暖かくなりましたね、を通り越して今日は暑い。

桜が一気に咲きそう。

 

ロンドンを拠点にするプロモーターのRick Blaskeyは、

アメリカ市場に期待した。

デイヴィッドは、アメリカツアーを行う前に、

2人のミュージシャンと共に、アメリカのアパレルメーカー、

バナナ・リパブリックのモデルになった。

著名人のオプラ・ウィンフリーのトーク番組に出て

パフォーマンスをしたりもした。

 

デイヴィッドのアメリカツアーは2012年と2014年に
やってる。
アメリカツアーをプランしたときはリック・ブラスキーだったけど、
2010年にはJörk Kollenbroich、今のツアーマネージャーに
変わった。
ので、2度のアメリカツアーはヨークが一緒だったということになる。
 
「リックにはたくさんの借りがある。
 イギリスのロイヤルファミリーがクイーンジュビリーのために
 僕を雇ってくれたのも、リックの活動のおかげだ。
 プロフェッショナリズム、創造性、自己主張に関しては、
 彼は絶対的にベストの一人だった。
 しかし、僕を悩ませることが一つあった。
   時が経つにつれて、彼がどんどん引きこもっていくのを感じた。
 仕事はどんどん構築されてきたが、彼を捕まえるのが難しく
 なっていった、特に週末は。
 東南アジアで問題を抱えていても、ネブラスカの小さな街で
 問題があっても、金曜日の午後6:00を過ぎると
 彼への電話はつながらないことが多かった。
 彼からのヘルプをしてもらえなかったある週末の後、
 ついに、月曜の朝彼と電話がつながって怒って説明した。
 ”リック、週末に連絡取れないなんてあり得ないよ”
 それに対しての彼の答えはこうだった。
 ”デイヴィッド、僕にも人生があるんだ”
 それは、自分にだって・・・
 だけど、僕は彼を知ったと思った。
 彼にとっては二つのことがあって、一方のことが
 我々のパートナーシップと同じぐらい、いやそれ以上に
 重要なことだった。
 もちろん、彼の家族、そして水曜日のシェフィールドの
 彼のフットボールクラブも。
 彼のクラブのゲームは、僕の週末の問題よりも重要だった。
 僕が待たなければならないほどに。
 今は、彼を理解できる。
 しかし当時は、自分にはいかなる休日も週末もなかった。
 ロンドンにいる彼とのコンタクトは、金にもまさる価値だった。
 しかし彼がロンドンを離れられないでいる間、僕は
 世界中を旅している、このことが二人を分つことになった。」
 
 と、デイヴィッドは書いている。
 うーむ。これはなんとも言いようがない。
 よくバンドの解散に言われる求める音楽が違うので解散
 みたいなもんなんじゃないかな。
 もうフェーズが違ってきたんだよね。
 
 それに、デイヴィッドとしてはコンサート成功の後の
 興奮とか感想とかを分かち合うことをしたかった。
 でも、リックはロンドンを離れるつもりはなく
 デイヴィッドは一人で飛行機に乗って異国に行って、
 現地のプロモーターがアテンドしてっていう、
 いわばフリーのミュージシャンみたいになってた。
 リックもある程度売れてきたら、デイヴィッドを
 売り出す情熱がなくなってきたんだろうと思う。
 
 そして、2010年にヨークがツアーマネージャーとなって
 からは旅が楽しくなった。
 2012年のエリザベス女王のダイアモンドジュビリーは
 リックの功績だから、この時はまだ繋がってたってことだね。
 
 何年か前にデイヴィッドのマネジメント体制が変わったって
 お知らせがあったと思うんだけど、それってこのこと
 だったのかなあ。
 
 リック・ブラスキーは時間にルーズだった。
 例えば朝8:00に出発しなければいけないというのに、
 彼は大体ものすごく遅れて現れた。
 ↑いや、これはイラつくわ。
 ドイツ人は時間に正確にしろと言われて育つみたいだから
 (日本人も時間には正確だけどね)こういうのは
 ストレス溜まるわよね。
 人間だから遅れることがあるのは仕方ないけど、
 いつもそうだと信用できなくなるからね。
 
