限定記事には書いていますが、実は2024〜2025年にかけて1年半ほどカルチャーの小説講座に通っていました。コロナ騒ぎに乗じてのオフ会三昧の日々に、すっかり書くことをやめてしまった小説を再び書こうと思い立ったからです。私にとって小説を書くことは楽しみでもなんでもなくて単に苦行ですから、カルチャーにでも通ってプレッシャーを自分に課さないと書けるものではないからです。
さて、その講座ですが私を育ててくださった、いまは亡き先生のご指導と同じ方針の合評方式を採用している講師に師事することに決め受講を開始しました。小説講座の合評方式とは、受講生が書いた小説(またはその一部)を参加者全員で読み、感想・批評を述べ合うグループフィードバックの方法です。作者は作品を提出、他の受講生や講師が「良い点」「改善点」「読み手としての印象」などを率直に伝えます。作者はそれに対して説明や質問に答え、意見を参考に作品を直していきます。相互に批評し合うことで、客観的な視点を養い、技術を高めるのが目的です。
ところが、同じ合評方式でも以前の講師と今回の講師とでは大きく違いがありました。以前の恩師は文法中心、今回の講師は表現力が中心でした。
以前のカルチャーには地方の文学賞に何度か入選している実力者もいて合評もそれなりに的を得ていたものが今回の受講者は如何せん実力不足。徹底的に文法を鍛えられた私には表現力の前に、この悪文をなんとかしようよ、との思いが強かったのですが講座の指導者に従うしか、そこはありませんからおとなしく講義をうけていましたが、この合評の受講生の発言が私には「粗探し」にしか聞こえないのです。
というのも、合評は挙手制ではなく順に必ずなんらかの感想を言わなければなりません。そしてその感想が講師の思いと重なっていると講師が「そう!」と褒めるのです。すると作品への素直な感想よりも講師に認められたいがための「粗探し」がメインになってしまいます。私はそれが嫌なため、明らかに意味が伝わらない部分や動詞や副詞の入れ間違えや重複表現や時系列の間違いを指摘するに留め、あとは、思いが伝わるとか主人公が可愛らしいとか褒める&共感に力をいれて感想を述べていたのですが他の受講生はまったくおかまいなし。ここが変だのここが共感できないだの、終始ケチをつけるのに一生懸命です。
そしてある日、私はふと気づいてしまいました。
私以外の受講生の作品は、はっきり言えば小説にはなっていないほどの稚拙なものなのに、講師はやたら褒めるのです。他の受講生同士も褒め合うのです。主語も述語も動詞の使い方も「 」の使い方も何もかもめちゃくちゃなのに。小中学生の作文程度なのにみんなで褒め合うんです。だって、主人公が一人称なのか三人称なのかその使い分けさえ理解していないんですよ。小説を書く者がそんなです。受動体も能動体もわかっていないんです。時系列もめちゃくちゃです。それに比べたら私の作品は(自分では言ってはいけないですか)ちゃんと小説の体をなしています。私はそれでも、私の書いたものの内容が「つまらない」からだ、と納得をさせていましたが、私の作品に対してはやたらに厳しい意見が飛び交うんです。
なんで私だけこんなことを言われなければならない?
だって、みんな下手くそなのに、なんで私だけこんなにケチつけられなければならない? そのことに気づいてしまった私は受講後のお茶会でちゃんと言いました。
合評では、意味が通じなかったり時系列が狂っていたり文法が間違えていたりを言っていただくのは助かるけど、粗探しになってはいけないのじゃない?とはっきり自分の意見を言いました。
それでもやはり次の講義の際に粗探しが始まりました。しかも私にだけ厳しいのです。
私は主人公の好きな男の子が交通事故で死んだシーンを書きました。主人公が母親の布団に潜り込んで悲しみを堪えるシーンを書きました。中学生のクラスの全員が涙でくれるシーンを書きました。すると一人の受講生が「13歳で母親の布団に入る子はいるかなあ」と言い出しました。別の受講生は「中学生でこんなふうに、しかも13歳ではクラス全体で泣きませんよ。私の知っている中学生はみんなドライです」とドヤ顔でいいました。そこで私は切れました。
人間の気持ちや行動はみんな違います。それを自分だけの固定観念で否定していたら小説なんて書けません、と言って大声で切れました。
そして次の回からこの講座に行くのは止めました。馬鹿馬鹿しい。受講料は払い損です。惜しくはないです。
講師からはメールにて何度か慰留を受けました。
講師曰く、他の受講生よりもあなたはずば抜けて書ける。書けるから批評が入る。意味が通じるから小説として成り立っているからみなさんが言える。
他の方の文章はどこを批評していいかわからないから、みなさんが褒めるしかないんです。
いやいや?
そんなことを言われて引き止められてもね、粗探し合戦に参加してもね気分悪いだけですから教室には戻りませんでした。
画像はちょっとした「お試し」で応募したエッセイコンクールの受賞作品の掲載誌です。この講座の受講生では2名がこの公募に作品を出しました。
もちろんこの受講生は私の作品に「共感できない」とケチをつけた受講生です。
カルチャーを辞めた私もこの公募に出しました。私の作品は入選しませんでした。佳作にも入りませんでしたが最終選考には残りました。最終選考に残ったということはちゃんと文章になっていたということです。入選作や佳作は審査員の好みできまりますからまずは最終選考に残ったということは及第点をいただいたと考えて良いのでしょう。書いたエッセイは13歳の同級生の死に関してでした。同級生全員が泣き悲しんだことを書きました。
そして
私の作品にケチをつけた受講生2名の名前はどこにもありませんでした。
ふたりが選んだ香りのテーマは、介護中の母親の「匂い」と焼き芋の「匂い」でした。「香り」がテーマだっちゅうのに 笑


