昨日は、セラピスト仲間で友人のさとちゃんとお茶しましたが、
その時にちょっと、カウンセリング?というか、
セッションしてもらいました。
色々な、自分に影響していると思われる感情をひろってもらいました。
興味深いことに、出てきた感情の中に、
「絶望」っていうのがあった。
膝あたりに。
まあ、ネガティブな感情だけをひろって、
解消するセッションなんだけれども、
それから、「諦観」っていうのも、心に残った。
自分には小さい頃から、そんなものがある気がする。
絶望とか諦観というと、大げさな印象になるけど、
そこにあるのはある意味ではリラックスと平安なんである。
諦めるというのは、
抵抗をやめて受け入れるということかな。
なぜそうなのかは、わからない。
自然とか、生とか、死とか。
太刀打ちできないものの前で、絶望しているから、
それをどうこうしようとは思わない。
片隅に場所をかりて、きままにやらせてもらえれば、
自然は思わぬ万華鏡を見せてくれるし、生命を分けてもくれる。
そして、私たちはどんなにあがいても時間の前になすすべもない。
その絶望からは平安がやってくる。

人には光と影がある。
影を無くすことはできない。
愛だけの人はいないし、
人には恐ろしく冷酷な面もあると思う。
それに出会って深く傷つくこともあるし、
私の中にも、その冷酷さははっきりとある。
それが人間で、だからって、失望するようなものではない。
それが人間だから。
それが良さなんだから。
yes.
yes.
大抵のことは「どうでもいいこと」になっちゃうんだよ。
たぶん、私は早くボケるな、こりゃ。
その時にちょっと、カウンセリング?というか、
セッションしてもらいました。
色々な、自分に影響していると思われる感情をひろってもらいました。
興味深いことに、出てきた感情の中に、
「絶望」っていうのがあった。
膝あたりに。
まあ、ネガティブな感情だけをひろって、
解消するセッションなんだけれども、
それから、「諦観」っていうのも、心に残った。
自分には小さい頃から、そんなものがある気がする。
絶望とか諦観というと、大げさな印象になるけど、
そこにあるのはある意味ではリラックスと平安なんである。
諦めるというのは、
抵抗をやめて受け入れるということかな。
なぜそうなのかは、わからない。
自然とか、生とか、死とか。
太刀打ちできないものの前で、絶望しているから、
それをどうこうしようとは思わない。
片隅に場所をかりて、きままにやらせてもらえれば、
自然は思わぬ万華鏡を見せてくれるし、生命を分けてもくれる。
そして、私たちはどんなにあがいても時間の前になすすべもない。
その絶望からは平安がやってくる。

人には光と影がある。
影を無くすことはできない。
愛だけの人はいないし、
人には恐ろしく冷酷な面もあると思う。
それに出会って深く傷つくこともあるし、
私の中にも、その冷酷さははっきりとある。
それが人間で、だからって、失望するようなものではない。
それが人間だから。
それが良さなんだから。
yes.
yes.
大抵のことは「どうでもいいこと」になっちゃうんだよ。
たぶん、私は早くボケるな、こりゃ。


と思い、
