっていることが多いんですけど。
僕はこれを中距離支援と呼んでいます。
言い換えるとガンキャノン的運用。

音楽、美術、カフェ巡り、売り子とジャンルを問わずに首を突っ込みまくっているのです。
呼んでもらえるからには一生懸命やりたい!と思っているので、毎回全力を尽くすようにしています。
期待に応えたいし、一緒にやろうと思ってもらえたことに報いたいのです。
もしかすると、いまだに以前勤めていた会社で「社会の害悪」と言われたのを引きずっているのかもしれません。
社会にとって、というか周りの人にとって有益であることを証明したい気持ちがどこかにあるのかもしれない。
そんなわけでコロナが一段落してからというもの、イベント続きの毎日を送っているのです。

で、呼んでもらえたからという動機で、各種イベントに首を突っ込んでいるわけですが、その目的はというと「地元を盛り上げたい」。
もちろんイベントを運営している友達が、一生懸命やっているから応援したいという気持ちもあります。
それと同時に自分が、この街をだいぶ長いこと「面白くない」と感じていたので、きっと同じように感じている人がいるだろうと思って。
面白いことも、面白い人も、たくさんあるし、いるよ!と知ってほしいのです。
冷めた目で傍観するのでなくて、面白そうだから行ってみよう!って思ってほしい。

数打ちゃ当たると言うと言い方が悪いですけど、どれかは誰かに引っかかるかもしれないし、いろんなイベントやってたら活気づくかなと。
外からあの街面白いな!中からは自分もなにかやってみたい!って思ってもらえたらしめたもの。
そのためには、まず自分が旗を振らないと!って思うのです。
なによりも、まず自分が率先して楽しむ。
楽しくないイベントなんて参加したくないじゃないですか!

それと、これ自体が自分のやりたかったことだなって思う。
なにか地域のために貢献できることがしたいと、以前から漠然と考えてはいたんですけど、そのキッカケが無かったというか。
人脈もなにもないし、どこかへ飛び込んでいく勇気も無い。
なにをしたら良いのかもわかってなかったし。
運良くいろんなところで縁が繋がって、いまはこうして地域のために動けてる。
なんなら経済的にどうにかなるなら、仕事にしても良いと思っています。
もっとも愛着があるのは土地に対してではなくて、そこに住んでる人に対してなんですけどね。

そんな中で感じたのはイベントのためのイベントって、意味が無いなと。
ある人が、そういう話をしていたんですけどね。
その時は「なるほど、そういうものか」と思っていたんですけど、だんだんと意味するところがわかってきた気がして。
理由は様々ですけど、目標がないとか、外に向けてのイベントなのに内輪だけで楽しんでるとか。
それはパーティーであろうと。
別にパーティーが悪いと言うわけじゃないんですよ。
そもそも内輪だけで楽しむのを目的に、時間とコストをかけるのは良いと思います。
ただ、それを形だけ外に向けることに意味が無いと思うんですよ。
なぜ最初からクローズドなものにしないのか?

先に書いたとおり、まずやる側が楽しむというのは大事だと思うんです。
これは僕が若い頃に演劇をやっていたときからのポリシーで。
やってる側が楽しくないと、お客さんも楽しくない。
そう言いつつ血走った目でイベントやってることが多いんですけどw
それはさておき、やってる側だけ楽しくて、お客さんの方を向いてないというのは問題です。

オープンなもので人が来てくれなかったら、それは僕にとっては明確に「失敗」。
失敗であっても、それを次回に活かしていくなら意味があると思うんですよ。
「やって楽しかったから、いいや」で片付けてしまうのであれば、そもそもなぜやるのか?を見失ってると思う。
その先が無いというか。
学校の文化祭なら、それで良いんですけど。
やった結果どうする?のビジョンがないのは、いただけない。
少なくとも僕が関わる意味は見出せません。

だって、なににも結びついてないんですもん。
僕の土台にある「地元を盛り上げたい」に絡まなければ、参加しても空回りしてるようなものです。
方向性が合わないというか。
それをこっち側に引っ張れるだけの力があるなら、そうもしますが、それだけの能力があるなら自分でイベントを立ち上げて運営してますw
逆に言えば、そんな能力も無いくせに、なに言ってんだでもあると思うんですけど。

なにしろ僕はキャパが大きくないので、いろいろ重なってしまうと、処理できなくなってしまうんですよ。
なのでこれからは関わるイベントも取捨選択していかないといけないなと思って。
もちろん全力は尽くしますし、できる範囲で引き受けますが、割ける時間のボリュームによって、できることに差が出てくることになるだろうし。

最近、そんなことを考えいて、どうにも考えがまとまらないので1度言語化してみました。
思いの丈を書き綴ってみようと。
アウトプットしてみて、それを眺めてみると、少し整理できたりしますからね!
なにか所信表明じみてしまったけれども・・・。
頭の中は多少、整理できました。
自分のしたいことと、できることを、ちゃんと考えていかないといけないな。
そういうわけで、ぼっちエピソードを話しても、容易に信じてもらえない、ひろむです。
別に『ぼっち・ざ・ろっく!』を観たからというわけでもなく、なんとなくそんな話をする機会があったんですけどね。
まぁ、誰も信じてくれない!

