デイヴィッドの、クロスオーヴァープロジェクトへの

発火点となったのは、第3学期だった。

(つまり、2年の前期)

 

いろんなストーリーが混在してるが、そのうちの一つ

を言うと学食でのこと。

学食は左がピザカウンター、右がサラダバーになっていて、

いろんな学科の学生が集まるメルティングポットの場所

だった。

そこで、いろんな人と話すとダンサーたちは常に

スクールパフォーマンスのための音楽を供給して

くれる人間を探していることが明らかになった。

 

だから「どんな種類の音楽が欲しいの?」と

聞いてみた。

バッハやモーツァルト、メンデルスゾーンなんかを

勧めた。

もちろんそれらも必要なんだけれど彼らは

「僕はコンテンポラリーダンスをするんだ。

 そしてマイケル・ジャクソンの大ファン

なんだよ」

または、レッド・ツェッペリンとか。

 

また、別の人は

「私は3つの曲で踊らなければいけないの。

二つはクラシック、一つはコンテンポラリー。

あなた、なんとかできる?」と言う。

 

つまり、popミュージック、ジャズを

ヴァイオリンで。さらに多分ロックさえも?

もちろん、なんでできないことある?

じゃあ、僕の楽器でやってみよう。

と言うことになって始まった。

 

デイヴィッドは、自分のフリータイムを

ダンススタジオで過ごした。

振り付けを観察しながら、曲を聴きながら、

そしてダンスのための4分間のために

曲を書き直したり。

そしてそこにはヴァイオリンのための

リズムとテンポを入れながら。

 

このような小さなバレエパフォーマンスの

ライブは後に、デイヴィッドが

30人から40人の観客の前で

ライブ演奏をすることになる。

ほとんどはクラシックだったんだけれど、

それだけではなくマイケル・ジャクソン、

レッド・ツェッペリン、そして

ガーシュインを演奏した。

その反応はアメイジングなものだった。

ダンサーたちにだけでなく、

デイヴィッドにも

スタンディングオベーションが

わきおこった。

 

ジュリアードは二つのオーケストラを

持っているが、かつてその一員としてステージに

上った時に見たところ、アメリカでさえ

観客は年齢が上の人たちばかりだった。

 

だけど、デイヴィッドはダンサーや俳優と

パフォーマンスをしてみて新たなストーリーを

発見したのだった。

一度、俳優のモノローグのバックミュージック

としてバッハのソロを弾いてみた。

若い観客たちがそれが好きかどうか

わからなかったが、バッハはヒットだった。

 

若い人たちは本当にクラシック音楽に対する

興味がないのか?

クラシック音楽は死にかかってる、

オーディエンスも縮小していると言われてきた。

しかし、20歳かそこらの若者が4分間の

バッハを聴いた後興奮した様子で

デイヴィッドのところにやってきて

「Hey,その曲はなんていう曲なの?

メモしてくれない?

それチェックしたいから」といった。

 

これの意味するところは、クラシック音楽の

観客の平均年齢が高いのは、おそらく

セッティングに関係しているのだ。

会場や衣装にもよるのだろう。

例えば、ジュリアードのオーケストラには

厳しい服装のルールがある。

スーツ・蝶ネクタイ・白いシャツ。

だけど、俳優とダンサーのための演奏に

来てくれた人たちは着たいものを着ていた。

 

こんな、後のクロスオーヴァープロジェクト

への発芽となる出来事の一方で、

デイヴィッドはオーケストラにも参加していた。

多くの音大生がソロを目指しているにもかかわらず

オーケストラは訓練の一部でもあった。

オーケストラの一員として生計を立てることになる

可能性もあるからだ。

ソロイストとしては、4〜5時間にも及ぶ

オーケストラのリハーサルは退屈この上ないが、

このように違ったやり方を学ぶことは決して

損にはならない。

だからこそ、デイヴィッドはオーケストラの

リハーサルをとても大事にしていた。

 

リハーサル当日は早起きをして、

ウォーミングアップをする。

自分のパートを隅から隅まで演奏する。

こんなに準備が整っている人間は他に

あまりいなかった。

 

デイヴィッドが狙っていたのは、

ファーストヴァイオリン。

ファーストヴァイオリンはコンダクターの

一番近くにいるしテクニカル的にも上位だし、

ソロの間奏のところもあるからだ。

 

それで、年に一度、各生徒たちが教授たちの前で

同じ曲を演奏するのだが、カーテンの陰に隠れて

番号だけで識別される。

デイヴィッドは2年目にはセカンドヴァイオリン

になった。

100人の候補者がいたことを考えれば悪くない

位置だった。

だけど、それは長くは続かなかった・・・

 

何があったのか?

