2024年7月
震災遺構の浪江町立請戸小学校を見学してから
双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館に行きました。
2022年の9月にも、この伝承館のすぐ前までは行っていたのですが
なにせ、青春18切符の旅で、駅からは伝承館までかなりの距離があり
電車の時間の都合で見学はあきらめました。
駅に引き返してから駅前にシェアサイクルがあるのを見つけ
しまったなあ、と思った記憶があります。
昨年は車を運転して、でしたから楽々と見学できましたが
展示自体は、ちょっときれいにしすぎましたかね。
広島の原爆資料館のように胸に訴える感じはなく
あまり伝わるものはありませんでした。
やはりそのあたりは
アメリカからの攻撃(広島)と、天災による事故(福島)との
違いでしょうか。
原発事故は人為的ミスや陰謀説などさまざまな憶測が飛び交っていて
私はどの説をも支持する立ち位置にはいません。
ただ、同じ原子力による被害なのに
広島を訪れる人は多く、訪れるひとが涙するのに対して
福島を訪れる人は少なく、涙するひとも少ないのは悲しいことです。
人間のしでかしたことには変わりがないのに。
展示は、被害に遭われた方たちの写真や
災害派遣された自衛隊員や消防士、警察官の
身につけていたものや備品が主です。
実際に事故にあった原発の写真や溶けたもの壊れたものの
展示はないです。
放射線量がまだ高いのでしょうからあたりまえなんですが。
この伝承館は屋上から外を眺めることができます。
伝承館から海に向かっての眺めはこんな感じ。
ここは震災記念公園になるのだそう。
写真奥に見える家は無人です。
きっと、人は戻らないかな。
わたしは写真右上に見える少しアーチになった道路を
相馬方向〜請戸から走って双葉町に入りました。
この家は2階まで津波の被害に遭いましたが
建物が新しかったので壊れずに残ったそうです。
持ち主さんが町に寄付をしたので、この家は
記念公園が完成したら、震災遺構として公開されるようです。
伝承館から内陸側の鉄道駅間は工場やら倉庫やらが並んでいます。
もっとたくさん建ち並んでいたんだけど、気持ちが追いついて
行きませんでした。
ドローンの工場やら最新テクノロジーの工場会社が多いようです。
説明してくださった伝承館の人のはなし、ちゃんと覚えていません
ごめんなさい。
工事関係者の宿泊施設も充実しています。
太陽光パネルの右上に小さく見える家も無人です。
とにかく、常磐線から海側は人は戻っていません。
2022年にこの町を歩いた際には住宅街も歩きました。
失礼を承知で言えば、こんな田舎なのに
住宅街は驚くほど立派でした。
原発の補助金や交付金があったからなのでしょう。
反対しても賛成しても、狙われた町には作らさざえるを
得なかったのでしょうけど、代償はあまりにも大きいと
思いました。
その立派な住宅街にはもう人はいません。
海辺に建つ三角の建物はマリーンハウス。
「あそこまでいけますか?」と尋ねたところ
海までの道は防波堤の前で通行止め。
防波堤の上を歩いてなら行けます、とのこと。
ただし、写真の道路標識の場所まで行くと線量計が
跳ね上がるのだそう。
「行かない方がいいですよ」と言われたので
素直に従いました。
でも、なぜか
マリーンハウスのすぐ後ろの建物には車が出入りしているんです。
不思議な光景ですね。
請戸の漁港から、少しだけ原発が見えると教えていただいたので
請戸の漁港まで戻ってみました。
原発は山の向こうの入江にあり
双葉町から建屋は見えません。
わずかに鉄塔と作業のクレーンが見えるだけ。
しかし、驚くことに双葉町から常磐道に入る際に
国道を南下すると、廃棄物処理場のすぐ脇を通ります。
うわあ通って大丈夫なんだろうか、と横目で見て
通り過ぎました。
さすがに車から降りる気にはなれませんでしたが
作業員さんたちは大丈夫なのかしら。
漁港のすぐ近くに新しい拝殿がありました。
鎮魂のためでしょうか。
相馬から双葉町にかけての沿岸は太陽光パネルが多いけれど
植樹の数の方が多いのには救われます。
沿岸はだいたいこんな感じ。
防砂防風林が見上げる高さにまでになった時には
日本はどんなふうに変わっているでしょうね。



















