デイヴィッドは、フランクと出会って新たな道へ向かって歩き出した。

 

8学期(つまり4年)、デイヴィッドの学びが終わりに近づいていた。

取り掛かっていた希望はまだ熱意を帯びていた。

それどころか、このアメイジングなトレーニングを続けていた。

音楽業界が確実に自分に関心を持つように。

 

しかしながら、パールマンとの最後のレッスンの後、

シリアスな会話を持った。自分自身のために尋ねる会話だった。

 

「Mr.パールマン」と話しかけた。

パールマンには、誰もカジュアルに話しかけることはできなかった。

彼の長い期間のピアニストRohan de Silvaでさえも。

「Mr.パールマン、僕の演奏が良いと思ってくれているのは

 認識している。

 そうでなければこの数年、僕のレッスンにこんなに長い時間を

 かけてはくれないだろう。しかし、僕を悩ませるある考えが

 いまだにある。僕は、自分自身を過大評価しているのではないかと

 恐れがある。僕は成功するのにまだ十分ではないのではないかと

 恐いんです。」

 

パールマンは、答える前に少し考えてこう言った。

「デイヴィッド、誰も君が成功するかどうかはわからない。

 私でさえもだ。

 たくさんの予測できないことが起こる。

 君は成功するためのツールを確実に持っている。

 しかしながら、君の人生は君が自分がしていることを

 楽しんでいる限り開花するだろう。

 過去を決して苦悩を持って振り返ってはならない。

 自分にとって重要なことをやりなさい。

 そして、それを情熱と愛を持ってやりなさい。

 それがオーケストラの一員として演奏しようが

 有名なソロイストになろうが関係なく。

 君にとって最も悪いことは、単純に人が気に入るように

 やることだ。それをするな。

 どうか自分のために演奏してくれ。」

だった。

 

 ↑感動するわ。パールマンの言葉。

 人を軸にして考えるのではなく、自分の軸で考える

 というのは、普段の生活の中でも活かせる言葉。

 (誤解を与えないように付け加えるけれど、

  人様を不快にしないとか親切にとか、礼儀正しく

  とかという、人に気を遣うというのは当たり前だけれど

  人がこう言ったから自分もこうするっていうのは

  違うってことです)

 

パールマンから素晴らしいアドバイスをもらって

卒業したデイヴィッドだったが、そのあとは貧乏が待ってた。

 

「親愛なるデイヴィッド

 我々はじっくり考え、そして結論として我々とあなた

 との協力を終わらせることにしました。

 我々はもはやあなたが成功できるとは思っておりません。

 どうか、我々の決断をご理解ください。

 そして悪く思わないでください。

 我々はあなたの幸運な未来を祈ります。

 そしてもちろんあなたの成功を祈り続けます。

 しかしここから今後のあなたの旅は、我々抜きに

 なるでしょう。Pamela Cronin」

 

↑デイヴィッドは、ある日このようなレターを受け取った。

ロンドンの名高いエージェンシー、Askonas Holtからだった。

 

「我が目を疑った」とデイヴィッドは書いている。

 最後の望みが消滅した。

 夏休みに仕事をくれるたった一つの事務所だった。

 ここでは250ドル余り、あそこでは500ドル、

 どれも少額だけれど助かってた。

 しかし今では、ノーマネジメント、ノーレコード契約、

 ノーエージェンシー。

 もちろん、クラシック音楽業界では4年間も忘れ去られて

 いたし、その頃に一度いい演奏をしたからといって

 ライブができるわけではない。

 部外者にとっては4年間は停滞に見える。

  この世界では、それはスタート地点に戻るという意味になった。

 

 その当時のデイヴィッドは、ニューヨークのヘルズキッチン地区

 の小さなアパートに住んでた。

 19世紀の煉瓦造りのビルの4階。

 こじんまりしたリビングルーム、小さなキッチン、ベッドの

 ある居室。

 お手頃な物件だったけれどそれでも1300ドルを払わねば

 ならなかった。(17万ぐらい)

 だからいつもスーパーマーケットでは割引品に目がいってた。

 

 勉強は完結した、新しいスタートへの可能性を見つけた、

 新しいスタートの必要がある、新しいスタートはしくじった・・

 そして次に何が起こるのか? 

 デイヴィッドは虚しさの中にいた。

 自分は以前よりも良いヴァイオリニストになった、 

 だけど自分の周りの人間はそれを知ることができない。

 

 かくして野望が破れた男は、いやがおうにも深刻に自分と

 向き合わねばならなくなった。

 どうやって自分を話題に上らせたらいいのか。

 

 街角で弾く?