30半ば過ぎまで、本当に地元に友達いなくて!
いやいやマジで。
職場と家の往復以外は、映画館に行くくらいしか用事無かったんですよ。
半ひきこもりみたいな生活してました(@0@;)

さて話は変わって酸っぱいものが好きなんです。
辛いものが好きな人って、よくいるじゃないですか。
僕の周りにも「なに?地獄からの使者なの?地獄大使なの?」というレベルの辛い物好きがいるんですけどね。
わりと辛党って市民権を得ていると思うんですよ。
辛党という言葉はあっても、酸っぱいもの好きを表す言葉もないし。

辛い調味料とか、辛い料理とか、たくさんあるし。
そこへ行くと酸っぱい物好きというのは、なにかニッチだと思うんですよね。
例えば“すごく酸っぱい”を売りにしているお菓子とかがあるけど、僕的には「まだイケる」なんですよ。
「甘いな」って感じてしまう。
いや、味覚的な意味で。

辛党だったら「辛さが足りん」と言って辛い調味料を足したりできるけど、酸っぱいものだとそうもいかない。
レモンの絞り汁を持ち歩くわけにもいかないし。
そんなわけで、未だ自分の耐えられる酸っぱさの限界を知らないんですよ。
そこで考えてみたんですけど、辛さに対して酸っぱさというのはバリエーションが多い。

辛さ=唐辛子というのが一般的な基準のように思うんですよ。
なにしろ数値化できるくらいだし。
一方で、わさびの辛さとか、和からしの辛さを強調したものというのは、あまり聞かない。
バリエーションとして、ちょっとわさびがあるくらいの気がしています。
ちなみに僕は唐辛子より、わさび派です。

対して酸っぱさは、レモンみたいな柑橘類の酸っぱさもあれば、梅干し的な酸っぱさ、酢の酸っぱさとかバリエーションが豊富な気がするのです。
僕が強いのは柑橘類の酸っぱさ。
酢は、あまり好きではありません。
梅干しも酸っぱさを求めて食べようというほど、好きではないです。
調べたところによると、レモンも梅干しも酸っぱさの正体はクエン酸らしいので、同じもののようですが。

酸っぱさにバリエーションが多いから、仮に酸っぱさに全振りしたとしても、どの酸っぱさなの?って分散してしまう気がして。
某100円ショップで売ってたソフトキャンディーも、レモンと梅干しで別れてたし。
辛いものだと、暴君ハバネロとか、カラムーチョにしてもチリ味って一括りになってるじゃないですか。
デスソースとかにしても、大きな括りで見ればホットチリというところに分類できるはずだし。

レモンそのものですら普通に食べられてしまうので、唐辛子で言うところのキャロライナリーパーのような、信じられない酸っぱさのレモンが存在していても良いと思うんですよ。
ただ、なぜ酸っぱさが市民権を得られないのか考えたときに、酸っぱいものというのは本能的に「身体に悪そう」と感じるからじゃないかと思うんですよ。
「酸っぱいものは身体に良い」と、よく言うから矛盾したことを言うようですけどね。

腐ったものって、酸っぱい匂いがするとよく言うじゃないですか。
誰に教えられたわけでなくとも、酸っぱい匂いを嗅いだだけで、これはヤバいと感じるのって動物としての本能であろうと。
それゆえに、あまり酸っぱさは市民権を得られていないんじゃないかと思うんです。
口に入れられなくなったものが辛くなるという事例は聞いたことがないし。

それと酸っぱいものって足してしまうと、明らかに味が壊れるからダメなのかもしれません。
辛いものは味変としてイケるけど、酸っぱいものを入れても味変どころか、コレジャナイ感が目立つだけだと思うし。
酸っぱさというのは、味覚としての守備範囲が狭いのかな?と思えてきましたよ。
よくよく考えてみると、酸っぱくなるスパイスって存在してないなと。
酢とかスパイスの類いじゃないですもんね。

むむむ、そうすると自分の酸っぱさ耐性を知るためには、ひたすらレモンをかじり続けるしかないのか!?
なんだか、それってすごく残念な感じがする。
このレモンの酸っぱさはイケるんだよ!と言っても、人に伝わらないですかねw
「○辛までイケるよ」みたいな、共通認識が生まれたら良いのに。