 しかし、ヨークはオンタイムだ。
 デイヴィッド曰く
 「ヨークはスイス時計が体に刻み込まれてる」😆
 
 ヨークのファーストエピソードは
 ホテルの部屋で目覚めると、セカンドキーを持っている 
 ヨークがデイヴィッドのためのコーヒーを持って
 入ってくる。
 次の瞬間には、デイヴィッドの開いたままになっている
 スーツケースに目をやって
 「カオスだ。スーツケースのパックの仕方を見せてやる」
 と整理術を静かにレクチャーする。
 ↑ハハハハハハ、逆に恐いわ。
 
 その間、デイヴィッドはマグを片手にそれを見てる。
 デイヴィッドは
 「いいかい?僕は決して散らかし屋じゃないんだよ。
  掃除機は持ってない、つまり掃除は自分でするんだ。
  なぜなら自分のアパートの汚い隅々まで知っている
  人間はいないから。そうでないとまだ片付いていない
  ベッドのことが頭の中をぐるぐる回ってしまうんだ。
  でも、ヨークはそんな僕を不精者にするんだ」
 ↑デイヴィッド、形無し。
 
アメリカツアーの話に戻すと、45日間かけて40コンサート
をした。移動はツアーバスをチャーターして回った。
デイヴィッドはツアーバスの中のキングサイズベッドを
回してもらった。のだが、アメリカの道路は穴ボコがあって
寝ている時にそこを通る衝撃で寝てられない。
そのうち、ツアーバスだけでの移動はしんどいということ
になり、昼移動の時はツアーバスで、夜移動する時は
飛行機を使うということになった。
でも、アメリカの国内の飛行機は指定席はないので、
自分たちで席を取らなくちゃならなくて、楽器を持っている
人間には大変だった。
そして、CAはヴァイオリンを荷物として預けろと言ってくる。
デイヴィッドはその度に、「君は保険に入っているかい?
このヴァイオリンは7桁の価値があるんだけど、(日本円
では億のこと)ヴァイオリンに何かあったら保証できる?」
と言っていた。😆😆😆
 
まあ、そんなこんなで労力もお金も使った割には、
アメリカでの成果は期待外れだったらしい。
国土が広すぎて横断するのは大変で、疲れとストレスが
たまり、終わった後は完全に燃え尽き。
それに、あまりアメリカで認知され過ぎると
ニューヨークのアパートに行った時、
その辺を普通に歩けなくなるという怖さもあった、
ということで南米には行くが、北米はあまりいかないという
ことになってるみたい。
 
なるほど。ビジネス的には仕方がない。
アメリカのファンには気の毒だけど。
 
ヨークとの話で面白いのが、2015年のロシアでのこと。
あの有名な赤の広場のオニオンドームの前で
「Explosive」のアルバムの1曲、バブーシュカの演奏を
動画に撮ろうと思ってた。
そしたら、豈図らんや警察だのセキュリティスタッフだのが
めっちゃいて、観光客におかしなことをさせないように
見張っていた。
デイヴィッドはその目を盗んでヴァイオリンを出して
バブーシュカをちょっと弾いて、ヨークがミニカメラで
撮影する。そしてすぐにカメラをポケットにしまって
人混みの中に紛れるという、猫とネズミの追いかけっこを
20回くらい繰り返し、とうとうフルパフォーマンスした
らしい。(なんかオニオンドームの前にいたビジュアル
を見たことがあるんだけど見つけられなかった)
 
こんなことをヨークとはできたけれど、
リックとは絶対不可能だった。
コミュニケーションが構築されて信頼関係になるんだから
リックのように本当にビジネスライクだと
その時乗り越えても、やっぱりどこかで衝突しただろうね。
 

↓デイヴィッド、ロシアのファンに見つかってた。😆

 

 

↓ロシアで踊りながら弾いたバブーシュカ