前のブログで書いた通り、デイヴィッドはジュリアードの半期分の

学費37000ドルを工面しなければならなかったのだが、

学生ローンで25000ドル借りられることになった。

 

残り12000ドル。プラス諸々の生活費となる5000ドル。

合計17000ドル=250万ぐらいをどうにかしなければならなかった。

 

その頃、デイヴィッドは今まで全く気にしていなかった

ファッションを気にするようになる。

ニューヨークにやってきて周りの人が着ているものを見て

感化されたことも要因。

ジュリアードに入学すると、そこには俳優志望やダンサー志望が

いて、最初に友達になった人たちは80年代のクラブに行くのが

好きだった。つまりみんな黒の洋服を着ていた。

映画のマトリックスのように。

 

↑日本も80年代はカラス族とか言われたまっくろくろすけが

いっぱいいたよね。DCブランドの時代?(若い人は知らないだろうが)

 

デイヴィッドが最初に働いたのは、時給7ドルのウエイター。

週末の仕事。ユニオンスクエアにあるUnderbarという

ところだった。

そこで夜の10時から夜中の3時までドリンクをサーブしてた。

チップをはずんでくれる人もいたけれどそれだけでは十分では

なかった。

 

それから72streetのところにあるUrban Outfitters

(今は閉鎖)で働き出した。最初は朝の6時から倉庫で仕分け

の仕事をしていた。

時間厳守でよく働くので数週間後にはお店で

ジーンズ販売になった。

(↑ドイツ人も時間を守る系。よく鉄道が時間通りに

来ない的な文句も聞かれるけど、確かに日本ほど

オンタイムで動いていない感じするけどまあ許せる)

 

ここでは時給12ドルだった。

これでもまだ十分ではなかった。

デイヴィッドは、Urban Outfittersでも、Underbarでも

ニューヨークの街中でも、時々名刺を渡されて

「君はハンサムだ。モデルにならないか」と言われていた。

モデルはニューヨークではビッグ産業だ。

 

ある日、スカウトの若い女性から

「このエージェンシーは素晴らしいところよ。

私たちは素晴らしい写真家を有しているし、一番いいところは

30%以上の手数料は取らないところよ」

マンハッタンのダウンタウンにあったそのモデル事務所は

本当にデイヴィッドを雇い、4学期から6学期(つまり

2年から3年)ほぼレギュラーで使ってくれた。

 

ときどき写真撮影、ときどきショーのキャットウォーク、

ときどき下着のモデルをした。カルヴァン・クラインの

ボクサーショーツのモデルなど。

この間はものすごくエクササイズをして、学食ではピザから

どんどん遠ざかり(入学した当初はピザばかり食べてた)

バレリーナたちに混じってサラダバーの

列に並んだりした。

肝心のお金に関して言えば、2、3時間撮影をして

500ドル(約7万円)の小切手をもらうことができてた。

2003年のファッションウィークでは、5000ドル(70万!)

得ることができた。

 

そして新たな稼ぎ方がやってきた。

その頃、デイヴィッドはニューヨークのナイトライフを

楽しんでいたんだけれど、チェルシー27streetあたりの

人気バーに友達とよく行ってた。

しょっちゅう行っているので、そこのスタッフとも

顔見知りになる。するとある時そのバーのオーナーが

「君たち週末ここで働く気ない?」と言ってきた。

デイヴィッドたちは最初、テーブルでのウェイターかと

思った、しかしそうではなく、

「ここで君たちは何しててもいいよ。友達ときて。

 我々はガールよりボーイたちの方がいいんだよ。

 ここでみんなで楽しんで」

 

えっ?それでお金もらえるの?と聞いたら

「Yes,君たちがここにいると、場所が映えるんだよ。

 僕にとってはそれは500ドルの価値がある。

 それにプラスしてフリードリンクだよ。」

と言われた。

一晩、そこにたむろしてて飲み放題で500ドルもらえるだと?

いやいやおいしすぎるでしょ。

デイヴィッドも「我が耳を疑った」と書いている。

 

うーん80年代って景気いいねえ。

↑間違えた。80年代風のファッションで遊んでいたが

デイヴィッドが大学時代のことなので

2000年初めだよね。

 

稼ぐ術を探していたデイヴィッドはもちろん断る理由もなく。

ジュリアードのイケてる友達、残念ながらクラシック系ではなく

俳優とかダンサーの生徒たちを連れて行って、お店の雰囲気

を盛り上げる責任みたいなものを請負った。

その店はCainといって、有名なニューヨークのナイトクラブの

Bangalow8の真向かいだった。(どちらも今は閉鎖)

そこにはアメリカのセレブたちが集ってた。

 

そこで学費に十分なお金を稼ぐことができていた

わけなんだけれど、未来のデイヴィッド・ギャレットにつながる

こともあった。

その時、スロベニア人モデルのLaylaと恋に落ちた。

デイヴィッドはその時ちょっと長い髪をしていたんだけれど

Laylaが、その髪をヘアゴムでまとめたらいいわよとアイディアを

くれた。

 

そのLaylaとの関係はどうなったのか。

ある夜、Laylaと遊んで夜はデイヴィッドの大学の寮に二人で

帰ってきた。そのまま寝ちゃってたんだが、デイヴィッドの

ご両親がデイヴィッドを訪ねると言われていた。

次の日の朝、両親が訪ねてきてLaylaも遭遇する羽目に。

Laylaは短い夜遊び用のドレスを着、ちょっと厚い化粧で

ハイヒールを履いた状態でデイヴィッドの両親に挨拶した。

この後、デイヴィッドはLaylaに

「2度と私にあんなことしないで!」とめっちゃ怒られた。

 

それから再びナイトクラブで彼女と会った時、

彼女は「私、他の人と付き合っているの」と言った。

その”他の人”とは、ギリシャ神話かよとみまごうほどのボディを

持ったゴージャスなアバクロンビー&フィッチのモデルだった。

 

「彼女の選択が間違ってるとは言えないよね」ってデイヴィッドは

書いている🤣🤣

 

パールマンとのレッスンの話を書こうと思ったが、このチャプター

だけで長くなってしまった。

また次のブログで。

 

↓モデルの頃のデイヴィッド。

 

 

こういう写真がたくさん載っているんだけれど、

本の写真はあまり出してはいけないと思うので一部のみ。

各チャプターごとにビデオや秘蔵写真が見られるQRコードが

ついているので、それ見るだけでも良いかも。

ご興味があれば↓