デイヴィッドが、テクニックのディテールを書いている。

 

「ヴァイオリンがどんなに完璧でも、それ自身ではその能力を発揮

 できない。その機能を満たすためのものが必要であり、それが

 楽器となる。

 もちろん、いま話しているのは弓のことだ。

 

 弓は最初の音を創るために必要で、またヴァイオリンが奏でる

 音のタイプを決定づける鍵にもなる。

 時には、ヴァイオリニストには左手しかないと思われがちで

 また、左手の方があまりに多くのことをするので、右手が

 話題に上ることは滅多にないことも事実だ。

 しかし実際は、右腕は、つまりボウイングアームが

 行っていることはあまり洗練されているようには

 見えないかもしれないが、

 しかし、左手に要求されるヴィルトオーソ性に劣るものでも

 ない。

 

 音の特徴的な性質は、実はボウイングの速さ、圧力、

 アーティキュレーション(音のメリハリ感の演出)によって

 大きく左右される。

 だから両方の手が独自の音を創り上げることに関わっている

 のだ。」

 

「通常のボウイングの動き、アップ&ダウンは、それだけで

  アートそのものだ。

 なぜなら聴衆は弓の上下の切り替えを聴くことができない、

 つまり継ぎ目なく聞こえるように行われる必要がある。

 僕は、また個別の弦をヒットする必要があり、

 ある弦から別の弦へ、二弦一緒に、時々は三弦あるいは

 四弦全部さえ同時に弾く、それから一弦へ舞い戻る。

 これは全て最高のセンスと繊細さが求められる

 極めてデリケートで高い正確性のある行為だ。

 

 言い換えれば右手は左手から完全に独立して動作しなければ

 ならない。その際は、絶対的な正確さを発揮しなければ

 ならない。

 フランスのヴァイオリンの専門家がこういうのも不思議は

 ない。”ヴァイオリンは弓である”。

 つまり、弓がヴァイオリンをつくっているいうことだ。」

 

 ↑デイヴィッド、きっと幾つになってもボケないね。

 

  「偉大なヴァイオリニストが皆、右手も左でも同じように

 うまいというわけではない。

 利き足があるサッカー選手のようなものだ。

 

 でも例えば

 ヤッシャ・ハイフェッツとナタン・ミルシティンは

 両手のヴィルトオーソだった。

 アイザック・スターンは、とても素早い弓さばきだった。

 ハイフェッツは弦の上をサーフィンのように素早く

 横切る。

 スターンは指を少し広げ肘を下げることで、全ての音を

 弦に練り込んでいく。

 

 僕も含め、ほとんど全てのヴァイオリニストにとって、

 弓は異物ではなく、右手の延長である。

 右手は感情と脳をダイレクトにつなぐことができるものだ。

 

 もし、クレモナが現代のヴァイオリンの首都ならば

 パリは現代の弓の首都である。

 François Tourteは1800年から1830年の間に

 今日我々が知っているようなデザインに変えた。」

 

 ↑へえ、興味深い。

  ちなみに、このFrançois Tourteのいいものは

   25万ユーロ、日本円だと4050万ぐらい!!だって。

 

 だけど、いい弓だと完璧なバランスで当てられるし

 ヴァイオリンの音がリッチで大きく響き

 アーティキュレーション(音のメリハリとか)

 の範囲も広がるのだ。

 ヴァイオリンと弓は、絵画で言えば絵の具と

 ブラシの関係のようなものだ。

 ヴァイオリンが色を提供し、弓はアーティキュレーション

 の選択肢を決定づける。

 

 ということです。

 なるほどねえ。とても興味深い。

 

 デイヴィッドの指使いやボウイングがよく見えると言えば、

 やはりこれでしょ。Devil's Violinist↓

 なんか左手ばっかりに気を取られていたが、

 右手も見てみましょ。

 (しかし素人なのでよくわからないとは思う)

 

 

↓なつかしいな。

 日本では「パガニーニ」っていうタイトルだったんだよね。