この騒動が起こってから

 

例えば年に1度か2年に1度とか

 

その程度の頻度でしか会わない人たちから

 

収束したらお会いしましょう、と言われてしまうことが

 

頻繁に起こって

 

その度に、

 

ああ、この人たちとはもう2度と会うこともないなあ

 

と思った。

 

例えば隔週の習い事の後にランチを共にしていた友人からも

 

収束したらまた、と言われたときも

 

ああ、この人とはもう2度と会うこともないなあ

 

と思った。

 

 

 

 

その時点では、この友人知人たちとは

 

コロナに対しての考え方や普段の生活での価値観が大きく異なるために

 

もう2度と会うことはないだろう、と思ったんだけれど

 

最近になってどうやらそれも違うような気がしてきた。

 

 

この人たちはコロナの騒動があってもなくても

 

そもそも、私を必要としていない人たちだった。

 

そんなふうに思う。

 

たまたま、何かの都合で私に声を掛けて

 

誘い出してくれていただけで

 

私は誘いを断れない性格だから

 

便利だっただけで、特に私に会いたいとか

 

私と喋りたいとか

 

そんなではなかったんだろうなあ、と思う。

 

 

 

単に、暇つぶし要員だったから

 

この騒々しい世界になってまで

 

そこを押してまで私に会おうとしないのだろう。

 

だからたぶん

 

コロナ騒ぎとか関係なく

 

私は彼女らの人生にはなんの必要もないただの暇つぶし。

 

 

 

本当に私の存在が必要だったのなら

 

この騒動下であっても私に会いにやって来るはずで

 

残念なことに

 

そんな人はただの一人もいない。

 

 

 

メールや手紙はけっこう頻繁に届く。

 

私は丁寧に返事を書いているけれど

 

収束したらお会いしましょう、と結び文句を書く人たちの

 

相手をするのが正直、バカバカしくなる。

 

 

 

コロナの騒ぎが起ころうと起こるまいが

 

私を必要とはしていなかったくせに

 

綺麗な言葉ばかりを並べないでほしい、と思う。

 

 

 

 

ならば

 

今、オフ会などで会っている人たちはどうなのだろう?

 

今はお互いにお互いを必要としているけれど

 

やがてこのときのことを忘れて去っていくことだろう。

 

今はお互いに大切な存在かもしれないけれど

 

所詮は通り過ぎていくだけの人たちで

 

ただ

 

今は、お互いに励ましあっている。

 

 

 

私の過去を知っている私を都合よく使用していた

 

旧来の友人たちよりも

 

いずれは去っていくだろう彼らの存在の方が

 

今は重要でありがたい存在であることは確かだ。

 

 

 

これから先

 

何十年も残っていない人生だから

 

もしかして、今後も語り合える友が見つかるかもしれない

 

そんな希望だけは捨てないでいたい。

 

 

 

 

 

それにしても、夫の存在はありがたい。

 

 

 

このひとだけは疑う余地もなく

 

世界中で誰よりも私を必要としてくれている。

 

 

 

息子たちの普段の暮らしに私はまったく存在していないから

 

今はきっと

 

私を必要としてくれるのは

 

唯一、夫だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

外食の写真ばかりをアップしているから

 

たまには手料理を。

 

 

 

鳥腿のオーブン焼き

 

 

 

 

 

 

 

 

丸茄子の田楽。

 

 

 

 

オーブン料理の組み合わせになってしまった。

 

どちらも、冷蔵庫の中で

 

「早く食べてー!」

 

と訴えていた材料たちへの感謝のための料理。

 

 

 

 

 

腐る寸前だった、ってことね。