準備を怠ったのか?

演奏が遅れたことがあったりしたのか?

どれも違う。

朝早く起きて全部さらってあるので、準備万端。

 

リハーサルは9時から始まるのだが、

デイヴィッドは、それまでセカンドヴァイオリン

の自分の席に座って周りの人と楽しく話したり

してた。

時間になるとコンダクターがやってきて指揮棒を

ならし始まりの合図。

デイヴィッドはヴァイオリンを手にとる。

30秒後に準備につく。

だけど、これがジュリアードのスタンダードじゃ

なかったのだという。

 

組織の管理責任であるオーケストラの係員が

ずっと不愉快な気分でデイヴィッドの行動を

観察してた。

そしてある日デイヴィッドに叫んだ。

「9時までにはヴァイオリンをホールド

していなければならない!

君の行動は全くプロフェッショナルとは

言えない。

我々は、もう君のちゃらちゃらしたおしゃべりは

聞きたくない。

もし、それを続けるのであれば君は

どこのオーケストラにも

行けないだろう!」と罵倒された。

 

そしてデイヴィッド、この後どうしたか。

暴れる!なんてことはもちろんせず、

その怒りを楽譜にぶつけた。

「なんちゅう大馬鹿者だ」

「なんてクソなことするんだ」

「何ヶ月もヤってないんだろ」

という悪口を書きなぐった。

 

↑まあ、気持ちはわかるわ。

自分は準備万端やることやってんのに

遅れたわけでもないのにって、

若い時には理不尽な感じに思うわよね。

書くまではわからないではないんだけど、

この後がマヌケだったのよねえ。

 

学校の楽譜だから、また別の人が使うように

なっている。

のに、この書き殴った悪口そのままにして

回収されちゃったのよね。

デイヴィッドはそれを廃棄処分にすると思ってた。

いやいや、そんな無駄はしないよね。

 

デイヴィッド、この後、学長から呼び出しを喰らう。

こんなこと本当に書いたのか?と問われ、

そのオーケストラの係員に謝罪文を書くように

要求された。

それをしたら、今回のオケではセカンドヴァイオリンの

後ろーの方の列に参加させてやるってことになった。

それからは、ジュリアードのオーケストラの

ペルソナノングラータ(好ましからざる人物)と

なったのであった。

 

↑前に、ドイツのテレビ番組だったと思うんだけど

ニューヨークのデイヴィッドのアパートを

取材しつつジュリアードにも訪れるっていうのが

あった。

その時、オーケストラはダメだったんだよねって

言ってて、ふーんなんでダメだったのかなあって

不思議だったんだけど、そういうことだったのか。

 

これを読んで思ったのは、

やっぱりクロスオーヴァー行けって天の後押し

だったんじゃない?ってこと。

だってさ、もしここでうまくいって

ファーストヴァイオリンなんかになった日には

今のデイヴィッドにはなってなかったかも

しれないじゃない。

変に厳しいルールに受容性が高いと、肝心な時に

自分の殻を破れないんじゃないかと思うのよね。

 

デイヴィッドは、兄のアレックスの大学

ハーバードに遊びに行って、よくハーバードの

学生のために演奏してたりした。

毎年、ハーバードでは7月4日のアメリカの

独立記念日にチャイコフスキー1812年が

演奏されるんだけれど、そのオーケストラの

ファーストヴァイオリンとして

ステージに立ったこともあった。

 

↑別のところではファーストヴァイオリン

だったって面白すぎるでしょ。

 

ところでさ、↓今、テレ東で世界卓球

やってるじゃないですか。

昨日、多分、番組宣伝だと思うんだけど

たまたま見たのよ。

女子選手が一人一人インタビューされてるもの

だったんだけどその音楽が、

デイヴィッドのパガニーニカプリースNo.24

だったのよ。

あのあと確かめようとTverとか見たんだけど、

番宣はなかった。

あれってデイヴィッドだよね。

 

 

テレ東はテニスはサマーを使って、

卓球はカプリースとな。

デイヴィッドの音楽って、なんか映像が

盛り上がるんだよね。

テレ東、わかってるぅ。