兄さん(誰のことやねん)
年賀状のお返事ありがとうね。
今年の年賀状の中でいちばん私への愛を感じたわ(マジです)。
わたくし確かにもう若くはないけれど気分は二十歳。
今年もバリバリ、動き回りますよぉ
って、これ読んでいるかわからないが。
さて
トロッコ列車を嵐山駅で下りてから
駅からほど近い『落柿舎』へ行った。
落柿舎は高校の時に国語の教科書に乗っていて
そのときの記憶がずーっと残っていたから
一度は行ってみたかった。
落柿舎
俳人向井去来の遺跡
なんの変哲も無い古民家。
門下生が再建したらしい。
質素な佇まいだけれど、当時だったとしてもたぶん豪邸。
当時、俳句を読むということだけで
生活が成り立っていたのだろうか。
去来の年譜を見ると、医者の家の次男ということだから
資金は実家から出ていたかな。
昔の芸術家にはお金持ちのご子息ご息女が多い。
それは現代もあまり変わらないかな。
教育を受ける機会に恵まれる、ということが
人生を左右する。
なんだか悔しい。
屋敷の縁側に座ってみた。
垣根に阻まれて景色は見えなかったけれど
屋敷の前に広がる田圃が往時は見晴らせたのだろうと思う。
落柿舎を出てからは
竹林の間の道を少しだけ歩いて
世界遺産『天龍寺』に向かった。
なんということでしょう。
天龍寺では庭の写真を2枚しか撮っていない。
ここでは私が本堂の参拝口を間違えて
夫を余計に歩かせてしまい
夫のテンションがだだ下がったために
写真どころじゃなかったのだった。
天龍寺を出てからは
定番の渡月橋を渡った。
40年以上も前に修学旅行で渡月橋を見た際には
木造のしょぼい橋だったのに
あーあ、コンクリートになっちまって。
ここで
食べログで見た京料理のお店にランチの電話を入れるも撃沈。
仕方がないので
桂川が眺められるお店に入った。
団体客用の雰囲気のお店である。
しかし、ガラ空き。
特にラッキーなことではなく
窓に面したお座敷に座れる。
コロナ騒ぎがなければ
絶対に座れないであろう窓側の席で
特に食べたくもない、鰊蕎麦を食べた。
ファミレスとなんら変わらないお料理に泣ける。
「鰊は美味しいよ」
「でも、この店で調理はしていませんよ」
まったくなあ。
テンションを上げたい、というか
しょーもないお料理を食べている私を慰めたくて
あえて、鰊を褒めたのに
夫は無神経にテンションを下げることを言う。
窓の外では
和装の新郎新婦の撮影をしていた。
今流行りのフォトブックでも作るのだろう。
和装の花嫁さんの髪は洋風に結って
これも今の流行り。
私も今の時代の花嫁さんになりたかったなあ(新婚なんだが)。
ランチを食べ終えてからは
歩いて『大覚寺』を目指す。
大きな池がある、ということで
池の周りを散歩したかったからである。
途中、
『五台山 清凉寺』に寄る。
数百年の歴史を持つ仏教寺院。
静寂で美しい境内に日本古来の建造物がある。
その後
歩き疲れてはいたけれど
大覚寺に到着。
だがしかし
なななななな、なんと
池には水がない。
冬季に水の入れ替えをしているのだそうだ。
池に水がないことを
またとない風情をお楽しみください
と書いてあったよ。
いや、楽しめないから。
まあでも大覚寺はそこそこ大きいお寺で
楽しめないこともなかったのかも?
で、歩き疲れた私たちは
大覚寺前からバスに乗りました。
続きます。





















