なんのトラブルが起きているのか

 

嗅ぎ回っている人が多いとみえ

 

当ブログ最大のPVをいただきましてありがとうございます。

 

(いらないけど)

 

 

コロナ騒ぎが始まった頃は

 

こういったことが私にとっては驚異だったから

 

ある意味怯えていたのだけれど

 

ここまで社会が歪んでしまったらもう

 

そんなこたあ、怖くもなんともないわ。

 

 

 

 

こそこそ嗅ぎまわるのも

 

悪口言うのも好きにすればいい。

 

そんなことに構っている場合じゃないことに

 

気づかない人たちのことはもう、どうでもよろしくてよ。

 

 

 

でも、せっかくだから軽く説明するね。

 

 

 

ことの起こりは

 

私が限定記事で暴言吐いたことでした。

 

私には暴言を吐いた自覚があったから

 

自分自身の性格の悪さと、それから記事自体を後で削除する

 

と書きました。

 

そこに、お叱りのコメントが入りました。

 

 

 

あなたの言葉はあなた自身に返ってきますよ

 

って。

 

 

なので、一旦は記事を訂正しましたが

 

やはり納得がいかなかったので追記しました。

 

私の主張を通しました。

 

 

その上でコメントには反論をしました。

 

 

 

それでもなお、私の心情や真意を主張したかったので

 

2つ

 

記事を投稿しました。

 

 

 

それが以下の2つです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント投稿者には理解されないだろうと思っていましたが

 

暴言の背景だけは主張したいと思いました。

 

 

 

ですから

 

コメント投稿者がさらに思うことがあるのなら

 

この2つの記事にコメントが入るだろうと思いました。

 

しかし

 

コメントは入りませんでした。

 

 

なので私はこの件については、ここで終わったと思っていました。

 

 

 

しかし

 

この後、数時間経って

 

コメント投稿者は

 

自分のブログにて、私の名前こそ隠していましたが

 

私に向けて記事を書きました。

 

内容は、説教ですね。

 

親切丁寧に心のあり方を説いていました。

 

私のためにです。

 

 

私はそれが、ありがたいとは感じませんでした。

 

 

 

 

しつこい

 

うるさい

 

お節介

 

なにを偉そうに

 

 

 

 

うぜえ

 

 

 

 

 

それしか感じませんでしたから

 

こいつ、切る

 

瞬時に思いました。

 

 

 

私は

 

私に呼びかけるように書かれた投稿を読むまでは

 

お付き合い続行と考えていました。

 

悪い人ではないですから。

 

っていうか、いい人だと思います。

 

だから、リンクの2記事の主張で

 

私が暴言を吐いた心情を理解していただけた、と思ったからです。

 

 

しかし

 

追い討ちを掛けるように、私に対してタラタラ説教ですから。

 

堪忍袋の尾が切れました。

 

 

 

言われなくとも

 

本人が十分自覚していることをタラタラ説教されてまで

 

付き合う必要はありませんから以下の記事を書いて

 

切りました。

 

 

 

 

 

 

 

以降

 

コメント投稿者の記事は読んでいませんが

 

twitterにて読まされてしまいました。

 

 

 

そこには

 

言葉の綾だった、と言うのなら

 

なぜ

 

コメントの返事にそう書かなかった?

 

 

と書かれていました。

 

 

 

はあ

 

やれやれ、と思いました。

 

 

 

私が怒った本質がまったくわかっていません。

 

 

 

私のことを知って、お付き合いしてくださっている方は

 

敢えて言わなくとも

 

それが言葉の綾であることを

 

理解してくださっている、と思います。

 

最初から、本心で言うわけがない。

 

 

つまり

 

私には自嘲する癖のあること

 

私自身が猛毒を吐いた自覚があること

 

それを良し、としていないこと

 

それを理解してくださって、見逃してくれているからです。

 

他のアメンバーさんには弁解なんか必要ないのに

 

投稿者だけは

 

自分に対しての弁解を求めるからです。

 

 

 

私のことなど

 

これっぽっちも思う気持ちなどなく

 

ただ

 

自分の気持ちを押し付けているだけ。

 

 

 

 

その気持ちの元になるのは

 

自分のコメントに反論された悔しさです。

 

 

 

性差でものを言っては嫌われますが

 

なんで男って

 

女に対して謝れないんでしょうか。

 

 

 

 

ウチの夫もまず、謝りません。

 

 

 

 

 

だから、溝が深まるんです。

 

 

 

 

 

 

以上、説明終わり。

 

 

 

 

 

 

この方に対しては

 

今でもいい人だと思っています。

 

嫌いではありません。

 

でも

 

説教垂れられるのは嫌なんです。

 

 

 

私は説教されるの嫌いだけれど、

 

人の話が聞けないことはないです。

 

私は人の道に外れることはしませんし

 

道徳心はありますから。

 

 

考え方の違い、価値観の違いも受け入れます。

 

だけど

 

説教垂れられるのだけは嫌なんです。

 

 

夫に対しても

 

いつも数十倍、言い返しますから

 

私はそういう性格です。

 

 

それを知った上でお付き合いくださいね。

 

 

 

さて、本題。

 

え、上が本題じゃないの? って

 

上は付録です。

 

どうでもいいです。

 

 

 

道の駅・甘楽でランチを食べたあとは

 

群馬県立博物館に行こうと思っていた。

 

 

ところが

 

展示入れ替えのために休館。

 

 

 

時すでに13時半だったため

 

遠くに行くのは諦めて、道の駅近くの『楽山園』に行くことにした。

 

 

iPhoneで調べてみると

 

楽山園の手前には城下町らしき古い町並みも見られるらしいから

 

甘楽の街を散歩してみるのも悪くはないかな、って。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
楽山園までは川沿いの遊歩道を歩く。
 
 
 
 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
楽山園は織田信長公の次男のお屋敷跡。
 
後に松平家に当主が変わるみたい。
 
建物は復元&建物跡のみ。
 
 
 
建物跡を見るとかなりの規模のお屋敷だったことが想像できる。
 
 
 

 

 
丘の上に復元されたお茶室があって
 
自由に入って寝そべれる。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
以下は楽山園手前の町並み。
 
 
 
 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
狭いエリアだけれど城下町っぽい雰囲気は味わえる。
 
 
無料開放している一般住宅のお庭もある。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さいながら

 

歴史資料館もある。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 
 
城下町の賑わいを偲ばせる
 
水路のある町並み歩きも楽しめる。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
有名な観光地ではないけれど
 
いい町だと思いました。
 
 
 
こうした古い町は残っていて欲しいと思います。
 
そのためには
 
人が行かなくちゃ。
 
 
こんな社会に怯えていないで
 
民衆の力で2019年までの暮らしに戻さなくちゃ。
 
 
だから
 
いつまでも騙されたままでいないで欲しい。
 
 
私は昨秋から普通にくらしていて
 
あちこち出かけて大勢の人とマスクなしで会って
 
なんともないのだから
 
これ以上の証人っていないと思うのよ。