デイヴィッド・ギャレットの自叙伝が、ついに最終章を迎えました。

 

最終章は、コロナ間のフランクとのアルバム作りのことや

家族、兄のアレックス、妹のエレナ、ママ、パパのこと。

 

パンデミック中は、すべてのコンサートがキャンセルになり、

通常ではない環境下で新しいアルバムAliveを作った。

2020年の3月・4月のこと。

移動ができなくなったので、キーボードのJohn Haywood抜きで

やらなければならず、フランクに会いにベルリンから車で

オランダのヒルフェルスムに行った。

当時はホテルは全部閉まっていたので、ヒルフェルスムに小さな

家を借りて、そこからフランクのスタジオまで通って

アルバムを作った。

今までのアルバムよりもずっと時間をかけて作ることができた。

 

借りていた家からフランクのスタジオまで車で行く途中、

ラジオからルイ・アームストロングの

「What a Wonderful World」が流れてきて、すぐにその曲を

フランクとレコーディングした。

COVID-19というダモクレスの剣(ギリシャ神話がもとで、

危険が迫っていること、危険な状態のこと)が

世界を覆っているが、我々二人は「What a Wonderful World」を

弾く。

デイヴィッドのママは、よく「When life gives you lemons,

make lemonade(人生がレモンを与えるならばレモネード

にしてしまえ→人生に辛いことがあってもそれを良いものに

変えよう)」と言ったものだった。

(↑Yes!その通り)

 

デイヴィッドは、パンデミックを利用してきちんとした

ガールフレンドも作れた。(いつもは時間がないから、会える人

がモデルとかに限られちゃうからね)

過去のガールフレンドたちはデイヴィッドを利用して自分の名声に

しようとしたが、今度のガールフレンドは違う。と言っている。

(↑今度は頑張れー。)

 

そして自叙伝を出すことも出来た。

デイヴィッドは、パンデミックで今までのように活動できなかった

ことは残念だったがその代わり、この14年ではもてなかった時間を

過ごすことができて幸せだと言っている。

 

そして家族のこと。

兄のアレックスは、弁護士としてニューヨークに住んでいて、

2014年に結婚し、二人の子供がいる。

妹のエレナはミュージシャンとして活動し、結婚してハンブルクに

住み、初めての子供をもうけた。

 

ママは、いつもデイヴィッドの音楽活動やパパのオークションのため

に、幅広く細やかにヘルプしてくれて、一時期、鬱になってしまった。

ママの気分を変えるために、デイヴィッドはママの夢だった、

カルマン・ギア(フォルクスワーゲンのスポーツカー)をプレゼントした。

 

パパとは、ジュリアードで勉強している間は疎遠だったし、その後会うように

なっても、決してリラックスした関係ではなかった。

しかし、ある時のクロスオーヴァーのコンサートにパパが来た時、

終わったら楽屋に来て「素晴らしかった」とハグしてくれた。

今まで、そんな称賛は受けたことがなかった。

というわけで、デイヴィッドとパパの関係は良くなってきている。

 

子供時代はパパがマネージャー及びマネジメントだったデイヴィッド。

12才のときにドイツグラモフォンが専属契約を結びたいと言ってきた。

そして次の年から5枚のCDを出すことになった。

13才の時、1枚目のCD:ベートーヴェンのスプリングソナタ

14才の時、2枚目のCD:クラウディオ・アバドとの

モーツァルトヴァイオリンコンチェルト

 

そして、同じ年にもう1枚レコーディングした。

ヴィエニャフスキのポロネーゼやファウスト・ファンタジー、

パガニーニのラ・カンパネラなどが含まれていた。

そしてそのアルバムのピアニストはデイヴィッドより少し年上の

ロシアのアレクサンドル・マルコヴィッチだったのだが、

発売されなかった。

 

なにが起こったのか?

パパが「ピアノの音が大きすぎる」と言ったのである。

パパにとっては自分の息子のプレゼンスが

十分じゃないと感じたから。

そんなわけで、レコーディングしてしまったものに

ダメ出しをしてリリース中止にさせてしまったパパ。

5枚のうち3枚目を出せなくした。

しかし、ドイツ・グラモフォンとの関係は大事なので、

パパはその代わり、4枚目はパガニーニのカプリース全曲

と言ってしまったのである。

その時点でのデイヴィッドは24のカプリースのうち

7番目までしか弾いたことがなかった。

 

その時のデイヴィッドは14才。

14才で全曲レコーディングした人間はいなかった。

その時点で、最も若くして全曲レコーディングに到達したのは

18才の誕生日が来る前(つまり17才のうちに)の

日本人ヴァイオリニストの五嶋みどりだった。

それまでより5才若かった。

(↑みどりちゃん、すごい)

 

ドイツ・グラモフォンは同意して、

「それで、いつスタートする?」

パパは「4ヶ月のうちに。夏頃」

 

こうしてデイヴィッドの状況を無視して事態は進んでいった。

デイヴィッドは、このとき急いで特訓したせいなのか

壁を掻きむしるほどひどい頭痛で眠れない日々を過ごすことが

頻繁におきた。

 

というわけで、3番目のアルバムは幻となったのであるが

クロスオーヴァーでブレイクした後、

ドイツ・グラモフォンが、あのCDリリースしても

よくない?って打診してきた。

パパは改めて聴いてみたら、

「あれ?いいじゃん。ごめん。」

ということで2013年に発売されたとさ。🤣🤣

 

 

それを知ってからあらためて聴いてみたら

ピアニストが素晴らしいね。

その時点ではパパは自分の息子がピアニストに負けてしまう〜

って本能的に思ったのかもね。

 

 

↓このアルバムに入っているヴィエニャフスキのファウスト

が好きだなあ。