   それとも今までのオーディエンスの中に、

 ニューヨークのカルチャーシーンの重要人物がいるかもしれない

 と期待して、ホームコンサートを探し回る?

 その方がいい。

 そしてこのために何人かにコンタクトを取った。

 主要人物は、Daniel Kuhnでアートのパトロンだった。

 彼の家ですでに演奏したこともあった。

 彼は演奏料はくれなかったけれど、食事やスパークリングワイン、

 オレンジジュースは提供してくれた。

 

 Danielに電話して

 「今、状況が悪いんだ。

  レコード契約もないし、エージェンシーもない。

  次にどうしていいかわからないんだ。

  もしも、コンサートを開く予定があってミュージシャンが

  必要な時は、どうか僕に連絡をくれ。」

 

   幸運にも、Danielはデイヴィッドのファンだったので

 彼のところで思ったよりも頻繁に演奏させてもらった。

 そこは摩天楼にある素晴らしいアパートで、

 セントラルパークを一望できるところだった。

 コンサートは午後8時にスタートし、5人か10人の人々が

 出席していた。

 みんないい人で一緒にスナックをつまんだりもしたが

 結果は十分ではなかった。

 ある時は20ドル、別の夜は50ドルか100ドル。

 熱心なアートファンのゲストが寄付してくれたが、

 元々の目的だったコンサートの機会を提供してくれる人は

 全くいなかった。

 

 そういうわけで小遣いはあったので地下鉄に乗ったり

 ピザを買えたりはした。

 しかし、時が過ぎるにつれて一緒につるんでいた友人たちとは

 顔を合わせなくなり、まだクラブでプロモーターもどきの

 仕事をしていたが、そこに行くことはだんだん少なくなり、

 全く行かなくなった。

 

 そしてニューヨークの冬が再びやってきた。

 デイヴィッドの状況はクライシスレベルになってた。

 アパートの家賃も払えなくなって、ドアをノックされ

 騒がしい声で「いつ払ってくれるんだい?」と言われたり

 もしていた。

 ハリウッド映画でよく見る場面みたいだった。

 食べ物のストックはエマージェンシーレベルになってた。

 

 デイヴィッドは、自分の部屋に座って考えた。

 「アーヘンに電話すべきか?両親にドイツに戻る飛行機の

  チケットをとってと頼むべきか?」

 

  ”冗談じゃない!No! 

  それは敗北を認めることになるじゃないか”

  デイヴィッドは、その考えを拒否したのだった。

  

  Danielのところでコンサートが開かれるその夜は、

  雪が降っていて、この数時間でニューヨークは雪に埋まってた。

  だけど、デイヴィッドはお金が必要だったので

    たとえたった50ドルのためにも行かなければならなかった。

  だから、ヴァイオリンをつかんで曲の練習をした。

  窓の外を見ながら。狂ったように雪が降ってた。

 

    5時に家を出て地下鉄に乗った。

  Danielのアパートに着くと、「今日の天気見た?」

  と聞かれた。Yes.

  ミュージックルームを見渡すと全ての準備が整ってて

  ピアニストのDaniel Gortler(←こっちもダニエル)も  

  準備ができてた。

  摩天楼に住むDanielは言った。

 「何人かに電話したんだけど、みんなキャンセルなんだよね。

  だけど多分雪もやむだろうから、そうしたら何人かの

  勇気ある人たちが冒険にやってくるかも」

  

  だけど3時間待っても雪はますますひどくなった。

  セントラルパークは、冬のワンダーランドになり、

  通りは家に帰る途中のタクシー以外は静かだった。

 

 金曜日の夜というのに、一人のゲストもいない。

 「来週にまたやろう」

 と摩天楼Danielは言った。

 デイヴィッドはピアニストの方のDanielに自分の苦境を

 話した。

 「今、本当にヤバいんだ。タオルを投げる寸前なんだよ。

  もしも、たった二人でもいいから来てくれれば。

  頼む、どうかもう少しだけ待ってくれ。」

 

 だけど、10時になっても11時になっても彼らだけだった。

 「月曜日に延期しよう」

 ピアニストDanielは言い、そして付け加えた。

 「デイヴィッド、行こう。世界が終わるわけじゃない」

 

 長くなったので続きは、次のブログで。