一昨日の『キャッ』の上演中にトイレに行きたくなった。
困った。
常連さんであるなら、幕間まで
あとどのくらいのシーンがあるのか分かるのだろうけれど
私には分からない。
だから意を決して立ち上がり、トイレに行った。
トイレを出てからは会場の係員がとても親切丁寧に
シーンの合間を見計らって席まで誘導してくれる。
誘導できるタイミングになるまでは、出入り口前に置いてある
折りたたみ椅子に座って舞台を見ていた。
良かったことがある。
舞台は前方の席で見なくても後方の席でも十分満足できることを
知った。
これからは一番高いチケットではなくとも、たぶん満足できる。
話を観劇中のトイレに戻すけれど
私はこのような場合
私自身が劇を少しの間、見られなくなることよりも
私が恥ずかしい思いをすることよりも
何よりも
私が立ち上がることによって
他のお客様に目障りなこととなり
せっかくの観劇中の高揚した気分の邪魔をしてしまうことを
案じてしまう。
ごめんね、気分良く見ていたのにごめんね。
そんなふうに
自分のことよりも、周りのひとの気持ちや気分の方が
大切になってしまう。
見ず知らずの大勢の気持ちを優先してしまうのだ。
これが、たぶん、私だけというよりも多くの日本人の
気質なのじゃないか。
周りに迷惑を掛けて、ごめんね。
私はあなたたちの迷惑な存在にはなりたくないの。
だから、
マスクが有害だとわかっていても外せない。
今の私は社会にとって迷惑な存在になり続けている。
電車に乗れば、向かいに座った人が逃げる車両を変える。
私のことをカルト宗教にハマった、とか言う人もいる。
でも
考えてみて。
カルト宗教だというのなら、どこに教祖さまがいる?
カルト信者だったのなら
教祖さまの言葉を信じれば徳を積みステージが上がり
教祖さまは教祖さまで献金で大儲け。
でも
今の私は何の得もしない。
反コロナを掲げている人は誰一人として得なんかしない。
バカだの変人だの言われても
言われることを分かっていても
信念は曲がらない。
誰一人として得なんかしない、カルト宗教ってある?
っていうか
お金持ち出して布教(街宣)しているカルトってある?
社会の迷惑な存在になっても
バカにされても避けられても変人扱いされても
お金、持ち出しでも
変なものを売りつけたりもしないで
ただ、マスクしないで頑張っているのは
社会の方が間違っているからだよ。
話、変わるけれど
以前に投稿した我が家の駐車場問題。
以前投稿したのは限定でだったかな?
確認するの面倒だからまあ、いいや。
隣家が車を買い替えてからますます酷くなっている。
なんだこの止め方。
これでは
我が家の敷地を踏まなきゃ車に乗れんだろうが。
