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すっぱいぶどうの心理学?

イソップ童話に「すっぱいぶどう」というお話があります。
(「狐と葡萄」とも言うようです)
有名なお話なのでご存知の方も多いと思います。

簡単に説明すると、

木の上にたわわに実ったおいしそうなぶどうを見つけた狐が、
手に入れようとして跳び上がるけれど、
高い場所にあるため、
どんなに跳んでも届かず、
怒りと悔しさから、
「きっとあのぶどうはすっぱくてまずいに違いない」
と捨て台詞を残して去って行く。

という話です。

ひとが何かをあきらめる時の心理を暗に表しているように思えます。
自分の手に入らなかったそれは
「きっと大したものではなかった」
と自分に言い聞かせ慰めているのです。
これは自身を傷つけないようにする上で必要な考え方なのだと思います。
フロイト心理学では、防衛機制というそうです。

しようがなかった。
大したことではなかった。
価値のないものだった
必要なものではなかった。
こうして手に入れられなかった事実を正当化するのです。

それはとても自然なことなので、
決して悪いこととは思わないのですが、
やっぱりどこか後ろ向きだと感じます。

そうではなく、

「今の自分がそれを手に入れられないのは自分がそれに値しないからだ。
だったら、自分を成長させ、
それを手にするにふさわしい人間になろう!」

そうやって
手に入れられないものを簡単にあきらめて見逃してしまうのではなく、
現在の自分のいたらなさを自覚し、
自分自身を成長させるチャンスだと捉え、
成長し、引き寄せ、向上心を掻き立てる、
そうした方法をこそ取りたいものです。

もちろん、それには相当の努力とパワーを必要としますが、
そうした物の見方が人を成長させていくのだと思うのです。

まだ自分はその段階ではない。
まだ自分には成長する余地がある。
その機会が今与えられたのだ。

そのように考える前向きな思考こそが明日へとつながるのだと信じ、
そのようにありたいと思うのです。



ちなみに、英語圏の「Saur Grapes」という熟語は、
「負け惜しみ」を意味するそうですよ。