寝起きは良い、と思っています。

 

身体はどこも悪くない。

 

眠気を引きずることもなく目覚めます。

 

 

 

けれど

 

遣る瀬無さが心を支配しています。

 

 

 

悲しい、寂しい

 

そんな感情ではなくて

 

切なさとも違う

 

どうしようもない感情に支配されて目覚めます。

 

365日がそうです。

 

 

 

 

目覚めて廊下にスリッパがあると

 

夫が仕事に出かけたのだ、と気付き

 

その瞬間に

 

無人の家の中に遣る瀬無い想いが充満してしまいます。

 

でも

 

夫が出かける前に目が覚めてしまえば

 

家の中に鬱陶しさが充満してしまいます。

 

 

 

 

 

目覚めたときにいちばん心地よかった状況は

 

息子が家に棲み着いていた時でしょうか。

 

息子は家にいても

 

私の生活空間や居住空間を侵害しませんでした。

 

息子が家にいても

 

私は息子の気配を感じるだけでした。

 

気配さえあれば、それで満足でした。

 

だから

 

息子が家に棲み着いていたときも

 

やはり私は

 

目覚めたときに、息子のスリッパが

 

廊下に無造作に脱ぎ捨てられているのを見た瞬間に

 

いいようのない遣る瀬無さを感じていました。

 

 

 

 

要するに私は

 

人の気配だけを感じられれば

 

遣る瀬無さから解放されて、生きていけるのでしょう。

 

 

 

 

人の気配のない家の中にいて

 

遣る瀬無さから解放してくれるものが

 

ブログでした。

 

外に向けて発信するだけで、人の気配を感じ

 

1日が始められました。

 

 

 

1日が始まってしまえばこっちのもの。

 

心が温まれば

 

鬱陶しい夫を優しい夫として

 

その帰りを今か今かと待てるのです。

 

夫が帰宅したときには

 

鬱陶しさには支配されずに

 

私は夫との夕食を会話を幸せを噛み締めます。